非モテ恋愛弱者のブログ

旧「非モテ系のままで生きていくブログ」から、恋愛弱者男性ブログに進化しました。レベル36の限界中年/異常独身/非モテのブログ。もう人生折り返しました。残りの人生を頑張らないで生きていこうと思います。なおこのブログには、モテる方法は1つも書いていません。

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ドカ食い気絶の幸福感がヤバすぎる。それで早死にする人生も悪くないよな

ドカ食い気絶を非モテの食文化として確立したい

「ドカ食い気絶」という活動を聞いたことがあるだろうか。僕もこのドカ食い気絶を何度も繰り返しており、その度に幸せになっている。すでになんjなどの多くの5ちゃんねる掲示板で注目されているドカ食い気絶。今日僕は、非モテ独身男性がなぜこの謎の活動にハマるのか、そしてドカ食い気絶を勧める理由を語ろう。

ドカ食い気絶の目的は、ひとえに幸福感に包まれたまま眠ることだ。学校給食でもランチビュッフェでも何でもいいのだが、お腹いっぱいに食べた後に睡魔に襲われた経験が誰にでもあるだろう。あの睡魔は事更に甘美な幸福感を連れてくる。それによって数十分ほど眠ることは、おそらく最も人間が活力的になるための事前準備でもある。目覚めた瞬間、僕たちはほんわかふわふわとした幸福感を覚える。

これを学校でやると先生に怒られるわけだが、立派な大人になった僕たちに、生活態度にうるさい先生などいない。そういうわけで僕たちは、場所さえ弁えれば、どこでも気絶することができる。全てが穏やかで澄み渡った寝起きのあの一瞬のために、僕たちはドカ食い気絶をするというわけだ。

junny-policies.hatenablog.com

ドカ食い気絶とは何か

ドカ食い気絶のやり方は簡単だ。炭水化物、脂質に富んだ食品を短時間に大量に摂るだけでいい。それはビッグマックとポテトとナゲットのセットであり、日高屋のラーメン餃子半ライスであり、カップ焼きそばの超大盛であり、安楽亭の満腹ランチカルビ200gセット定食である。それらを15分ほどで胃に流し込む。やることはこれだけだ。

近くにスーパー銭湯か何かがあるなら、組み合わせるのもいい。岩盤浴の昼寝とこのドカ食い気絶をセットにすると、目覚めたときには体全体が軽くなって、非常に気持ちいい気分になれる。

ドカ食い気絶について調べると、心優しい健常者どもが、ドカ食い気絶の危険性を僕たちに語るのを見るだろう。まったく余計なお世話だが、そんな健康的で健常なWebサイトのPVを増やしてやるのもシャクに触るので、僕もこのエントリで簡単にドカ食い気絶の機序をしよう。

吉野家の牛すき鍋定食・ご飯大盛・肉2倍盛

人間は炭水化物や脂質を摂取すると、それが小腸から吸収されて血糖値が上がる。通常はこの機序によって、人間は「元気が出る」状態になるのだが、食べるスピードが早くて血糖値の上昇ペースが通常の範囲を超えた場合は、その血糖値を下げるホルモンである「インスリン」が膵臓から大量に分泌される。

そのインスリンの働きにより、今度は体が低血糖の状態となり、糖分の不足を検知した脳は肉体が疲労していると判断し、休息を促すために眠気を催すというわけである。この時、血糖値は急上昇の後急降下し、グラフが針のように見えることから、血糖値スパイクと呼ばれる。

この血糖値急上昇とその後に続くインスリンの大量分泌により、意図的に、かつ擬似的に疲労状態を脳に認知させ、眠気を催起させる。これがドカ食い気絶の本質である。

ドカ食い気絶が体に悪い?だから何だというのか

大前提として、ドカ食い気絶は身体に「いい」行動ではない。動脈硬化や糖尿病の原因になる?腎臓が壊れる?肥満になる?そんな事を続けていたら長生きできない?それはその通り。そんなことは分かっている。むしろ上等だ。望むところだ。僕たちはドカ食い気絶をやめられないのだから。

junny-policies.hatenablog.com

僕たちはドカ食い気絶をやめられないほどに、実生活の上がり目がないことに絶望しているのだ。こんな人生なんて生きていても意味がない。長生きなんかもっての外だ。そんなクソゴミみたいな人生の中に、2つの解放がある。1つはドカ食い気絶による睡眠への逃避、もう1つは死だ。

ドカ食い気絶に幸せを求める不幸な人々

ドカ食い気絶をするのは、今が幸福ではない者たちだ。僕たちは40歳に差しかかり、いよいよ人生折り返しを過ぎたところである。

今僕たちは、1つの絶望を知っているのだ。僕たちが死んでも誰も泣くものはなく、僕たちが生きていても誰もそれを歓迎するものがないことに気づいている。それを僕たちは孤独と表現する。

僕たちは誰からも存在することを歓迎されず、生存することを期待されない者たちである。それは端的に言って不幸でしかない。

僕たちは何かの拍子に生まれてきてしまい、今こうして生きてしまっている以上、今すぐこの場で自分の命を絶たない限り、これからも不本意ながら生きてしまうことだろう。そのために大してやりたくもない仕事をし、周りの人間に愛嬌をばらまき、黒いものを白いと言うことすらある。

こうして僕たちは生きるために、様々な抑圧を抱えている。それはストレスとして、僕たちに「長生きしたくない」という欲求を感じさせることになる。

junny-policies.hatenablog.com

当面自殺などしないならば、ストレスからは逃れられない。ストレスをリフレッシュするための美しい妻や可愛い子供、あるいは周囲の心優しい人間があるわけでもない。繰り返すが、僕たち弱者男性は孤独なのだ。独りでストレスを抱え込んだならば、独りで解消する必要があるのだ。

運動も社交もダメとなれば、食うしかない。食って寝るしかない。スポーツもできず社交性に乏しい僕たちのような低スキル低スペックの非モテ弱者男性の幸せは、ドカ食い気絶にしかないのだ

ドカ食い気絶。何とも素晴らしい響きだろうか。先程の健常者どもが警鐘を鳴らすとおりなら、僕たちはドカ食い気絶をすることによって、食べたいものを食べたいだけ食べて食欲を満たすと同時に、一時の安らかな微睡まどろみを手に入れられるばかりか、来たる死をもその身近に手繰り寄せることができるというのだ。

まさに一石三鳥

ついでに言えば、ドカ食い気絶は、例えばアルコール依存症と違って社会性を損なうような常習性はないし、大麻や薬物などとも違ってそもそも違法性はない。ドカ食い気絶は合法ドラッグであるとすら言えるだろう。しかも本家のそれと比べて圧倒的に安価で体験しやすくもある。攻守にスキがなくて大変よろしい。

僕自身は37歳となり、残念なことに食が細くなりつつある。マクドナルドのバリューセットはポテトをSサイズにしてもらわないと食べ残す程度に、油ものは少々胃に堪えるようになってしまったのだ。僕がいつまでドカ食い気絶ができるかは分からない。けれど僕は定期的にドカ食い気絶を行うだろう。それは暖かな昼下がりの微睡みと死、2つの至福の眠りへのいざないである。

それでいいのだ。僕たちは太く短く生きるべきなのだ

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ドカ食い気絶を通じて自分の人生を取り戻そうぜ

もう1つ、ドカ食い気絶における弱者男性の視点を説明しよう。何かというと、ドカ食い気絶というのは、自分自身の人生を取り戻すための活動であるということだ。

美味しいものを腹いっぱい食べたいだろう。欲望を解き放つがいい。命はもっと粗末に扱うべきなのだ。命は丁寧に扱いすぎると澱み腐る。

僕は弱者男性諸君に尋ねる。諸君は長生きして澱み腐った長生きとして在ることを良しとするのか?

健康診断で引っかかるから……医者に肥満を指摘されたから……野菜を食べろと言われたから……運動しなければ……痩せなければ……。

まったく、諸君は一体どこを向いて生きているのか。そうやって我慢した先に何が残っているというのか。どうせ年を取れば二郎系ラーメンなど食べられなくなるというのに、なぜ諸君は今そこにある二郎系ラーメンを先送りにするのか。

運動しなければいけない?なぜ走りたくもないのに走らなければならんのだ。野菜を食べなければいけない?食生活の改善?余計なお世話だ。やりたくもないことをやるのは、それで金がもらえるときだけで十分だ

二郎系ラーメンが、かつやのヒレカツエビフライ定食が、日高屋のラーメン餃子ライス定食が、近所のインド料理店のランチカレーバイキングが、サイゼリヤのリブステーキランチ+ペペロンチーノ大盛が、諸君に喰われる時を、今か今かと待っている。

食欲を解放せよ。食べたいだけ食べ、眠りたいだけ眠り、走りたいだけ走る。そんな当たり前の人生を取り戻そう

もしかしたら暴飲暴食に逃げようとする諸君を、常識的な誰かが止めるかもしれない。その誰かに支配されて、暴飲暴食の欲求を内側に閉じ込めてはならない。諸君は暴飲暴食に溺れたいのだ。ならば溺れるがいい。欲望を解放するのが下手なやつは、何をしてもダメだ。

それで早死にするというのか。自分の人生を自分の欲望通りに生きることができたなら、それで多少寿命が早まって60歳を迎えずに死を迎えたとしても、僕たちの人生など誰にも惜しまれないのだから、何の悪いことがあるだろうか?誰にも生存を求められない人生を80年続けるよりも、より善く生きることができるというのに。

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