喪男の考え方
久々のスタジアム観戦は高揚する 浦和レッズのサポーターが鼻つまみ者だというのは周知のとおりだが、やはりそれを目の当たりにすると辟易するものである。 2020年10月4日、僕は埼玉スタジアムで開催されたJ1第20節、浦和レッズ対名古屋グランパスの試合を観…
サッカー挫折組の随想録 実は最近、久々にサッカーを始めた。僕がサッカーを本格的に始めるのは、およそ20年ぶりである。僕の最後のサッカー歴は、中学校時代で終わっているのだ。それを大人になった今、また始めようというわけである。 なぜ僕は今サッカー…
回想録 とある東京都内のベッドタウンを、僕は久方ぶりに訪れた。僕はこの街で僕は幼稚園と小学校時代を過ごした。今でこそ別の場所で暮らしているが、この街は僕にとっての青春であり、思い出であり、郷愁であった。 25年前、僕はこの街で暮らす小学生だっ…
快楽と本能との関連性 僕たちの行動は全て、本能的な部分によって支配されているのかもしれない。ラーメンや焼肉はなぜ美味しいのか。ラーメンや焼肉を美味しいと感覚する理由は何か。 僕たちが用を足すことに快感を伴い、その排出されたもの自体を不快に感…
非モテをこじらせてラブソングが嫌いになった話 青春なんてなかった非モテも、今を生きていかなければいけない。僕だって、部活で仲間と栄光と挫折を味わい、あるいは友情に悩み、クラスメイトの女の子と付かず離れずの関係になるような、そんな絵に描いたよ…
懐古趣味。現実逃避。退行現象と呼ばれても反論できまい。けれども合唱曲は、僕の精神衛生上極めて有用な役割を果たしている。 大人になると、合唱曲の歌詞に違和感しかなくなる。 大人になった僕たちは、合唱曲で歌われる美しい歌詞が虚構にまみれているこ…
いつまでも長生きしてね、という悪魔のささやき 僕は長生きしたくない人間である。長生きしてねと子供がいうならば可愛げもあるだろうが、それを大人が言ったなら、悪魔的な恐ろしさを感じてしまう。 長生きが尊ばれた時代は終わった。そもそもなぜ長生きが…
孤独死問題は、僕たち非モテ喪男が解決しなければならない問題のうちの1つである。 僕たちは極めて高い確率で結婚することはなく、自身の死期にあたっては身寄りもないだろう。それはつまり自分の死期の前後処理の面倒を見てくれる人がないことを意味する。…
自分の年齢を聞かれたとき、ちょっと考えないと答えられないようになった。自分の年齢というのが、どうも僕の興味関心ごとから取り除かれているようだ。 誕生日を迎えるたびに何を祝うのかずっと謎だった もうめったに見なくなったが、Facebookにはよく誕生…
僕は毒親に育てられた。 僕は、20歳の頃には子供を持たないという決意をしていたと記憶している。さらにここ数年で、結婚願望がほぼ消滅したように思う。そしてそれは現実的になった。これはいいことだ。毒親に育てられた子供は、親になったら毒親になる。そ…
このエントリは、浅薄を極めた僕のアニメ知識を絞り出して書くのである。そしてその中には、非モテやアニメオタクへの偏見がおそらく多分に含まれている。読者を不快にさせる意図はないが、はじめにアニメ門外漢たる僕がアニメネタでエントリを書くことを許…
非モテで車が好きな人はどれだけいるのだろう。 僕は車が好きなのだが、ランボルギーニやフェラーリをほしいとは思わない。あれはスーパーカー過ぎて、遠くから眺めるだけで満足できてしまう逸品である。動物でいえば象やキリンと同じで、遠巻きに見るのはい…
僕は生まれ変わりたくない 生まれ変わったら何になりたい?という問いが昔から苦手だった。 この問いは極めて残酷である。何しろ生まれ変わるということは、もう一度生を受け、死に至らなければならないということである。サッカー選手になろうが、ハリウッ…
女性不信になってしまった?なるほど結構なことだ。安心してほしい。僕はこのエントリで、読者の女性不信を解いてやろうという気はまったくない。だから対処法とかも書いてない。そうではなくて、僕はその女性不信にむしろ同調し、その心の傷に寄り添うもの…
ご祝儀=明るいカツアゲ 一般的に言って、結婚式はめでたいものだ。僕は自分の結婚には一切関心はないが、僕の知人友人が結婚するということについては、その半日と祝儀として包んだ数万円を、その結婚式のために使っても良いと思える程度の関心はある。結婚…
低身長で悩み苦しんでいる非モテは多いはずだ。僕はこのエントリで、身長コンプレックスをもつ非モテについて語ってみようと思う。 僕自身の身長も160cmぴったりしかない。会社の健康診断ではいつも160.8cmとか160.4cmとかのギリギリのせめぎあいをしている…
生きとし生ける僕たちは、人生における数々の理不尽の相手をしなければならない。そんな人生は辛く苦しいが、仏教の教理が1つの指針になるかもしれない。 僕が目指している悟り系男子というのは、女性誌で人気の「イケメンなのに恋愛に興味がなくてそれでい…
非モテは、そのモテないというコンプレックスのために、あらゆる消費の誘惑にさらされることになる。それは概ね外見コンプレックスに働きかけるものが多い。背を伸ばす、歯をきれいにする、シミを取る、痩せる、あるいは下世話にも性器を大きくする、中には…
哲学とは思考そのものである ニーチェ、ヴィトゲンシュタイン、カント、ヘーゲル、キェルケゴール、デカルト、等々の錚々たる哲学者の本が僕の書棚には並んでいる。しかし、自信をもって「理解した」と宣言できる哲学はこの中にどれ1つとてない。 最後まで読…
参議院選挙で発生する「タレント議員」 このエントリを書いている2019年7月は、参議院選挙の実施が近づいている時期で、多くの政党が公約を発表してアピールしている。 衆議院選挙と違い、なぜか参議院選挙では元スポーツ選手や芸能人などの、これまで政治と…
「人生は何かを為すには短いが、何も為さぬには長すぎる」というのは、小説家の中島敦が名作「山月記」の中で、虎に変化してしまった李徴に語らせた言葉である。 僕は近頃、この言葉が心に刺さってしまっている。何かを為すとは、一体何だ? 思えば僕は、何…
僕の小学校時代、卒業式でのことである。僕たち卒業生は順番にセリフを唱えるのであるが、その中で僕たちは高らかに「輝かしい未来へ、希望をもって羽ばたく」と宣言したことをよく覚えている。 それから20年が経ち、僕はうだつの上がらないサラリーマンとし…
セクハラ問題がだいぶ世間的に認知されてきたおかげで、セクハラとコミュニケーションの区別がついていなかったゴミカスクソ野郎どもが駆逐される傾向にあるのは、大変素晴らしいことである。 そうは言っても、女どもと何かしらの形で関わっている限り、ある…
どうせモテなくても、それでも生きていこう 僕は30代前半のモテない男である。30代といえば、ある人の寿命が60であるとすれば、すでに人生折り返しを過ぎたことを意味する。またある人の寿命が80であるとすれば、あと半世紀弱の人生をこれから歩むことになる…
子供が生まれてくるというのは、純度100%で親の都合によるものである。子供が生んでほしいと頼んできて、その要求を飲んで生んだのではない。 「生む」が他動詞であるのはともかく、「生まれる」という動詞が自動詞として扱われるのは、あたかも子供がこの世…
子供を嫌う大人がいる 「子供が嫌いだ」と公言したとき、どのような仕打ちを受けるかを僕たちはよく知っている。「薄情者」、「人間としておかしい」、「子供は可愛いのに何で嫌うの?」、「自分も子供だったくせに」などなど、まるで人間のように扱われない…
僕も30歳をいくつか過ぎた年齢となった。このくらいになると、周りの友人はだいたい結婚し、すでに子供がいるということも多い。 僕はここ最近、一人で行動することが非常に増えた。もともと一人行動が多いほうだが、時たま友人と会って何かする、みたいなこ…
リスクを取れと叫ぶ人々 リスクを取らない人生はつまらないと、たくさんの人が言う。困難に挑戦し、会社など(の搾取する側と見なされるもの)から独立し、自分の夢を実現しようというのである。その独立心、反骨心、そして挑戦意欲は素晴らしいものだ。見上…
他人の感謝を素直に受け取れない人がいる 人が人と関わるならば、その行為によって助かる人もある。助けられた側は礼の1つでも言うのがコミュニケーションというものだろう。 けれども世の中には、そういった感謝を素直に受け取れない人がいるのである。 僕…
このエントリは、自殺というに言葉または現象に対して、「自殺はダメ、絶対!」みたいな言葉を脊髄反射的に投げつけるような、思慮の浅い鈍感な連中に対しての反駁として書いたものである。自殺することの是非すら自分の頭で考えることもなく、斟酌すること…