非モテ弱者男性のブログ

旧「非モテ系のままで生きていくブログ」から、弱者男性ブログに進化しました。レベル36の限界中年/異常独身/非モテのブログ。もう人生折り返しました。残りの人生を頑張らないで生きていこうと思います。なおこのブログには、モテる方法は1つも書いていません。

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ワシントンDCのホロコースト記念博物館に行ったら人類に絶望した話

この日僕の中で壊れたものは、おそらく人類そのものに対しての信頼とか希望とか、そういうものだと思う。

それは怒りであり、悲しみであり、恐怖であり、戦慄であり、絶望であり、疑問であり、理解不能であり、それでいて真実であった。

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ホロコースト記念博物館は世界に複数存在するが、アメリカ合衆国の首都ワシントンDCにあるそれは規模の大きなものである。手荷物検査があるが、入館は無料である。

ホロコースト記念博物館は11歳以上の年齢を対象としている。感情に訴えかける要素を可能な限り排除し、訥々と事実のみを語っていくのがこの博物館のスタイルである。

日本においてこうしたホロコーストに関連する展示がある場合は、この時代を生き延びた人のインタビューや、家族を失った人の手記、あるいはアンネの日記のようなコンテンツを提示した上で、ホロコースト=悪であるという結論ありきで、それに誘導するように展示物が構成される感がある。

しかしワシントンDCのこれは、悪いことであったか良いことであったかといった結論は何も提示されていない。事実を並べて、それをもってどう結論するかは来館者の判断に任せられている。

だからこそ本館のコンテンツや展示は衝撃的であった。感情に訴えかけてくるのであれば、もともと共感が苦手な気質もあって、感情論で話がなされるなら、ある程度右から左へ流すこともできるのだが、事実は事実として正面から受け止める必要があるし、そうしないのは誠実ではない。事実が提示されてその解釈について任されるならば、任された側である僕にはそういう態度が要求される。

提示される事実のコンテンツとして、当然ながらそこには残酷な映像や遺体の写真が含まれる。そうしたコンテンツは、子供の背の高さまで壁が作られていて、大人であればその壁越しに見えるようにゾーニングがなされている。

一応写真撮影は許可されているのだが、後になって見返しても気落ちしないと判断したものしか残さないようにする程度に、僕の精神はダメージを受けていた。しかし僕はこのエントリを、極めて気分が沈んだ状態で書くしかない。それが事実だからである。

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僕が手元に残したたった1枚の写真。「ARBEIT MACHT FREI(働けば自由になる)」と掲げられた、アウシュヴィッツ強制収容所の門に掲げられたものである。3文字目の「B」が上下逆さまになっているのが特徴で、これ1つでホロコーストの象徴にすらなりえるほどのインパクトがある。

館内に進むと、1930年代のヨーロッパにおけるユダヤ人の存在から、ヒトラーが首相に就任しユダヤ人抑圧政策が推進される過程が時系列で展示されている。

SS(突撃隊)が主体となって各地にユダヤ人収容所が設置され、市街地と収容所を結ぶ鉄道が敷設された。またゲットーが作られ、ユダヤ人の生活は隔離された。ワルシャワのゲットーに使用されていた隔離用のレンガの壁が本博物館には展示されている。

ユダヤ人を移送するにあたっては、椅子もトイレも窓もない狭くて粗末な貨車が製作され、ユダヤ人はまるで満員電車のように立ち乗りで移動させられていた。

満員電車と形容したが、それであればたかだか1時間も乗れば降りる場所に着くのである。しかし彼らを待っていたのは何時間も、あるいは何日も続く死の旅である。しかもこの時点ではそうであることを彼らは知らない。自分の運命がどうなるかわからないというのは、精神面に大変な負担を強いる。

収容所に到着したなら、労働力として扱うに値するかしないかを選別される。これは今すぐ殺されるか、過酷な強制労働によって殺されるかの選別である。労働の役に立たない子供、妊婦、老人、病人は、労働力とはならないためそのまま殺処分場であるガス室に送られる。

ガス室は地下にある。ガス室に入ることになった人々は地下に降り、その前室でシャワーを浴びるという名目で衣服を脱がされ、いよいよガス室に入る。そのガス室にはご丁寧にもダミーのシャワーヘッドがついているが、実際に人々に降り注ぐのはチクロンBというシアン化水素系の毒ガス(青酸ガス)である。

チクロンBが投入されてから数分で叫び声は聞こえなくなり、30分ほどでガス室は開けられ、遺体は焼却処理される。焼却前には犠牲者の持ち物や歯を調べて、金歯などの貴金属でできたものは抜いて確保した上で焼却処理された。その焼却処理にあたった労働者も強制労働を強いられたユダヤ人である。

僕はホロコーストとかポグロムとか、いわゆる大量虐殺とか人種絶滅を意味する単語としての知識をもっていた。またナチス・ドイツユダヤ人絶滅を目指して大量殺戮をはたらいたことも知っていた。世界史の学習やWikipediaを読むことで、そういった事実があったことは分かっていた。けれどこの僕の精神的なダメージ具合からして、僕はその出来事を知っているけれども事実として理解していなかった。

収容所にはユダヤ人の他にも、政治犯や同性愛者などが収容されていた。彼らはそれぞれ人種や罪状などを識別するためのマークの入った囚人服を着せられ、物資の生産や道路工事、鉄道敷設などの重労働にあたった。

彼らは粗末な3段ベッドで寝泊りし、夏は暑く冬は寒い気候の中で、麻布の毛布1枚に数人がくるまっていた。トイレもなく、溝を掘ってそこに排泄し、また食事はやはり大変粗末であったため、衛生状態は極めて劣悪だった。生きたまま人体実験の検体とさせられた人もあったという。

収容所は脱獄を防ぐため、その敷地を高圧電流の流れる鉄線が囲っていたが、あまりに非人間的な環境に絶望し、電線に触れて自殺するものもあった。博物館にもその状況を捉えた写真が残っている。

僕が衝撃を受けた映像が2点。1つは銃殺刑に処せられる囚人の映像である。すでに死体が折り重なっている塹壕のようなものがあり、トラックから次々と囚人が下ろされてその塹壕の手前に並ぶ。処刑者がライフルを放つと、力なく斃れた囚人がそのまま塹壕にさらに折り重なる。たいへん不快をもよおす映像だったが、僕は事実であることから逃げることができず、その全てをこの目に焼き付けた。

もう1つは、連合軍反攻による収容所解放時の映像である。劣悪な環境で痩せ細って骨と皮と化した収容者。そして力尽きた収容者も同じで、特に後者の数が夥しく、遺体を一手に処分せざるを得ず、ブルドーザーで遺体の山を穴に放り込む作業を行なっていた。ブルドーザーでずるずると力なく押され、そのまま穴にボトボトと落ちていく人間の遺体の山。そこに土がやはり無機質にかぶせられていく。

あまりの惨状に、聖職者が涙を流し顔を歪ませながら祈りを捧げている。そこには人間の尊厳も何もない、ただ僕の理解の追いつかない次元にある、地獄のような様相があった。

僕は人間が人間に対してこれほど残酷な仕打ちをする生き物だと認識していなかった。けれどもそうした事実が目の前にある。戦後のユダヤ人によるロビー活動によって、本博物館がプロパガンダ的にそうなるよう仕向けている要素もなくはないだろうが、それにしても、だ。

そもそもこんな大規模な収容所をヨーロッパ中に建設したり、あるいはそれへの鉄道を敷設したり、機関車と車両を製造して人を移動させたりするのには、それなりの資源と労働力を必要としたはずだ。ドイツは資源に乏しく、大戦を通じてソ連とフランスとイギリスの三正面作戦を展開していた。そんな逼迫した状況で、はなぜそのリソースを軍備に割り当てず、あえてユダヤ人抹殺に振り向けたのか?

そうだ、人道的にも軍略的にも、あまりに合理的でないのだ。だから僕は今理解不能であり、混乱し戦慄し恐怖している。しかしこの事実は、僕の人間に対しての希望と信頼と期待を打ち砕いたのだ。

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彼らが最初社会主義者を弾圧したとき、私は声を上げなかった。

私は社会主義者ではなかったから。

次に彼らが共産主義者を弾圧したとき、私は声を上げなかった。

私は共産主義者ではなかったから。

次に彼らがユダヤ人を弾圧したとき、私は声を上げなかった。

私はユダヤ人ではなかったから。

次に私を弾圧しにかかったとき、私のために声を上げる人は誰もいなかった。

このホロコースト記念博物館が教えてくれたことは、知識をもつというのは、ただ単に知っているだけにすぎないという、僕の知識体系の圧倒的な否定であった。そして僕と手足の数や耳目の配置の同じ生き物が、やはり同じ生き物に対してこうも残酷に振る舞うことができるという残酷にして絶望的な事実を、僕は認識してしまったのだ。これはしばらく立ち直ることはできないだろう。

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