非モテ恋愛弱者のブログ

旧「非モテ系のままで生きていくブログ」から、恋愛弱者男性ブログに進化しました。レベル36の限界中年/異常独身/非モテのブログ。もう人生折り返しました。残りの人生を頑張らないで生きていこうと思います。なおこのブログには、モテる方法は1つも書いていません。

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「優しい人が好き」という詭弁を聞いても、好きな人に優しくしかできない

「優しい人が好き」という詭弁にはもう飽きた

「優しい男が好き」という女性の詭弁に、僕たち恋愛弱者はいつでも振り回されてきた。

僕自身、他人に優しくあるべきだと心を砕いて生きてきた。その結果が、彼女いない歴=享年というわけである。様々な恋愛メディアで指摘されている通り、少なくとも恋愛市場において、優しくあることは誤りなのだ。優しいだけの男はモテない。ドキドキしないとか、男らしくないとか、刺激がないとか、散々な言われようである。

これらに対しての反論は、ない。実態としてそうだからだ。DQNやヤンキーが学生時代にモテてきたことと、現象としては何ら変わることがない。

junny-policies.hatenablog.com

実態としてそうであるにも関わらず、女性は口では「優しい男が好き」と言うものだから、そういう意味では僕はちょっとした女性不信に陥っている。しかし僕は歳を重ねて、少しだけこの世界の道理を学び、成長した。つまりこの女性どもの、この不誠実な精神性を指摘したところで、今更詮無いことだ。

あるいは男である僕たちから見て筋が通らないことであっても、女性どもの中では合理的な理由があるのかもしれない。つまるところ、女性どもの嘘や詭弁を垂れることに良心の呵責を覚えることのない習性を、僕たちは許すべきなのだ。女の嘘を許すのが男の器だし、女は秘密を着飾って美しくもなる。

そういうわけで、「優しい人が好き」=「モテる男が自分に優しいのが好き」とか、「弱い男性の優しさはキモい」などの、女性陣の本音は、とっくに解明されている。今更その点を議論しても、何の生産性もないわけだ。

junny-policies.hatenablog.com

優しくありたいか?モテたいか?

本題に入ろう。今僕には、二者択一の質問が突きつけられている。すなわち、僕は優しくありたいのか、モテたいのか、どちらなのかという質問だ。僕がモテたいのなら、優しさを捨てなけばならない。僕が優しくあり続けたいなら、モテることを諦めなければならない。

今のところの僕は、前者の「優しくありたい」を選んでいる。僕は僕に関わる全ての人に対して、優しさで応えようと思う。例えば職場で関わりのある人に対してであれば、上司や先輩にはその期待に応えてタスクをこなし、同僚や後輩には頼れる相談相手として、一生懸命に全力を尽くすこと。

その姿勢は、たぶん正しい。実際僕はそれでうまくやれてもいると思う。けれど僕はもう1つ、自分の中に極めて薄汚い、自己中心的な欲望が渦巻いていることを見逃せない。それは、僕の優しさが条件付きであること。僕に対して承認を与えてくれる者に対しての、限定的な優しさであること。つまり、僕の優しさの見返りや報酬として、僕を承認し褒めてほしいこと

毒親育ちだから「優しさ」がほしい

僕は少なくとも、表面的には優しい人間として振る舞うことができるだろう。しかし本当に僕は優しいのだろうか?僕はこの問題をここ最近ずっと考えていたのだが、どうもこの堂々巡りは、僕がやはり毒親育ちであったことに起因するものであるようだ。

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いくつか過去のエントリで記録したように、僕は毒親育ちである。僕は常に毒親に否定され、支配されてきた。褒められたり承認されたりするためには、常に何かしらの条件を満たすことが必要だった。だから僕は、無条件に親に褒められたり、ただ居る/在るだけで承認された記憶がない。

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僕はその意味で、大人になった今でも、精神面は愛情や承認を欲している子供のままなのだ。愛着障害というやつかもしれない。僕は褒められたくて仕方ない。あるいは承認に飢えている。心の底から優しくされたい。

つまるところ、僕が他人に優しくする理由が、愛情や承認を報酬として受け取るための手段だとしているのであれば、それだけで僕の優しさは、真っ黒に汚れているのではないだろうか。言い換えれば、僕のその優しさというのは、極めて自分本位な、押し付けがましいものに成り下がっていないだろうか

僕の優しさは条件付き?薄汚くて仕方がない

なら、僕の優しさとは一体何なのだろう?例えば好きな人の助けになったり、笑顔が見たいという気持ちがないかといえば、全くそんなことはない。しかし、その時僕が受け取る報酬というのは、好きな人の笑顔ではなく、僕自身に対しての承認の証明に、すり替わっていないだろうか?

そうなると僕は、自分本位な欲望を満たすために、優しい人扱いにかこつけて、好きな人をその媒体にしようとしているだけではないか。それが本当に優しさだというのか?もしそうなら、そもそもモテるとかモテないとかの話以前に、僕が極めて卑怯者であるだけではないのか?

僕の優しさには、下心が含まれているかもしれない。

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「優しさ」と「距離感」と「思いやり」を見直そう

僕は優しさを手懐ける必要がある。その優しさが、好きな人に対して純粋なものか、あるいは自分の薄汚い欲望を満たすためのものかを、よくよく気をつけないといけない。多分正解は、優しさとはリアクティブ(受動的)であること。

好きな人でも誰でもいいが、優しさとは、誰かが僕を頼ったり連絡してきた時に全力で助けに入ることであり、それ以外の時間は必要以上に接触しないこと。それが大人として適切な、距離の取り方に違いないだろう。

ところで昔話になるが、こんなことがあった。僕が好きな人に対して優しくするにあたって、自分本位の誤った優しさをやらかしたことがある。後々気づいて、枕に頭をうずめて反省したことがある一件だ。

好きな人に彼氏がいたりすることはよくあることだが、当時僕はその好きな人に、どうせ僕が恋愛対象外なら、いくら優しくしても問題なかろうと、僕の気が済むまでめちゃくちゃに優しく振る舞ったことがある。その結果、当時好きだった人から、僕はやはり避けられてしまった。彼氏と僕の板挟みになった彼女の心苦しさを、僕は当時まるで理解していなかった

つまりこの件では、好きな人に対しての優しさと言いながら、好きな人への思いやりが完全に欠けていたわけであり、僕の黒歴史の1つである。よくも好きな人に対してそんな無礼な振る舞いができたものだと、今でも僕は当時の僕を殴り飛ばしたくなる。

実のところ僕は当時、好きな人からの思わせぶりに悩まされていた。彼氏持ちだったのに、僕に優しくすることが、まるで僕がバカにされているようで、許せなかった。僕の純情が弄ばれた気がして、厳しかった。

kouei🍠 on Twitter: "1枚目 「私達は酷い目に遭ってきた。だから酷い事をしてもいいんだ!」 2枚目 「俺は子供の頃から親に虐待されて 来た。だから社会に迷惑をかけてもいいんだ!」 3枚目 「小さい頃に性的虐待を受けてきた。だから他人に危害を加えてもいいんだ ...

僕はただ、それをやり返しただけのつもりだった。

僕は反省している。優しさは常に、思いやりとセットでなければならない。そもそも恋愛弱者として片思いに焦がれる場合、関係性の基本構造として、好意は僕から好きな人への一方通行なわけだから、僕の好意が荷物になることのほうが多いのだ。好きな人に謂れなき荷物を負わせてはならない。かつての僕は、こんな簡単なことさえできなかった。

用法用量を守った「優しさ」を考察する

話を最初まで巻き戻して、上のような観点から優しくて真面目な男はモテないということを分解していくと、次のようになる。

優しくするでも気を使うでも配慮するでも何でもいいが、必要な時と場合、そして量を弁えなければ、それはただただウザいだけである。多分優しくて真面目な男は、そのあたりの必要量やタイミングを弁えてないから、ウザくなる。その結果、モテないのだ。

とくに「量が多い」場合は、それは「媚び」につながり、いよいよ魅力に欠ける「弱い」男になってしまう。もし好きな人がいるなら、ここについては気をつけるべきだろう。僕にも心当たりがある。好きな人からの明確なSOSが受け取れない限り、僕たちは好きな人に優しくするべきではない。好きな人からSOSを受け取れない程度の関係なら、その関係は始まる前に終わっている。身分と立場をわきまえるがいい。

ちなみに、もしそうである場合、僕は今後、好きな人に優しくしないのか?好きな人であってもそうでなくても、関係性が深まったり承認されることがないなら、優しくすることを諦めるのか?それは違う。好きな人に限れば、僕が優しくしたいのだ。僕が他人に優しくある理由なんて、それで十分だ。タイミングと用法容量にもっと敏感になれ、という話である。

逆に言えば、タイミングと用量を誤らなければ、優しさというのはその人の内面の個性をアピールする絶好の機会となる。だから僕の結論は変わらない。僕は僕の優しさを、絶対に捨てない。

優しいままで好きな人に好かれたい

もしモテるために優しさを捨てなければいけないのなら、僕はいよいよ、自分の人生をどう歩いていくべきか分からなくなる。具体的には暴力性や強引さを身につける必要があるが、それを武器にした人生を歩きなおすには、僕は歳を取りすぎた。歩き直して失敗はできない。だから僕は結局、今までの生き方を、優しくし続けることを、踏襲するしかできないのだろう。

結局僕は、徹頭徹尾、優しくて真面目なだけの男なのだ。恋愛や結婚は、女性視点からだと、遺伝子レベルで男の精子が優秀かどうかを判断しているらしい。遺伝子弱者:つまり身長が低く酒が飲めないチー牛である僕の取り柄は、周囲の人間に対して優しく無害に振る舞うことだけ。ドキドキ感や危険な香りとは全く無縁のつまらない男。そんな僕は恋愛も結婚もできないだろう。

今週の一番『めだかボックス』そっか。球磨川くんってカッコつけてたのかw - 今何処(今の話の何処が面白いのかというと…)

だが、これでいい。下心があろうとなかろうと、僕は優しい人間だ。たとえモテなかったとしても、万どころか億兆に1つの確率で、もしかしたら僕と波長が合う人が現れるかもしれない。優しいままで誰か僕のことを好きになってほしい。

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その人に出会うために、僕は優しくあり続けようと思う。