戦争博物館・戦跡巡り
零戦三二型目当てで大刀洗平和記念館を訪れた 先日福岡に遊びにいったときのことである。大宰府参りの帰り道、僕は大刀洗平和記念館に立ち寄った。大刀洗平和記念館は、かつて国内有数の飛行場だった太刀洗飛行場の跡地に建てられた戦争博物館である。僕がこ…
僕が鹿児島県を訪れた理由は、知覧特攻平和会館の訪問以外にも、もう1つある。それは世界に誇る日本の飛行艇技術の黎明にして傑作、二式飛行艇(二式大艇)の実機を見ることだった。 二式飛行艇は以前は東京・お台場の船の科学館に展示されていたが、現在は…
河口湖のほとりに別荘が立ち並ぶ。そんな森と別荘の合間に、知る人ぞ知る飛行機と自動車の博物館がある。 河口湖自動車館・飛行館というこちらの博物館では、その名の通りクラシックカー、スーパーカー、そして太平洋戦争期を中心とした航空機を中心とした展…
旧日本海軍の零式艦上戦闘機と、同陸軍の一式戦闘機「隼」。どちらも太平洋戦争期の日本軍の主力戦闘機として名高い機体である。今でこそ知名度は零戦のほうが上だが、当時は加藤隼戦闘隊の活躍もあり、どちらかというと一式戦闘機のほうが人気があったらし…
この日僕の中で壊れたものは、おそらく人類そのものに対しての信頼とか希望とか、そういうものだと思う。 それは怒りであり、悲しみであり、恐怖であり、戦慄であり、絶望であり、疑問であり、理解不能であり、それでいて真実であった。 ホロコースト記念博…
日本とアメリカの戦争観の違い アメリカ合衆国の首都ワシントンDCの郊外には、アーリントン国立墓地という、アメリカ軍人の墓所がある。 かつて僕は、大阪の真田山陸軍墓地と、広島の呉海軍墓地を訪れたことがある。 junny-policies.hatenablog.com 軍オタで…
アメリカの首都ワシントンDCには、スミソニアン協会が所有する大規模な博物館が複数営まれている。そのうちの1つ、アメリカ航空宇宙博物館の別館(ウドバー・ハジー・センター)の航空機コレクションは、僕がこれまで訪れた中で最大のものである。 ウドバー…
ベルヴェデーレ宮殿から南東へ10分ほど歩くと、赤いレンガ造りのがっしりした建物がある。これこそがウィーン軍事史博物館である。 もともとは、1848年にヨーロッパに吹き荒れた革命(諸国民の春)を目の当たりにしたオーストリア皇帝フランツ・ヨーゼフ1世…
ミリタリーオタクだからこそ、戦跡巡りをする 僕はミリタリーオタクである。専門分野は第二次世界大戦期の軍用機と軍艦。銃器や戦車には疎い。そして僕はミリタリーオタクである以上、僕が愛でている兵器それ自体について、正しく理解をしなければならない。…
現在はアジア随一の経済成長率を誇り、先進的なIT企業やハイテク企業が集積するシンガポール。シンガポールと日本は、現在こそ経済的にも政治的も協力体制にある。 しかし両国が歩んできた負の歴史という側面を、忘却の彼方へ置き去るわけにはいかない。 日…
シンガポールと日本の関係は歴史深いものがある。それは日本人貿易商の山本音吉がシンガポール定住者第一号となった1862年に始まり、それから多くの日本人が移住したり、あるいは貿易を行った。その中には、この日本人墓地に墓碑として刻まれている「からゆ…
8月6日という日付と、午前8時15分という時間を聞いて、ピンとこない日本人は稀だろう。太平洋戦争末期の1945年8月6日午前8時15分、人間に対して人間が核兵器を使用した瞬間である。 広島は実際のところ、近隣の呉や岩国と並んで巨大な軍事都市であり、戦略上…
旧日本海軍とともに発展してきた広島県呉市。かつて軍港都市として栄えた歴史あるこの街の一角に、日中戦争や太平洋戦争などで散っていった海の兵どもの鎮魂の聖地がある。それがここ、長迫公園にある呉海軍墓地である。 折しも、大阪・天王寺区にある旧真田…
大和ミュージアムに行こうぜ 「男たちの大和/YAMATO」という映画をご存知だろうか。太平洋戦争末期、敗色濃厚となった旧日本海軍において、米軍の猛攻にさらされた沖縄を救援するべく立ち向かい、海に散っていった戦艦「大和」の乗組員の激闘を描いた映画で…
心に重すぎる一撃と、平和に対しての問いかけが与えられる 鹿児島県南九州市知覧町郡。武家屋敷と茶畑が広がる緑豊かな集落の合間に、知覧特攻平和会館がある。鹿児島中央駅からバスで40分。特攻観音停留所から歩いて数分のところ。かつては旧日本陸軍の飛行…
Freedom is not Freeの重すぎる意味 韓国の首都ソウルにある戦争記念館は、韓国最大級の戦争博物館である。65年前に発生した朝鮮戦争とその後の国際連合と韓国の関わりについて、記録と史料を後世に伝えるための博物館である。兵器関連の展示物も多くあるが…