【飛行機ヲタの聖地】アメリカ航空宇宙博物館別館に行こうぜ【ウドバー・ハジー・センター】
アメリカの首都ワシントンDCには、スミソニアン協会が所有する大規模な博物館が複数営まれている。そのうちの1つ、アメリカ航空宇宙博物館の別館(ウドバー・ハジー・センター)の航空機コレクションは、僕がこれまで訪れた中で最大のものである。
ウドバー・ハジー・センターは、ワシントンDC市街地内のナショナル・モール内にあるアメリカ航空宇宙博物館の別館扱いで、主に軍用機、民間機、そしてスペースシャトル関連の展示が大変多いことが特徴である。航空機が好きな人なら1日いても飽きないだろう。世界中の航空ファンの聖地となりうるかもしれない。しかもそれでいて入館料が無料である。なんと素晴らしいことだろう。
ところで2020年2月現在、本館の方の航空宇宙博物館は大規模改装のため通常の展示の半分以下しか公開されていない。アポロ計画の司令船や宇宙ステーションモジュールなど、見るべきものは多いのであるが、航空機の機体に興味がある人なら、ウドバー・ハジー・センターのほうが楽しめるだろう。
ウドバー・ハジー・センターへの行き方
ウドバー・ハジー・センターは、ダレス国際空港(IAD)に隣接している。入国後はDoor 4から出て道路を1本渡り、CURB 2で983番のバスが来るのを待てばよい。
バスの行先表示に「Udvar=Hazy Center」と表示されるので見分けはつくが、同じ番号で5Aという、ワシントン市街地へ向かうバスもあるので、不安なら運転手に尋ねよう。運賃は片道2ドルで、現金か、所有していればSmartripというチャージ式のプリペイドカードで支払う。
入館には手荷物検査が必要である。これは空港での手荷物検査と要領は同じである。係員の指示に従おう。
手荷物検査を経てから、十字路を右に曲がった奥に、コイン返却式のロッカーがある。空港に近い分、ここを訪れるのは到着日か出発日となるだろう。であるならば多くの荷物をもっているだろうし、館内は大変広いので、それをそのまま持ち歩いたならば足腰が悲鳴を上げてしまうだろう。このコインロッカーを是非活用してほしい。利用には25セント硬貨が必要となるので、事前に準備しておくといい。
あとマクドナルドが入店している。アメリカのマクドナルドはドリンクバー方式なので、一度ドリンクを買えば飲み放題になる。休憩所としても使えそうだ。
さて、いよいよ館内をめぐる。まず入館者を出迎えるのは、アポロ11号の船長にして、人類で初めて月面を歩いた宇宙飛行士、ニール・アームストロング船長が着用していた宇宙服である。
さらにその奥には、今にも襲いかかってきそうな姿勢で、左手にカーチスPー40キティホーク戦闘機、右手にヴォートF4Uコルセア戦闘機が展示される。飛行状態で展示されるというのは、大変躍動感があってよろしい。
逆ガル翼が特徴のヴォートF4Uコルセア戦闘機。太平洋戦争末期にアメリカ海軍の主力機となった。
アメリカ陸軍のカーチスP-40キティホーク戦闘機。威圧感を与えるシャークマスクが特徴。強力な武装と防弾装備が強みで、太平洋戦争の初期~後期まで活躍した。
ちなみに僕は航空ショーでPー40戦闘機が飛行しているところを見たことがある。その記録もエントリで残しているので、そちらも是非参照されたい。
P-40とF4Uの下には、実用化された航空機の中で最速の、時速マッハ3.3(3529km)を誇る高高度偵察機SRー71ブラックバードが、その特長である扁平な姿を見せる。
空気抵抗を徹底的に削減するカモノハシのような形状は、どこか新幹線の700系を思い起こさせる。高速で移動する物体は、こうした形状が最適解ということなのだろう。
横から見るとこんな感じ。とても平べったい。世界で最も速い航空機が目の前にある。これだけで僕は感動する。
太平洋戦争時の旧日本軍機の展示
航空機の展示は時代や用途などで分かれており、1900年から1930年代の初期の頃のもの、第二次世界大戦期(太平洋戦線)、第二次世界大戦のドイツ空軍機、朝鮮戦争期、ベトナム戦争期、そして民間機、旅客機、競技飛行機などである。
太平洋戦線の区画には、かつて敵味方として大空を駆けた機体が並んでいる。ここでしか展示されていないものも多い。
まずは夜間戦闘機「月光」の実機。縦列3人乗りのスリムな機体が特長で、胴体上部から斜銃が飛び出しているのがわかる。
機首には暗闇の中で標的を探知するレーダーが張り巡らされているのがわかる。やはり図鑑やウィキペディアで見るのと、実物をこうして見るのでは迫力が違う。
特殊攻撃機「桜花」。言わずと知れた悪名高き有人制御式ロケット爆弾である。「Cherry Brossum」と紹介されていたが、別の説明パネルにはしっかりと、連合国のコードネームである「BAKA」の記載があった。
局地戦闘機「震電」の機首部。前翼型の戦闘機だが修復が待たれる。写真だと少々わかりづらいが、前翼にあたる部分は胴体右側(写真の中央左側)一緒に展示されている。
特殊攻撃機「晴嵐」。僕は最初、三式戦闘機「飛燕」と見誤ったが、よくよく見るとフロートがついている。生産数や、アメリカ本土攻撃に特化した設計をもつという特徴からしても大変貴重な機体である。
また写真左手に写っているのは、二式複座戦闘機「屠龍」の胴体。世界唯一の現存機である。機首の20mm(または37mm)機関砲の銃口が確認できる。
特殊攻撃機「橘花」。奥まって少々見にくいが、個人的に最も展示に驚いたものの1つ。日本が実用化した初のジェットエンジンという大変貴重なものである。わずか2機しか試作されなかったというが、現存しているとは思っていなかった。
機体は少々小ぶりな感を受ける。機体からはエンジンが外された状態だが、本機のエンジンであるネ20ターボジェットエンジンは、別区画のエンジンのコーナーに展示されている。
局地戦闘機「紫電改」。太平洋戦争末期の日本海軍の主力である迎撃戦闘機。日本国内にも1機現存しているが、墜落後大掛かりな修復はされていない状態で公開されている。こちらの紫電改はしっかり修復がなされ、がっしり感のある勇壮な姿が復元されている。尾翼には、太平洋戦争末期でも高い技量を誇った、松山基地の第343航空隊のマーキングが施されている。
太平洋戦争時のアメリカ軍機・イギリス軍機の展示
おそらく日本人が最もよく名前を知っている爆撃機である、ボーイングBー29スーパーフォートレス「エノラ・ゲイ」。1945年8月6日、広島に原子爆弾「リトルボーイ」を投下した実機である。日本人にとっては、ともすれば不快を催す機体であり、悪い意味でおなじみである。手前に写っているのは、双胴の悪魔ことP-38ライトニング戦闘機。
コックピット部のアップ。
当日、機体がキラキラと反射して見えたと証言が残るが、本機は表面が無塗装で光沢をもっているため、確かにそのように見えたように思う。発見されづらくするため、Bー29は通常艶消しのシルバーグレーを纏っていたのであるが、発見されても構わないというのか、または少しでも塗装の重量を減らしてペイロードを高めようとしたか。まことにナメられたものである。
僕がB-29を見るのは、これが初めてではない。実は航空ショーで同型機の動態保存機が飛行しているところを見たことがある。その記録もエントリで残しているので、そちらも是非参照されたい。
飛行状態で展示されるグラマンF6Fヘルキャット。言わずと知れた日本海軍機キラー。良好な運動性と重装甲、強力な火力により、太平洋戦争後期のアメリカ海軍戦闘機の主力となった。
リパブリックPー47サンダーボルト。主にヨーロッパ戦線で、対空戦闘と対地攻撃に活躍した機体。確かに隣に配置される紫電改よりも二回りほども大きく、本機を初めて見たパイロットは「これは本当に飛べるのか?」と陰口を叩いたという。
強力なエンジンと爆装、そして8門の12.7mmブローニングM2機関銃による火力は強力で、ドイツ空軍の戦闘機や地上車両を数多く撃破した。
ロッキードPー38ライトニング。一撃離脱戦法を得意とする重戦闘機。山本五十六長官乗機である一式陸上攻撃機を撃墜した戦果をもつ。
カーチスSB2Cヘルダイバー。太平洋戦争後期から朝鮮戦争期の急降下爆撃機。2000ポンド爆弾を搭載できる上に、主翼内に20mm機関砲、後席に7.7mm機関銃を装備し、爆弾未搭載時であれば戦闘機動もある程度行える機体である。
こちらは僕が以前参加した航空ショーで飛行展示された同型機。ずんぐりむっくりのパワフルな機体である。
ノースロップP-61ブラックウィドウ。日本では馴染みが薄いが、P-38に似ている双胴型の夜間戦闘機。重武装を武器に、爆撃機の迎撃や対地攻撃に活躍した。
本博物館の太平洋戦争期の展示としては唯一のイギリス軍機であるホーカー・ハリケーン。旧式機扱いされることもあるが、スピットファイア登場前の、大戦初期の押され気味のRAFを支えた。
第二次世界大戦時のドイツ軍機の展示
フォッケウルフFw190。ルフトヴァッフェの主力戦闘機。主脚はタイヤがついていないため修復中のようだ。
プロペラの回転軸に据え付けられたことにより命中率が高まった20mm機関砲が特徴。確かに銃口が空いている。こうした設計は回転軸周りの高度な工作技術力がないとできないが、ドイツはそれを見事に実現した。
ドルニエDo335プファイル。高速を目指すためエンジンを2発搭載し、前後にプロペラを配置した変態傑作戦闘機。最高時速は743kmにもおよぶ。
メッサーシュミットMe262コメット。世界初のロケット推進戦闘機。ロケット推進装置もあわせて展示されている。
アラドAr-234ブリッツ。ドイツ空軍が開発した世界初のジェット爆撃機。高高度高速偵察機としても利用された。
冷戦~ベトナム戦争期の軍用機の展示
あまりにも展示数が多いため全部を書くのは現実的ではない。そのため僕の専門外の朝鮮戦争期やベトナム戦争期のコレクションについては触れるだけに留めよう。
朝鮮戦争において、ソヴィエト連邦軍が供給しB-29キラーとなったMig-15ジェット戦闘機。10年ほど前に「超・空の要塞」を誇ったB-29を、その速度と火力をもって一方的に撃墜し、わずか半年で戦線から退場させた。
そんなMig-15に対抗するため開発されたロッキードFー86セイバー。ここから軍用機はジェット機の時代となり、さらなる技術的発展を遂げることになる。
アメリカ空軍戦闘機の決定版であるグラマンF-14トムキャット。説明によると、1989年1月4日にMiG戦闘機を撃墜したらしい。
ソヴィエト連邦のMiG-21戦闘機。それにしてもソ連製の戦闘機はなぜこうもスマートでカッコいいのだろうか。
世界初の超音速戦闘機であるノースアメリカンF-100スーパーセイバー。本機は1957年、キューバ危機のさなかにロールアウトし、その後日本に配備された後、ベトナム戦争において何度か被弾している。総飛行時間は6159時間である。
スペースシャトル・ディスカバリー号の展示
本博物館の目玉にして、アメリカ航空宇宙局(NASA)の技術の結晶たるスペースシャトル・ディスカバリー号の姿もある。
こちらは交信司令デスクの実物。本博物館には、マーキュリー計画で使用された宇宙船やアポロ宇宙船、宇宙服の実物が展示されている。今僕はこれらを通して、宇宙を感じている。宇宙という世界が実在するのだと実感する。
機体前面と下面に張り巡らされた耐熱パネルも間近で見ることができる。度重なる宇宙と地球の往復は過酷な環境であり、耐熱パネルは傷んだり変色してしまっている。
特長的な背高の垂直尾翼や巨大なエンジンスロットルを見上げる。
旅客機の展示
おそらくすべての旅行者の夢であり憧れであった超音速旅客機「コンコルド」の実機。旅客機のコーナーの目玉は何と言っても本機である。
超音速飛行という夢を与えてくれた本機に憧れた航空ファンは多いはずだ。巨大な四角形のインテークをもつエンジンや低い垂直尾翼、鋭い機首などの威容が間近で見られる。
最初期の旅客機であるボーイング307ストラトライナー。Bー17爆撃機を基にして設計された旅客機で、航空機の商用サービス化というマーケットの立役者となった。しかし、こうした移動に航空機を使えるのは上流階級だけであった。本機は33人の乗客を乗せることができる。
ロッキード1049Fスーパーコンステレーション(奥)。優美な3つの垂直尾翼が特徴の4枚プロペラ4発エンジン旅客機で、本機は1951年にロールアウトした。88人の乗客を乗せて、大西洋を横断できたという。アメリカ空軍はC-121型輸送機としても使用した。
4発プロペラ機というのはやはり美しい。
最初期のジェット旅客機であるボーイング707。
エアバスA330・340型機の主脚。航空機の脚部のみの展示というのは珍しい。この主脚2本と前脚で最大離陸重量257トンの巨体を支える。
エンジンの展示
日本が開発した最初のジェットエンジンである空技廠ネ20。上述の特殊攻撃機「橘花」に搭載されていたもので、ジェットエンジン黎明期の動力として大変貴重なものであるが、エンジンのコーナーにはその他にも貴重な展示がなされている。
V型12気筒液冷式のアツタ31エンジン。ダイムラー・ベンツのDB601エンジンのライセンス生産品で、「晴嵐」に採用されていた。
V型12気筒液冷式のロールス・ロイス・マーリンエンジン。高空性能に優れており、凡作であったP-51を傑作機に仕上げたのはこのエンジンである。他にもホーカー・ハリケーンやスーパーマリン・スピットファイアにも採用された。
星型複列18気筒のライトサイクロンR3350エンジン。Bー29爆撃機に採用されていた。
レストアコーナーも公開されている。奥の機体はAー26攻撃機、手前のエンジンはロールス・ロイスRB211ターボファンエンジンである。
ここには貴重な展示が多く、日本では見られないコレクションばかりである。僕はこの日11時ごろに入館し、3時間ほど滞在する予定だったが、結局閉館手前までずっといた。あとの予定は少々狂ったが、それはそれでよいと思えたくらい、満足度の高い訪問となった。航空ファンであれば是非一度訪れてほしい。