非モテ恋愛弱者のブログ

旧「非モテ系のままで生きていくブログ」から、恋愛弱者男性ブログに進化しました。レベル36の限界中年/異常独身/非モテのブログ。もう人生折り返しました。残りの人生を頑張らないで生きていこうと思います。なおこのブログには、モテる方法は1つも書いていません。

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高齢の出産や子育てに反対する。子供とかいう負債なんか要らない

子供が欲しいから結婚したいという願望

僕の何人かの同級生友人は非モテ男である。僕たちはもう37歳になる(なった)。僕はもう15年も前に結婚を諦め、10年も前に自分の子供は生まれてくるべきではないと悟った。しかして彼らは、未だに結婚を諦めていない。その理由は、子どもが欲しいからだという。

僕は弱者男性が結婚のために努力することを否定しない。結婚などするだけすればよい。できるものなら。

しかし、それが子供となってくると、話はそう単純ではなくなると思う。率直に言って、僕たち中年以降の弱者男性は、子供を望むべきではないのだ

このエントリでは、中年になってから子供を望むべきでない理由を語ろう。結婚できないけれど子供がほしい弱者男性の諸君がこれを読んだ時、子供を持つことが合理性に欠ける選択という視点もあると認識してもらえれば、とても嬉しく思う。このブログは弱者男性向けであるが、このエントリに限っては、(もし存在しているのであれば)未婚の弱者女性にとっても参考になるだろう。

子供を望むタイムリミットは過ぎた

改めて指摘するが、僕たちはもう37歳である。中年と呼ばれるのにふさわしい年齢となりつつあり、いよいよ人生折り返し。自分の分身をこの世に残し、自分の遺伝子を継承させることに焦る気持ちは、十分に理解できる。諸君はそのタイムリミットが刻一刻と迫っていることに、焦燥を感じているのだろう。

しかしてそれは誤りである。子供を持つタイムリミットはとっくの昔に過ぎていたのだ

そもそも人間は、10代後半に生殖できる状態にまで肉体が完成し、20代までに子供を儲けて育てることに最適化された生物である。この年代の有り余る性欲は、遺伝子が最も良好な状態で継承され複製されるためであり、遺伝子のその要求に従って脳は性欲を認知するのである。僕は再三このブログで指摘しているが、人間は遺伝子の仮初の乗り物にすぎない。個々の人間は、遺伝子を複製し継承するための手段に過ぎず、全ての行動様式は遺伝子が決定している。

junny-policies.hatenablog.com

それらの説明は他のエントリに譲るとして、僕が伝えたいのはつまりこういうことだ。10代後半の有り余る性欲と、20代にかけての無尽蔵の体力は、本来は子供を育てるために使うべき資本であったのだ。どうせモテないからと同性の友人と遊びまくったり、オタ活に邁進したり、ブラック企業での労働のために費やされるべきではなかった。しかし僕たちは愚かにも、無自覚にそのように子育てに最も適した期間を、子育てのパートナーを得ることなく無為に過ごした。そのツケが今になって回ってきたというわけだ。

一言で言えば、今更遅いのだ。今まで何をやっていた。そんな言葉が僕にもブーメランのごとく突き刺さっている。

適応度の低い遺伝子の持ち主

いや、高校・大学・社会人の若手時代にかけてきちんと異性関係をこなしていたやつはともかく、ブラック企業の労働に苦しんでいるのに、結婚や子孫の獲得ができているやつもいる。何が違うというのか?

答えは、遺伝子の社会適応度が違うのだ。顔の造形や身長、毛髪の豊かさ、声質、その他異性に訴える諸々の性的魅力が違うのだ。だから何をもってか知らないが、彼らはどこかから異性を獲得することができる。適応度の高い遺伝子の持ち主を、周囲の人間は放っておかない。逆説的に、諸君は適応度の低い遺伝子の持ち主だから、放っておかれたのだ。諸君は性的魅力に乏しかった。身長が低く、顔の造形は猿のようで、毛髪は薄く、声は甲高かったのだ。

junny-policies.hatenablog.com

つまり僕たちは、この30代後半という年代になっても未婚であり子供がいないことをもって、遺伝子の社会適応度が低いということになる。この時点でその遺伝子は、継承する価値を持たず、淘汰されるべき存在となる。未婚の僕たちの遺伝子は継承されるべきではない。それは誰にも必要とされず、少なくとも今後何百年かにわたって必要とされることのない遺伝子である。

ダーウィンの進化論では、社会環境に適応的ではない遺伝子は淘汰される(適者生存)。顔の造形やコミュニケーション能力全盛の現代社会に適応的でないこれらの遺伝子は、同じように淘汰されるしかないのだ。

マッチングアプリでしか結婚できないような、性的魅力に乏しい恋愛弱者どうしの子供など、生まれてきたところで弱者の遺伝子の持ち主として人生を全うすることになるに違いないのだ。諸君は無慈悲にも、諸君のような弱者遺伝子の持ち主を、より経済的にも恋愛的にも厳しさを増す日本社会に放り出すつもりなのか。

junny-policies.hatenablog.com

適者生存の原則。この原則に反した個体は、何かの間違いで誕生したとしても、将来は「生きづらい」と苦しむことになる。その個体の配偶子は適者ではないからだ。つまるところこれは、諸君が抱えている「生きづらい」という苦しみを、将来世代に先送りしただけにすぎない。諸君は生殖にありつけて気持ちよく生涯を終えることができるが、残された諸君の遺伝子の継承者は、諸君らと同じように、生きづらさに苦しむだろう。

愛する我が子が苦しんでいるさまを見て喜ぶのか。自分たちは生殖にありつけたからあとは知らぬ存ぜぬというのか。この人でなしめ。

精子卵子は高齢になると劣化する

僕が高齢出産や子育てに反対する理由はそれだけではない。事実として、精子卵子は加齢とともに劣化するのだ。

kuroda-imr.com

精子は加齢とともにそのDNAが損傷している割合が多くなるし、卵子は同じように染色体異常のリスクが高まる

その昔、人気アーティストの倖田來未「35歳を過ぎると羊水が腐る」と発言して、謝罪に追い込まれたことを思い出す。「羊水」ではなかったにせよ、良好な状態の自然妊娠は35歳以前であることが望ましいのは医学的にもそのとおりであり、上記のとおり精子卵子も劣化するのは事実であるから、あながち間違いでもなかったというオチがあった。思い返せばこれは1つの「事実陳列罪」である。

余談だが、彼女がなぜ「35歳」とピンポイントで言及したのか根拠は分からないが、様々な文脈での「女としての限界」を、彼女はすでに何らかの感覚を持って認知していたのかもしれない。彼女のファンはDQN系が多かったから僕はそんなに好きではなかったが、僕はこの一件で彼女を見直したものである。

これを叩いていた面々は、女は25歳を過ぎたら価値なしとしていたクリスマスケーキ理論がまかり通っていた事実を、どう説明する気なのだろう。

40歳50歳になっても子供は作れると反駁するのか。なるほど諸君は、老いてからも精力旺盛で50歳を過ぎても子をなした郷ひろみ石田純一のごとく自身を認識しているのか。しかし諸君は郷ひろみではないし、石田純一でもない。諸君は顔の造形は悪く、稼ぎも悪く、何の才能もないモブである。

才気と容貌に優れる芸能人どうしならともかく、ただでさえ弱者たる諸君であるのみならず、その配偶子はDNAが損傷した精子と、染色体異常の卵子である。弱者個体に由来するエラー受精卵から発育するのは、弱者因子を継承した弱者個体であり、それはもうただの弱者の再生産になるだけではないか。

そういう意味で、むしろ高齢結婚による不妊は良いことだといえる。エラー遺伝子起因による先天性疾患や障害の持ち主を養育することに、苦しむことがないからだ。素晴らしいことに、これらの障がい者を誕生させることは、諸君が避妊さえきちんとすれば回避できる。諸君が子供さえ望まなければ、障がい者に悩まされることのない、安定した生涯を送ることができるのだ

またまた余談だが、母親は僕を生んだ時37歳、弟を生んだ時41歳だった。生きづらさを抱えているのはこの親が毒親だったからだが、兄弟揃ってASDのコミュ障気味に育ったのは、母親が高齢出産だったこととあながち無関係でもなかろうと思う。

ところで、子供がいない状態であれば、例えばダブルインカムで生活水準を上昇させる(Double Income No Kids:DINKSという人生の進め方も現実的になる。何より将来の日本という暗黒国家のもとで愛する自分の子供に苦しい人生を歩ませるという心配がないのは、大きなメリットだ。弱者男性の結婚の最も望ましい姿はこのDINKSだろう。

この形態であれば、結婚することによる社会的メリット(体裁や税制面など)を享受しつつ、教育関係の支出を抑制することで自身の生活の質を向上させることができる。しかしてそれは、子供がほしい諸君には受け入れがたいというのか。

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考えてもみたまえ。諸君はもう30代後半なのだ。諸君が男であれ女であれ、そのパートナーとなる異性を思い浮かべてみるがいい。

婚活市場で最も人気が高い20代のパートナーを、30代で婚活でもしなければ異性を獲得できない程度にイケてない諸君が、獲得できると思うのか?30代前半の男性と20代後半の女性のマッチングが最も多そうであるが、諸君はその年代から5歳以上も高齢である。そもそも諸君ごときが20代の異性とマッチングすることを求めること自体、甚だ図々しい。身の程をわきまえるがいい。

もっといいお題ないの? - スタイルへのボケ[87334728] - ボケて(bokete)

諸君の子供は低スペックなので、生まれても生きづらさを感じて苦労するだろう。精子卵子が劣化して不妊になるか、子供が生まれても障害を持つリスクが高くなるだろう。そもそも諸君は20代の結婚・出産に適した年齢層とマッチングしないであろう。これらの事実を指摘しても、なおさら子供を望むというのか。

ところで、タイミングがミスマッチになるのは年齢だけではない。体力面も然りである。諸君はもう中年であるから体力も落ちている。冒頭で書いた通り、若かりし頃の無尽蔵の体力、子育てのために与えられた体力は失われた。その体力なしで、最も体力を要する幼少期の子育てをやり抜くつもりか。

諸君にも仕事があるだろうし、このご時世で専業主婦の子育てもままならぬだろう。その衰えた肉体で、仕事と子育てを両立できるか?自らの生命力を削ってまで子育てを遂行する気力と覚悟があるというのか?

子供がいる限り、働き続けるというリスク

ならばその覚悟の程を問おう。諸君はいったいいつまで働き続けるつもりか?

当たり前の話をするが、子供を育てるということは、その分のコストがかかるということである。諸君が資産家の出自で、親が年金暮らしで、潤沢な資金が準備できるというのなら、この段落は当てはまらないだろう。しかしてそうでない場合は?夫側・妻側各々の両親に頼ることなく、諸君は養育費用を工面しきれるのか?

冒頭で僕が指摘した通り、諸君は遅すぎたのだ。子育てを始めるのが遅すぎた。年齢は不可逆だ。子供の年齢に関係なく、諸君は役職定年を迎え、定年退職を迎えるのだ。

僕はこのように考える。何だかんだで、東証プライム市場に上場しているような企業に就職すること、その中でも特に平均年収が高い企業から社会人生活をスタートできれば、人生において大きなアドバンテージとなる。そのような「良い企業」に就職することをゴールにして子供の人生を逆算した場合、最終学歴を有名大学卒業にするか、あるいは理系の専門学校で手に職をつけるかの2択が考えられる。

どちらの場合も、高額な学費がかかる。それは大学の授業料だけではなく、予備校や学習塾の費用もある。そしてそういう「いい大学」に入学するには、推薦入試か一般入試を経る必要があり、前者の場合は部活動か学力、後者の場合は学力の勝負となる。

ここで戦えるだけの部活動の実績を獲得するには、サッカーでも野球でも何でもいいのだが、卓越した身体能力を育成する必要があるし、その場合は幼稚園の頃から体操や水泳、サッカー教室やリトルリーグでその才能を芽生えさせる必要がある。もちろんそこで教育費がかかってくるわけだし、スポーツの場合は遠征費用もかかってくる。

一般入試の場合は、高校が進学校かつその中でも成績上位を維持できなければ、大学入試においては後れを取るだろう。この場合は常に大学入試を意識した学習の習慣づけが必要になる。

この場合は親の側に、子供に(友人関係を学ばせるため適度にスポーツやゲームをやらせつつ)勉強させるという非常に高度なマネージメントが要求される。また大学入試の攻略作戦(配点や得意科目から、将来の就職に貢献できる大学の選定)を考えるうえで、親自身が大学の一般入試を経験していることが望ましい。必要に応じて中学校から私立の進学校に通わせたり、語学面で勝負するならインターナショナルスクールに通わせるというのも選択肢として考えられる。

そうすると更に金がかかる。当然ながら、小中高と、通常の学生生活でかかってくる諸々の費用がかかってくる。諸君にこれらの教育資金を提供するだけの資本が手元にあるのか?もしこれらの準備がなければ、推薦されるだけのスポーツ能力もなく、やっとこさ一般入試で中堅どころの大学に入学し、有象無象の就活生となってパッとしない中小企業に入社し、給料もステータスも低く、婚活市場で価値のない弱者男性の一丁上がりである。

一方で僕たちが37歳で今すぐ子供を儲けたとして、子供が高校に入学する16歳の時点で53歳、つまり役職定年まであと2年である。大学か専門学校に入学する19歳の時点で56歳。この時点では役職定年を過ぎているため、大幅に年収が下がっているはずだ。なのに学費は最もかかるというわけで、学資保険で何とかするか、貯金を切り崩すかしかなくなる。

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ただでさえ賃金が伸びない社会環境である。エスパーするが、諸君は大して高収入でもないだろう。つまり貯蓄もないだろう。だから結婚に二の足を踏む弱者なのである。高収入であるか、豊富な資産を抱えているのであれば、未婚の弱者男性になるわけがないのだ。

しかし諸君が子供を育てたいと思うなら、そんな社会環境に抗って、業績を打ち立てて出世するか、より高給の企業に転職する必要がある。弱者たる諸君にそんな芸当ができるというのか?

子供は人生の足かせ。わざわざ括りつけなくてもいい

実際のところは、仮に諸君が結婚したとしても、自分たちの生活防衛で精一杯になるのではないか?そこにさらに子供という重しを抱えて、身動きが取れなくなり、自身も子供も不幸にしてしまうことこそ、最も忌避するべきことではないのか。

諸君が疲れ果てても、どれだけ精神を削られても、子供がいる限り労働を辞めることはできない。諸君はわざわざ不自由になりにいくつもりか。人生の足かせを増やしてどうする?

子供がいればあらゆることに制限がかかる。趣味に興じることもできなければ、気軽にに旅行に赴くこともままならなくなる。しかも何かしら移動したり行動したりするのに、子供の分も金がかかる。飛行機や新幹線や旅先の食事で。大人の2人1人ならまるで余裕なのに、子供がいるだけで挙手一投足のコスパが極めて悪化する。

子供なんて、そのコスパの悪さが許容できる勝ち組エリートの贅沢品になったのだ。弱者男性にして普通以下の年収しかない僕たちが望んでいいものではない。

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奨学金を借りるというのか?それは望ましくない。僕のように貧乏母子家庭出身の場合、大学4年分の学費を全て奨学金で賄うことで、配偶者を得るのに最も適した社会人最初の10年間に、奨学金の返済が重くのしかかることになる。低収入のままに甘んじ、結婚なんてとても考えられず、それは結局生きづらい人生を歩ませてしまうことになるだろう。

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ここまで読んで、未だに諸君は子供がほしいというのか。ならばその覚悟は本物だろう。できればその子供が将来、僕のブログを読みにくるような弱者層に転落しないことを願う。

または子供を望む心が少しでも揺らいだのなら、今からでも遅くはない。子供を持たない側へ歩き出すがいい。これからの自分自身のためにも、生まれてきてしまい社用国家日本で塗炭の苦しみを味わうであろう愛する我が子のためにも、諸君にとって最適な判断をしてもらいたい。

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