毒親の生態を知って、自分が毒親にならないように準備しようぜ
毒親の生態を観察したら、どう考えても精神障害者にしか見えなかった話
過去のエントリで毒親エピソードを長々と語ってから、僕の精神状態はだいぶ安定しているように見える。僕は自信をもって「うち親は頭がおかしかった」と他人に言えるようになった。これは僕にとって大きな進歩だ。実際に僕の親は頭がおかしかったし、それをおかしいというのは、カラスを指差して黒いというようなものだ。
「親の愛」を信じる健常者共に反駁する
親とは恐怖の対象でしかなかった。しかし今、毒親の解毒が進んできたことによって、僕は親の言動を客観的に観察することができる。それに対して親がまともだった健常者どもは、僕が「親は頭がおかしい」と言うことを否定しにかかる。上のエントリに書いた数々のエピソードを語れば納得はしてくれるかもしれないが、それでもあの健常者どもは「親の愛」という宗教を盲目的に信じ、僕をその信者に勧誘しようとする。
愛があればどんな虐待行為でも許されるべきだとは思わない。あまつさえ、そこに愛がなかったとしたら、どうだろうか?
このエントリでは、前回のエントリで記録した毒親の行動をもとに、毒親の性質や、毒親に通底する認知の歪みを説明する。健常者どもの言う「親の愛」も、この僕の物語の前では無力になるだろう。いい気味だ。普通親に育てられた自分の甘さに戦慄するがいい。
このエントリは、諸君が毒親育ちならばその親どもの理解を深める助けになるだろう。あるいは毒親の自覚を少しでも持つ誰かの親であるなら、諸君の歪んだ認知についての僕の説明は、1つの回答になるだろう。毒親サバイバーで今子供を持つ親は、今一度自分がどのように子供と接してきたか、全力で顧みてほしい。
毒親自身も毒親に育てられている
全ての出発点はここにある。僕の祖父母も不仲で、若かりし頃、祖父は頻繁に祖母に暴力を振るい、その度に僕の母に「あんな男と結婚するな」などと愚痴めいたと聞いている。僕の記憶している限り、直接そんな光景を見たことはないが、それは祖父母共に老いていたからだろう。
僕の祖父母は、大正生まれの亭主関白文化の世代である。夫による暴力は当時の文化としては何も間違っていない。しかし今でいえばモラハラ夫による機能不全家庭である。
このような冷えた家庭環境で育った母親は、39歳の時、僕を身籠った。不運だったのは、母親には僕と違って聡明さと考察力に欠けていたことだ。だから自分の家庭環境が異常ではないかと考えることすらしなかった。これは母親の重大な失態であり、その家庭環境を規範にして、育児を行うようになっていた。
毒親育ちの承認欲求は異常すぎる
毒親の決定的な特徴は、承認欲求が強すぎることである。
僕は上記のエントリで書いたように様々な迫害や虐待を受けたが、それらのエピソードに「承認欲求」という補助線を引いた時、全てを理解できた気になった。毒親は誰かの承認に飢えていたのだ。
僕は母親のエピソードから、母親の幼少時代の家庭環境を推察する。直接聞いた訳ではないが、おそらくこの推察は概ね当たっていると思われる。そして諸君の毒親も、似たような環境で幼少時代を過ごしてきたのではないだろうか。
上に書いた通り、母親の家庭では祖父による暴力が当たり前であった。そこで幼き母親は子供ながらに仲裁したり、あるいは生まれたばかりの妹(僕の叔母にあたる)の面倒を見たりと、今でいうところのヤングケアラー的なポジションにいたはずだった。
そこで母親は、何も誉められなかった。そして、愛してもらえなかった。母親は愛する祖父母に認められたい気持ちが不自然に肥大してしまい、おそらく自覚的ではないだろうが、自己愛性パーソナリティ障害を患い、承認欲求に溢れているのみならず、ひどく傷つきやすい自尊心の持ち主となった。
こちらも推測だが、祖父母は母親に愛情を与えなかった。僕の母親は三姉妹で、長女が母親、さらに次女と三女がいた。つまり僕には叔母が2人いたわけだが、その中で人格的な問題を感じなかったのは、三女のほうだった。恐らく三女は末っ子で、祖父母から愛されて育ったのだろう。その三女の家族とは年に1回、年賀状で近況報告を交わしているが、人の良さそうなご主人と3人の子供に恵まれ、最近は孫もできてうまくやっているようである。
同じ祖父母から生まれ、なぜ片方は毒親サバイバーとなり、もう片方は家庭に恵まれたのだろうか。それはひとえに、愛情をかけられたかどうかに寄るのだろう。愛情をかけられなかった僕の母親は、祖父母からの愛情を受け取りたくて、それが叶わなかった。だから長男である僕を媒体にして、自分に愛されるべき理由と、他者から認められるべき価値を見出そうとしたのだ。
おそらく母親が最も受け取りたかった承認は、次のようなものだ。成績優秀でスポーツ万能で学級委員でクラスの中心の人気者で子役タレントもやってて先生にもよく褒められる息子さん(=僕)を持ち、食べるものは有機栽培にこだわってて、一家揃って環境問題に取り組んでいる、非常に意識の高い人である、と。
毒親は自他境界が認知できない
つまるところ、子供にとってはいい迷惑だが、習い事もお受験も、子役タレントのオーディションを受けさせたのも、学校行事や授業参観で目立とうとすることも、全ては自分の自尊心を満たすためだった。毒親は、愛情と承認に飢えた自分自身が満足するための道具としての存在価値のみ、僕に認めた。そしてそれらが自身から失われることを、極度に恐れた。
具体的には、僕個人という人間に対しての交友関係への制限である。毒親の特徴の1つとして、毒親には子供にこうあるべきであるという理想像があり、それを意識的/無意識的に押し付ける。そしてそこから逸脱した場合は制裁を加える。
母親は僕を別個の存在だと認識しておらず、お互いが独立的な存在であると理解していなかったようだ。全く独立的でない母子関係は、高校から大学にかけての、他人に対しての社交を学ぶ重要な時期に、人間関係の過剰な干渉として表面化した。年頃の若者が体力を有り余らせてアカラオケのオールや徹夜麻雀に興じる時、僕は怪訝な顔つきをする仲間を置いて、退席せざるを得なかった。
母親はいつまでも僕の手綱を握っていたかったのだ。その理由は、僕が独立して母親と別個の存在として確立したならば、母親の所有物であり手先である僕を失うことを意味し、それは母親にとって避けるべき損失であったのだ。だから僕に対して魔の手を伸ばす仲間やアルバイト先をひどく攻撃し、僕から遠ざけようとしたというわけだ。
毒親は自分に自信がなく、極度の不安障害である
すでに上の章で触れている部分もあるが、毒親というのは自分に自信がない人間である。不安で不安で仕方ないので、自分に対しての承認が維持されることを何よりも優先し、それが揺らいだ時は極めて感情的な反応を起こす。大の大人がそれをやるわけで、純粋に考えて精神的に未熟であり、あるいは強迫性障害なども併発しているようにも思える。
毒親は、おそらく凄惨な幼少時代を過ごし、複雑性PTSDに陥った。それによって不安障害や強迫性障害を抱え、愛着障害や不安障害までもっており、癇癪まで持つに至った。つまり毒親というのは、一言で言えば、精神障害者である。
このような精神障害者に育てられた僕は、やはり精神障害者である。それがASDや聴覚過敏などの症状で現れているが、たまたま運良く会社員ポジションに収まれる程度に、何とか社会生活をこなせている。
僕にも弟がいたが、弟は母親の毒牙にかけられ、学校生活では完璧であることを求められた。完璧にこなせなくなった時、母親に折檻を受け、対人コミュニケーションに深刻な支障をきたし、それ以来引きこもりになってしまった。この家庭では、僕も弟も、養育に完全に失敗した。
毒親に通底するのは「自分が第一」であることだ。自分の自尊心のために子供の行動を支配する者、それが毒親である。それに従わなければ制裁を加え、子供をヤングケアラーにして承認の飢えを補給する生き物である。子供の態度から観察するとしたら、常に何かに怯えていたり、規範的な領域からの逸脱を恐れたり、概して大人しい「手のかからない子」であるだろう。
そういうわけだから、例えばイオンモールで駄々をこねる子供を汚い言葉で罵るプリン頭の母親が、そのまま毒親ではないことがわかる。駄々をこねるということは、駄々をこねることが許される環境で育っていることの証左であるのだから。
毒親サバイバーの子供の親は常に自問自答せよ
さて、毒親サバイバーの諸君がもし人の親であるのなら、きっとあんなつらい思いをした毒親のようにはなるまいと決意していることだろう。その気持ちはよく分かる。しかし、もしそう思うなら、毒親に誕生日にケーキを踏み潰された経験から、自分は誕生日にケーキを踏み潰さないように決意するのは、余りにも浅薄である。
とはいえ、決意は良いことだと僕も思うから、1つ僕から、毒親にならないための自問自答を勧めたいと思う。僕は少しだけ論理的思考力があったから、毒親に通底する「承認欲求と不安障害」にたどり着くことができたが、果たして諸君はどうか?諸君は僕のこのエントリに辿り着く前に、毒親サバイバーとして、毒親が毒親たらしめる構成要素を、僕と同じように真剣に考察する機会はあったか?
そうではなくて、自分の親が諸君自身をどのように痛めつけたかを改めて列挙し、そこに通底する毒親の本来の欲求を見つけ出すが良い。僕の親の場合は承認欲求だった。諸君の毒親の欲求は何だ?それが見えてくれば、認知の歪みがわかる。認知の歪みが自覚できれば、それに相当する一般常識的な認知を再インストールすることで、諸君に継承されてしまった毒親仕草を、解消することができるかもしれない。
辛い作業であるが頑張ってほしい。諸君のためにも、諸君の愛する子どもたちのためにも。毒親は連鎖するという僕の観察を、どうか打ち壊してもらいたい。