非モテ恋愛弱者のブログ

旧「非モテ系のままで生きていくブログ」から、恋愛弱者男性ブログに進化しました。レベル36の限界中年/異常独身/非モテのブログ。もう人生折り返しました。残りの人生を頑張らないで生きていこうと思います。なおこのブログには、モテる方法は1つも書いていません。

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37歳男、片思いから立ち直りつつある。彼女を好きになれてよかった

前回のエントリで顛末を綴った、職場の10歳年下後輩さんとの最初で最後のデートから、1ヶ月経った。

junny-policies.hatenablog.com

あの日以来、僕は僕自身にひどく失望していた。あの楽しかったデートが二度とできないという喪失感。先輩としての信頼を異性に対しての感情と取り違えた、自分の身勝手さと恋愛経験値の低さ。そしてそれによって彼女の僕に対しての期待を裏切り、その結果、彼女と今以上に仲良くなる機会を永遠に失ったこと。

僕はあの日以降、酷いストレスでまともに食事が取れなかった。とくに最初の1週間はまるで空腹を感じず、ウイダーinゼリーを毎日2つ摂取する程度でしかなかった。体重は3kgほど落ちたが、そんな中でも仕事はしなければいけないし、ましてや僕は新卒の教育係を拝命している立場でもある。失恋したことは僕以外の人間にはまるで関係のないことだ

そうは言ってもやはり集中力には欠ける。部内定例MTGでは、彼女の発言をモニタ越しに聞くこともある。その度に僕は枕に顔を埋めて叫びたくなる衝動に駆られる。

あの日から2週間以上が経ち、ここ何日かは、ようやく精神の平静を取り戻している気がする。ふとした時に彼女のことを思い出して、愛おしく思ったり悶絶したりすることもあるけど、間違いなく以前のような落ち込みからは回復している。

今の僕は大丈夫だ。僕は新入社員のトレーナーとして振る舞いつつ、社内の後輩や同僚からの業務相談に乗ってやったり、その合間に自分の仕事をこなす日々。相変わらず忙しい毎日だ。

僕は立場上、彼女からの業務相談を受け付けることもある。彼女と話をするたびに、彼女との蜜月が失われたことにはやはり喪失感を覚えるが、関係が最初期の僕たちは、確かにこんな感じで、仕事の話しかしなかった。僕たちはリセットされたのだ。そんなことを述懐しながら、僕は相談が終わって自席に戻る彼女の後ろ姿を見送った。

「素敵な人とデートできたんだから」

あの日の後、僕は居た堪れなくなって、職場の同僚お姉さまに、事の顛末を相談することにした。後述するが、このような自分の失敗を他人に話すことができるようになったのも、彼女からのプレゼントである。

お姉さまと彼女は仲が良く、同性なだけあって僕よりも彼女のことを知っていた。つまり僕のこれからの身の振る舞いについて相談するには、お姉さまは最適な相手だった。

事の顛末を説明した僕にお姉さまが最初に語ってくれたことは、このようなことだった。「彼女は素敵な人。私も彼女が大好き。私が男だったら好きになってると思うから気持ちは分かる。そんな素敵な人とデートできてよかったじゃん」

僕はその言葉に、大変救われた気分になった。

お姉さまは、一回りも年下の娘を好きになって無様を晒した僕を、否定しなかった。お姉さまからすれば、彼女から笑顔で慕われたなら、男として彼女に好意を持つことは、仕方のないことだった。

舞い上がって好きバレしたことも、もっと仲良くなるためにはどこかで必要なステップだった。僕は、彼女のような素敵な女性と素敵な時間を過ごせたことを喜ぶべきだった。そして、そんな彼女にデートに誘われた僕自身こそが、彼女が週末を一緒に過ごしてもいいと思うくらい、いい男なのだと。

そんなことを僕は思いもしなかった。僕は次に繋がらなかった=デート失敗だとしか思っていなかったが、確かに2人で過ごせたあの週末の数時間は、おそらく僕の人生の中で最も楽しい時間だった。それは彼女にとって、一番ではないだろうが、それほど悪くない時間だったに違いない。それはとても素晴らしいことで、その点をもって、今回のデートは成功していたのだ。

今回の初デートは、たまたま彼女の方に気がなかっただけで、それはそれは楽しい時間だったのだ。彼女の笑顔を見ればそれは分かる。世の中には、お互いが不完全燃焼で満足できない初デートをやらかす男女の阿鼻叫喚が溢れかえっていることを、僕はその時初めて理解した。お互いが楽しく終われるデートというのは、得難いものだったのだ。

失ったものを見るよりも、手に入れたものを見よう

お姉さまとの会話を通じて、僕はだんだん理解してきた。僕は失ったものばかりを見て、僕が得たものや彼女に与えたものの価値を過小評価していたのだ。

まず僕は、明確に他人を好きになることができたのだ。これは37年生きていて、おそらく初めてのことだった。弱者男性として生まれ、毒親に虐待されて育ち、他人と社会を憎みながら生きていたこの僕が、明るくて頑張り屋さんで性格美人の彼女と出会い、彼女と仕事をするうちに意識し、彼女の笑顔を守りたいとすら思うようになった。

彼女はこんな僕のことを(少なくと仕事上は)慕ってくれた。彼女は僕に、信頼を届けてくれた。僕はそれによって、自分で自分を信じられるようになった。

僕は思わせぶりに遊ばれたのだろうか?仮にそうであったとしても、僕には恨み言などあるわけがない。僕はたくさんのものを彼女からもらった。人としての信頼を。他人を好きになる幸福を。そして自分の失敗を誰かに相談する強さを。

なら、恨み言を言うのは筋違いだ。僕は彼女にもらったものが多すぎるので、僕は彼女に、感謝してもしきれないのだ。

そのお姉さまとの席で僕は、彼女には彼氏がいることを聞いた。優しくてイケメンで包容力のある彼氏の存在が容易に想像できた。あんなに素敵な彼女に彼氏がいないわけがないから、それは大してショックではなかった。

それなら尚更、2回目のデートはあってはいけない。僕と2人で2度以上も会うのは、彼女の浮気と取られかねない。それは彼氏への裏切りになる。僕は幸せな2人を邪魔するつもりはないし、彼氏という彼女の大切な人を傷つけるつもりもない。そういう意味で2人きりのデートは、最初で最後であるべきだった。

しかし次の瞬間、僕はこのように考えた。美しい彼女と素敵な彼氏の秘め事のことを。年頃の2人だ。それはそれは幸せなハグをして、その足でホテルに向かい、熱く激しくも優しいセックスをしまくるのだと考えると、少々どころではない嫉妬が芽生えてしまう。

なるほど。僕はまだ彼女に執着している部分があるようだ。この執着を手放さなければならない。

考えてもみるがいい。僕と関わりのある人間の中に、恋人とのセックスの有無が気になる人間がいるだろうか。いないなら、彼女をそれと同じように扱えばいいだけのことだ。あるいはその役割は彼氏に任せて、僕は改めて、職場の先輩としての自分の立場をわきまえようと思うし、もう数週間経てば、それは極めて現実的だと思われる。

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僕は素敵な彼女との出会いに、当面は(お互い異動とかしない限り)一緒に働けることに、そして今もなお僕を先輩として相変わらず慕ってくれることに、心の底から感謝を叫びたい。

好きにならせてくれてありがとう。本当にありがとう。僕は彼女を好きになれただけでなく、きちんと失恋することもできた。

僕は彼女のお陰で強くもなれた。他人に心を開かず、信頼することもできず、孤独に生き、苦しいことがあるとその度に引きこもってきた僕は、今回の顛末を、2人の他者に話すことができた。上述のお姉さまと、もう1人は地元の友人である。それは間違いなく、彼女の影響だった。

彼女が僕に自信をくれた。そして同じように、他者への信頼を教えてくれた。だから今回、僕は彼らに相談するのに、まるで抵抗がなかった。

彼らは僕のことを拒絶したり否定したりするわけがない。そんな確信があったから、僕はこのとき、迷わず彼らに連絡した。そこで僕が話したかったのは、僕が失恋したこともそうだけど、それ以上に、僕が好きになった人はとても素敵な人であったということだった。

そしてお姉さまいわく、そんな素敵な彼女を好きになれた僕、つまり素敵な彼女からデートの誘いを受けた僕は、僕自身が思うほど悪い男ではないらしい。

なるほど。確かに、まるで悪くない。恋愛としては僕に縁のある話ではなかったが、僕を信頼してくれる彼女、彼女の信頼に応えたいと思う僕、仕事面で成長する彼女、精神面で成長する僕。彼女はどう思っているかは知らないが、僕たちはお互いにとって、悪いことがない人間関係を構築できたのだと思う。

もしそうなら、それはかけがえのないものだ。異動とかもあるし、僕と彼女はおそらくいずれどちらかが職場を離れることになるが、少なくとも僕は、彼女のことを一生忘れることはないだろう。どれだけ季節が巡っても、僕は彼女の幸せと成功を心から祈っている。

その時は僕から一言、心ばかりのお礼の言葉を贈ることを、許してくれればいいのだけれど。

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「失恋の先輩」たちに「これでよかった」と教えてもらった

もう1つ、僕が思っている以上に、世間一般に失恋はありふれていた。ネットには様々な「失恋の先輩」がいて、その経験談はどれも身につまされるようだった。

数々の失恋談を読んでいくと、僕に1つの確信が湧いてくる。僕と彼女は、ある日太陽が西から昇って、万が一付き合ったとしても、上手くいかないに違いなかった。その理由は年齢差もあるが、何よりも彼女は才媛の愛され上手、一方で僕は毒親育ちの低身長ブサメン発達障害である。まるで釣り合わない2人だ。そんな僕たちが付き合ったなら、おそらくどこかですれ違い、今よりもっと悪い別れ方をしたかもしれない。

そうなってしまうよりは、今の状態で区切りをつけておいて、仕事上の関係をうまく継続できることのほうが、よほどマシである。

何しろ僕たちは、初デート終了直後こそ僕が主に彼女を避けたものの、今では先輩後輩として、仕事を行う上での関係性は極めて良好だ。彼女はそう口に出すことはなくなったが、僕に対しての仕事における信頼を、相変わらず強く感じる

もし僕たちがもっと関係が進んでから失敗してしまったなら、今の関係性すら維持・修復することすら困難になっただろう。それに比べて、今の状態がどれほど素晴らしいことか。

彼女と2人きりで仕事の合間にコーヒーショップやランチで息抜きするシーンはもはや望めないが、今の関係が最適解に思える。おそらくこれ以上近づくと、僕は性懲りもなくまた彼女を好きになってしまうかもしれない。だから、これでいい。これでよかったのだ

もうしばらくしたら、彼女のLINEトークルームを再表示させて、デートの日に撮影した写真も見返せる日がくるだろう。僕はその日まで、もう少しだけ傷心しようと思う。

2023年6月2日:先日僕は、他愛のないことで、一言だけ、久々に彼女にLINEを送った。彼女からも返信をもらえた。トークルームも復活したが、余程のことがない限り、LINEもこれきりにしておこうと思う。

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