非モテ恋愛弱者のブログ

旧「非モテ系のままで生きていくブログ」から、恋愛弱者男性ブログに進化しました。レベル36の限界中年/異常独身/非モテのブログ。もう人生折り返しました。残りの人生を頑張らないで生きていこうと思います。なおこのブログには、モテる方法は1つも書いていません。

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発達障害は本当に遺伝するのか?毒親に育てられると健常者でも発達障害になる話

僕は以前、以下のエントリで、発達障害は遺伝するから子供を作ってはいけないという、極めて差別的で優生主義思想あふれる主張を展開したことがある。このエントリは今でも一定の閲覧数をキープしており、弱者男性界隈においては概ね賛意を得られているようだ。

junny-policies.hatenablog.com

今回のエントリは、その続編である。一言で言うと、発達障害が遺伝するのではなく、毒親の偏屈な養育によって発達障害にさせられるのではないか?という可能性を論じたものである。

僕がこのように考え始めた理由を説明しよう。僕の会社には最近後輩が何人も入社してきて、僕がそのうちの1人の教育担当になった時のことである。僕は先輩として後輩の指導にあたっていたが、その後輩は非常に育ちや器量や人当たりが良いようで、社内からよく可愛がられていた。それは家族や友人から愛されて育ったのだということを感じさせる「陽の者」であり、僕のような「陰の者」とは正反対の人物像だった。

そんな後輩は僕を、頼れる先輩として認めてくれた。そしてその承認を言葉にして僕に届けてくれた。「いつも信頼している」と。

その時、(当時)36年間生きてきた中で、僕のメンタルが最も安定したことを覚えている。僕は他者からの無条件の承認を得て、僕が役に立つこと、僕に存在意義があることなどをはじめて自覚したのだ。毒親によって捻じ曲げられていた精神に、爽やかな風が吹き渡ったようだった。

他人に承認されることは、その理由が仕事であれ何であれ、何と幸せなことなんだろう。こうして承認されることで、僕はより積極的に他者と関わり、あるいは他人を信頼することができるようになった。人間関係を恐れるコミュ障や、他人の気持ちの理解できない発達障害の人物像は、少なくともそこにはなかった。

ちなみにこの後輩とは、その後デートに出かけるまで関係性が進展することになる。男女の仲としての意味でそれ以上の進展はなかったが、僕にとっては今でも守るべき大切な後輩だ。

僕は1つ、このようなことを思った。もし後輩のような「陽の者」が身内にいたならば、僕は他者への愛情と優しさにあふれ、心の底から他者を信頼することのできる、素敵な人間に育っただろうな、と。

junny-policies.hatenablog.com

ここで僕は1つの疑問を提起する。僕の精神は捻じ曲がっていたが、わずかな期間「陽の者」と接し、さまざまな承認を受け取ることで、その精神状態は著しく改善した。ならば僕自身の発達障害(コミュ障や対人恐怖)は上書きが可能である。言い換えると、僕の自覚していた発達障害は後天的な形質である

つまるところ、僕が発達障害になったのは、毒親の養育環境が原因であり、僕自身に遺伝的な発達障害はないのではないか

実際に発達障害は遺伝するという論も根強い。そして恐らく、それは誤りでもない。毒親と僕は、親子の関係である以上、一定程度以上に親の遺伝子が僕にも含まれている。

junny-policies.hatenablog.com

また、毒親毒親たる様々な言動が、発達障害によるものであると仮定する。発達障害特有の、不安と否定とが渦巻く養育環境に最適化するため、僕は発達障害になるべくして発達障害になった。その最適解は、他人を信頼せずただ1人で生きることだった。

その意味で僕の精神は捻じ曲がっているが、それはつまり僕自身の発達障害遺伝子によってそうなったのではなく、毒親の養育によって発達障害にさせられたのだ。

今の僕はこのように考えている。僕の場合は、毒親発達障害の遺伝子が僕に遺伝したのではない。毒親発達障害だったから、僕もそれに染まって発達障害になっただけだ。親子揃って発達障害であるのだから、外目には発達障害は遺伝すると観察されるというわけである。

そうなると、僕たち毒親育ちのライフハックも見直しが必要になってくる。つまり、僕たちはどんなに小さなことでもいいから、誰かに承認される必要がある。

恐らく最も手っ取り早いのは、職場での信用と信頼を高めることだろう。どれだけ労働をしたくなかろうと、生きている以上、職場という環境に赴いて労働をしなければならない。その労働をうまく利用し、僕たちは失われた自己肯定感を回復する必要がある。

junny-policies.hatenablog.com

まぁ僕たち弱者男性の周囲に、そうやって僕たち自身を認めてくれる人が現れるかどうかは、本当に運次第のところもあるのだが。職場や職種にも得手不得手があるし。難しければ何度も転職を繰り返すことになる。毒親育ちってのはそうやって「自分の居場所」を見つけるだけで精一杯にならざるを得ないんだよな。

毒親育ちが生きるって大変だ。

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