とある喪男の雑記ブログ

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シンガポールの日本人墓地にお参りしてきた話する

シンガポールと日本の関係は歴史深いものがある。それは日本人貿易商の山本音吉がシンガポール定住者第一号となった1862年に始まり、それから多くの日本人が移住したり、あるいは貿易を行った。その中には、この日本人墓地に墓碑として刻まれている「からゆきさん」もあった。「からゆきさん」は、今でいうところの売春婦であり、外国行きの船に乗って往来したことから、中国の古名であり広く外国を意味する「唐」に「行く」=「からゆきさん」と呼ばれ、シンガポールにも多く存在した。シンガポールと日本の関係史の中でも重要な事実であり、日本人墓地にはこの地にて客死した彼女たちの墓碑がある。

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「からゆきさん」はその後国際社会から「人身売買である」と非難を受け、また国内世論からも「国家の恥」と批判された。1920年には日本領事館が日本人娼婦追放を宣言し、それから「からゆきさん」は姿を消していった。

その後シンガポールは引き続きイギリスの植民地下にあったが、太平洋戦争が始まると、日本陸軍はイギリス領マレーへの進攻を開始、シンガポールへの攻撃は1942年2月7日に始まり、わずか7日間でシンガポールを占領した。

シンガポール・セラングーン地区にあるシンガポール日本人墓地公園は、シンガポールの関係強化に活躍したり、日本から移ってきてこの地で客死したりした日本人のほか、太平洋戦争においてシンガポールの戦闘で命を落とした日本軍人の慰霊の地となっている。

MRT北東線(North East Line)のKovan駅から歩いて20分ほど、住宅地の中を歩いていくと到着する。

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シンガポールの住宅街の中を20分ほど歩く。1軒1軒が大きく、日本でならば豪邸と呼ばれるサイズの住宅が立ち並ぶ。

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入ってすぐ左手に、6体の小柄なお地蔵様が参詣者を出迎える。

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ひのもと地蔵。太平洋戦争の終戦時、シンガポールの日本人は南西部のジュロン地区に集められていたが、そこで死亡した41人の日本人を慰霊するものである。

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釋種しゃくしゅ楳仙ばいせん和尚の墓碑。兵庫県の僧侶で、インドの釈迦生誕地への巡礼行程でシンガポールへ立ち寄り、この地に初代西有寺を建立した。

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中野光三の石碑。中野光三はシンガポール日本人会発足時の理事でもあり、シンガポール初の日系病院である中野医院を開業し、日本人医師として活躍した。上記の釋種楳仙和尚も、中野医院で入寂している。この石碑は中野光三のシンガポールにおける業績を記念するものである。

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花のトンネルを突き当たった先に、作家・二葉亭四迷の墓碑がある。

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作家・二葉亭四迷の墓碑。ロシア・ペテルブルク(現在のサンクトペテルブルク)からロンドン経由で帰国の途についていたが、その航海中に病死。シンガポールで火葬された。

そして、二葉亭四迷の墓碑の近くに、太平洋戦争時における南方軍総司令官であった寺内寿一元帥の墓碑があり、そこにも向かおうとした。しかしその近くで現地の男が数人集まって日陰で酒を飲んでいて、近づけなかった。この酔っぱらい共は僕のことを認識はしていただろうけど、危害を加えることはなかった。けれども何かトラブルがあったら、この人気のない閑静な住宅街にすぐに助けが求められるとも思えなかった。結局僕は寺内寿一の墓碑は諦めることにして引き返した。

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納骨堂。仏教における法輪が刻まれている。中には上述した最初の日本人定住者である山本音吉の遺骨が治められている。

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御堂みどう。1985年に神奈川県の西有寺からシンガポール日本人会が寄贈を受けたもの。特定の宗派を持たないようにするため、この建物の名称に「寺」を使わず、「御堂」と呼ぶことになった。

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従軍南洋会員戦死者の墓。その名の通り、太平洋戦争において南洋方面軍に属し戦死された日本軍人の墓碑である。

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旧日本軍慰霊碑。

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周辺には墓石が立ち並ぶ。

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昼間だというのに恐ろしく静まりかえっており、人の気配を感じない。肝試しとかしたら雰囲気ありそう。

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太平洋戦争戦没者慰霊碑。左から近衛歩兵第四聨隊慰霊之碑、作業隊殉職者之碑、陸海軍人軍属留魂之碑、殉難烈士之碑、近歩五戦死者之墓。

シンガポールと日本の関係が深ければ深いほど、それに関わった日本人が多くいる。僕がこうしてシンガポールの地を踏み、安全に歩き回っていられるのは、この先人たちの努力のおかげだ。そうだ、僕はこうした日本人の先達に御礼参りをしにきたのだ。

日本人墓地公園は、MRTの最寄り駅からは少々歩くが、シンガポールに関係した日本人の足跡に想いを馳せるには、静かで最適な場所だ。

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