非モテ恋愛弱者のブログ

旧「非モテ系のままで生きていくブログ」から、恋愛弱者男性ブログに進化しました。レベル36の限界中年/異常独身/非モテのブログ。もう人生折り返しました。残りの人生を頑張らないで生きていこうと思います。なおこのブログには、モテる方法は1つも書いていません。

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【緩やかな自殺】ドカ食い気絶して早死にしたい。けれど太りたくもない話する

僕は正直、この人生にとっくに飽きている。日本人男性の平均寿命は82歳だというが、僕はそんな年齢まで人生を全うするつもりはまったくない。僕が82歳で死ぬとすると、僕はあと45年間も生きなければいけないが、僕にはもう人生でやることがないのだ。

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37歳にして、僕の人生は終活モードである。行きたい場所にはだいたい行き、やりたいことはだいたいやり、食べたいものはだいたい食べた。もちろんいくつかやり残しはあるのだが、もう何年かのうちにやれることばかりだ。ここ何ヶ月かは毒親成分が解毒されていきているから、恋愛なんかも今更ながらやってみたくもある。しかしそれはあまりに遅すぎた。

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人生は何かを為すには短いが、何もしないのには長すぎる。そういうわけで、僕は残りの人生を30年程度で終えたいと思う。独身の場合は65歳程度だというので、生涯独身で人生を終える僕にとって、残りの人生を30年と割り切ることは妥当であると思う。

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逆に言えば、65歳以上にならないように、僕は注意する必要がある。僕はこのブログの他のエントリで何度か指摘しているが、長生きすることは非道徳的であり、合理性に欠ける。誰も僕が長生きすることを望んでいない。つまり僕が間違って80歳まで生きようものなら、さらに十数年にわたって、僕は周囲からの淘汰圧力に抗わなければならなくなる。

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それはとても息苦しいことだ。質の高い人生とは言えない。僕の人生の質が高くあるためには、僕はあと30年で死ななければならない。

そうすると、僕が何度かこのブログで推奨している「ドカ食い気絶」という活動にも、1つのメリットが浮上してくる。ドカ食い気絶によって腎臓や動脈に蓄積的なダメージを与えることは、そのまま寿命を短縮させるメリットとして受け取れるという点だ。

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様々なWebサイトが指摘している通り、ドカ食い気絶は身体にいい行為ではない。ドカ食い気絶はインスリンの大量分泌を催し、インスリンの筋肉への受容が鈍れば糖尿病となる。高血糖の状態が続けば、腎臓の濾過機能がダメージを受ける。糖尿病は様々な合併症を引き起こすうえに、透析を行わなければ数日のうちに死ぬという、極めて死にやすい状態を獲得することができる。

2023年4月17日追記:ツイッターのフォロワーさんに、腎不全は相当の苦痛を伴うことを指摘されたため、記しておく。ドカ食い気絶は自己責任でお願いしたい。

糖尿病の発症と人工透析が必要な状態に変化させることが、最も望ましいゴールである。自分が生きるか死ぬかを自分で決められることが、どれだけの自由を僕たちにもたらすだろうか。考えただけでも胸が躍るではないか。

そうでなくとも、事ここまで至ると血液は粘性を増し高血圧を誘因するし、その高い血圧は動脈内膜を損傷し、いずれ大動脈解離などの致命的な病因になる。実際僕などは、健康診断の血液検査で脂質代謝異常の判定が要経過観察の判定になっていて、順調に僕の血液と動脈にダメージが蓄積されている証拠も得ている。

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ところで、このエントリの趣旨でもあるが、いくら早死にしたい弱者男性諸君とはいえ、その体が醜く太くなっていくことを是とする人は少数派だろう。諸君の体型が引き締まっているとも思わないが、重要なのは、健康寿命を維持することだ。外面的には健康であり続けつつ、体の内部が破壊されているという有り様が最も望ましいことだ。

ここで僕たちは一見相反する要求に対応しなければならないだろう。すなわち、①ドカ食い気絶をして幸せになりたい、②ドカ食い気絶によって早死にしたい、③ドカ食い気絶を習慣化しても太りたくない、の3つである。

諸君が③を考えた時、諸君は運動するか、食べる量を控えめにすることしかできないだろう。それでは健康になってしまうではないか?と諸君は問うだろう。僕はこの質問に答えようと思う。

端的に言って、運動することは、ドカ食い気絶の早死にを妨げるものではない。そうでなくとも僕たちは、死というゴールに向かって毎日歩き続けているのだ。ドカ食い気絶はその死に向けて、少しだけ背中を押しているにすぎない。

大事なことは、運動することによって寿命は長くならないということだ。運動によって、諸君の心肺機能や筋力などは向上するかもしれないが、膵臓や腎臓、動脈内膜に与えられたダメージは解消しないのだ。どんなに強いやつでも内臓は鍛えられない。安心していい。好きなだけ運動するがいい。概して運動はできた方が、何をするにせよ人生の品質が上がるというものである。

僕も定期的なドカ食い気絶を欠かさない。最近それで体重が60kgを超えた。僕の身長は160cmなので、身長マイナス100を越えてしまうことは危機的に思われたので、定期的な運動と食事量の減少を試みた。僕の体重は今は58kgだが、55kgを目指し、運動とドカ食い気絶を繰り返している。

確かに僕は今、運動習慣を取り入れたことで、身体面は快調である。よく眠れもするから健康的だ。しかし確実に膵臓と腎臓と血管にはダメージが蓄積されている。これはいいことだ。これを続けていれば、僕はおそらく死の際になるまで、健康的でい続けられるはずだ。

健康的なのにも関わらず早死にすること。昔の言い方だとピンピンコロリというやつであり、最も理想的な死に方の1つである。僕はそれを目指したい。ドカ食い気絶と運動習慣を組み合わせによって、ピンピンコロリは意外と現実的だとも思われる。

欲を言えば、僕が酒が飲めたなら、アルコール中毒にならない程度に酒を浴びて肝機能障害に至らしめたかったし、タバコをやれたならタバコを習慣づけて肺を真っ黒に汚染し肺がんを誘発したかった。残念なことに僕はアルコールアレルギーなので、摂取しようものなら普通に命に関わるから常用できない。タバコは臭いがダメだった。

これらが受け入れられれば、僕の寿命は50歳代まで短くできただろうに。詮無いことだ。

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親からもらったこの体を大切に、だと?僕の親は毒親だから体をもらったところで何のありがたみもないし、もらうならせめて身長が170cmはある個体であってほしかった。結局のところ、僕の体をどうしようが僕の自由だ。僕は自由になってやる。僕は緩やかな自殺を試みているのだ。死ぬタイミングすら、自由に決められることを証明しよう。

不慮の事故で死なない限り、ドカ食い気絶と運動習慣を通じて、僕は間違いなく30年後に死ぬだろう。その時まではてなブログが存在し続けていれば、僕はきっと答え合わせをしたいと思う。

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