非モテ恋愛弱者のブログ

旧「非モテ系のままで生きていくブログ」から、恋愛弱者男性ブログに進化しました。レベル36の限界中年/異常独身/非モテのブログ。もう人生折り返しました。残りの人生を頑張らないで生きていこうと思います。なおこのブログには、モテる方法は1つも書いていません。

☆スポンサードリンク☆

平成後期~令和時代に生まれた子供ってかわいそうだよな

平成後期~令和世代の人生はハードモードな件

僕は今年36歳になった。僕の周囲のベビーラッシュは26歳〜30歳くらいまでで、当時生まれた子供たちは今頃小学生になっているだろう。彼ら彼女らは、今はまだ楽しい楽しい学校生活を謳歌しているに違いない。そして、それでいいのだ。楽しいのは今のうちだけだ。恐らく15年か20年後、彼らは地獄のような苦しみを味わうだろう。

僕は反出生主義者として、生まれてくる側からの同意のない出生の原罪を問う立場である。「生まれてきたくなかった」は誤りで、そもそも生まれる前は「生まれてきたくない」という意志すら存在しない。よって正しくは「生まれてみたらゴミカスみたいな社会だった。人生はクソ」である。

そしてこのエントリは、恐らく今ごろ人の親になって幸せいっぱいになっている僕の同年代の連中が、いずれその愛する子供たちから、まさに「生まれてみたらゴミカスみたいな人生だった。社会はクソ」と言われるだろうことを期待して書いたエントリである。

僕より性的魅力に優れた男と、僕を冷たくあしらった女が、こうして愛する子供から出生の責を問われて傷つくのは、全く愉快でたまらない。わっはっは。

とはいえ「令和時代を生きるなんてかわいそうに」と、他人事ながら考えてしまう。僕に子供がいないのは、僕に性的魅力が全く欠けているからだが、果たして今は逆に安堵している。僕は僕の子供として生まれてくる不幸な子供を、この世に生まれさせないことに成功した。僕は1人の子供を救ったのだ

さて、このエントリでは、平成時代後期から令和時代にかけて生まれた子供たちが成人し、社会人になっていく時、どのような社会情勢が待ち受けているかを見てみよう。以降はこの子供たちを読者と想定し、「諸君」の呼称を用いる。もちろん子供ではない読者の方々にも、僕の観点を理解してもらえると信じている。

junny-policies.hatenablog.com

小学校や中学校の卒業式のシーズンにもなれば、諸君は「君たちの将来は輝かしい」「未来に向かって向かって羽ばたけ」と、大人どもから美しい言葉を贈られ、そして社会に放たれるだろう。しかし諸君の眼前に広がるのは、少子高齢化による搾取構造と、それによるインフレが招く貧困である。

少子高齢化~高齢者による現役層の搾取~

大前提として、令和時代以降は本格的な人口減少社会になる。すでに人口減少は始まっているが、そのペースが早まるという話である。

諸君が生きる時代というのは、支えるべき老齢人口の割合が増え、それにより社会保障費が増大し、それを賄う社会保険料の負担が増し、一方で人口減少により国内の経済マーケットは縮小し、諸君の給料は減ることはあっても増えることがない、という時代である。

少子高齢化と、それに伴う諸君の社会保険料の負担増大は、諸君を取り巻く社会環境の中で、恐らく最も恐るべきものである。そしてこれは、このエントリの主題でもある。

少子高齢化」。今では言葉でしか知らないだろうが、数字の上では極めて恐るべきことが起きるだろう。それはつまり社会保障費の無限課金であり、その原資は諸君の無けなしの給与であるということを、諸君は知っておくべきだ。

諸君が社会人として働きだしたならば、その給与明細の社会保険料で、どれだけの金が奪われているかを見るがいい。諸君は最初から、不躾にも高齢者どもから財布の中に手を突っ込まれ、所得の25%を失っているのだ。

この25%で何ができたか?僕は国内なら小旅行ができたし、もう数ヶ月分で欲しかったギターも買うことができた。それらはそのまま本来は消費として、生きた金として産業経済構造の中でめぐる血液のような金だったのだ。

僕が旅行すれば、鉄道会社と地元のバス会社、旅行代理店、ホテル業、飲食業、土産物店、クレジットカード決済会社など、様々な業種業態に金が渡り、その金が新たな雇用や投資を生み出し、より多くの金がさらに人と企業に巡り巡るはずだったのだ。

しかしそれは社会保険料として、見事に高齢者どもの糞尿の処理に消え、その先には何も残らなかった。強いて言えば得したのは介護業界と病院、あるいは葬儀屋あたりだろうか。このような非効率があるか?!

僕個人はこのように思っても、大人どもの選択は老人福祉重視・現役労働者軽視であった。それが今に至っている。僕個人に責任があるとは思わないが、このような時代になってしまい、次世代諸君には申し訳ないと思う。

そして僕は同時に、諸君よりも30年早くこの世から退場できることを心から嬉しく思う。僕はこの酷い時代をあと30年ほど過ごせば死に至り、それ以上苦しむこともないのだが、諸君は後70年か80年はその苦しみが続くのだ。

苦しいか?それは諸君の親が諸君をこの世界に誕生させたからだ。諸君は何も悪くない。恨み憎しみは諸君の両親にぶつけるがいい。正しく生きてきた者たちの幸せな家庭が壊れるのは、僕にとって愉悦である。わっはっは。

さて、「明るい未来に羽ばたく」ことはできないと諸君は理解しただろうか?その羽ばたきの足枷を、僕はもう1つ説明しよう。それは円安とインフレだ。

円安:1ドル300円もあり得る

円安が意味するのは、円購買力の低下だ。2010年代後半は1ドル100円~120円で安定していたが、際限なき金融緩和はいよいよ国際通貨の供給バランスを崩しつつある。

junny-policies.hatenablog.com

実際のところ、2010年代半ばからの景気拡大政策で、アメリカも日本も金融緩和を実施し、通貨の増発を重ねてきた。こと日銀はゼロ金利政策を取った。いわゆるアベノミクスによって、マーケットへの通貨の際限なき供給を、日銀に国債ETF(上場投資信託)を買い入れさせることによって実現したのである。

junny-policies.hatenablog.com

時は流れ、コロナ禍をいち早く脱出し経済を回復させたアメリカは、いよいよ金融引締め政策に舵を切った。未だにゼロ金利政策を続ける日本と、金利の上昇に転換したアメリカの金利差によって、明らかに通過の供給バランスが崩れ、市場は円安ドル高、あるいは他通貨に対して円の独歩安へと推移した。

そしてこれで何が起こったかというと、輸入品の値上がりである。主に食料品の中で大豆や小麦、あるいは燃料などの輸入品は、値上げの一途をたどるだろう。

それはそのまま諸君の生活費を圧迫するだろう。パスタは100gで300円になり、納豆は3パック500円になり、ガソリンは1リットル300円になり、全ての商品は輸送の燃料コストが転嫁され、毎年10%ほど値上がるのだ。もちろん諸君の賃金は据え置きである。

そしてそれは全く解決策がない。なぜなら、日本の政策金利がゼロである以上、その国債を買ってもリターンがないので、日本円建ての国債は売られ、それがそのまま円売り圧力になるからだ。

ならば日本も金利を上げればいいのか?それは無理だ。日本の政策金利が上昇した場合、国債の償還ができなくなり、デフォルトする可能性があるからだ。日本国債がデフォルトすれば、日本から資金は引き上げられ、強力な円売り圧力によりインフレが発生する。1ドルは150円どころか、300円にも500円にもなりうるのだ。

そしてこの構造は止まらない。僕は上段で老齢人口の増加による社会保障費の増大について説明したが、これは増大する一方であり、その費用は諸君からの搾取と国債の発行で調達しないといけないからだ。つまりこれもこれとて、長生きしすぎている老人ども、つまりは諸君の親どもと、それ+αの世代が、そのような手厚い社会保障を要求し、それが民主主義的に意思決定されたに過ぎない。

junny-policies.hatenablog.com

僕はだからこそ、民主主義にはバグがあり、是正するためには誰かがその上の世代を生贄に捧げるしかないと訴えている。諸君は僕たちの世代を生贄に捧げ、昭和末期〜平成初期生まれ世代の僕たちを、穏便に人生から退場させるべきだ。そうしないならば、諸君がいずれ搾取をする側に回るのだ。

何が言いたいかというと、つまり諸君が生きるところの世界というのは、このような脆弱な経済の中で生きなければいけないということだ。諸君はその覚悟をしなければならない。

junny-policies.hatenablog.com

令和時代は後20年ほどは続くと思うが、その時代は諸君にとっては艱難辛苦、耐え難きを耐え、忍び難きを忍ぶ時代になるだろう。人口減少時代。なのに高齢者人口の割合は上昇するという地獄。そして円安による生活費の圧迫。上がらない賃金。

諸君が生きる世界はそういう地獄だ。

僕は諸君に自殺しろとか死ねとか言うつもりはない。そうではなくて、もし諸君がそれで生きづらい思いをしているのなら、どうかその思いを大切にしてほしいのだ。

「親にそんなことを言うなんて」「苦しいのは自分だけじゃない」などと道徳的な大人どもが諭すかもしれないが、それに負けずに、そんな世界に生まれさせた諸君の両親を憎みながら、その世界を生き抜いてほしい。

junny-policies.hatenablog.com

願わくば反出生主義に傾倒し、心から「生まれないほうが良かった」と思うと同時に、さらに苦しさを増す将来に向けて、次世代を残すことについて疑問を持ってほしい。諸君には子供を残さないという選択肢があることに気づいてほしい。自分の生活を守るためにも、あるいは将来の子供に苦労をかけないためにも。

また僕は、この令和時代以降も日本が持続可能であるかどうかは、安楽死の制度と後期高齢者医療費の実費負担の制度が導入できるかにかかっていると思う。これらは生産を終えた人間を人道的に処分する方法であり、社会保障を食いつぶしながら生き永らえる老人どもを、積極的に排除する仕組みである。

junny-policies.hatenablog.com

junny-policies.hatenablog.com

生まれてしまったならば君たちの負けだ。勝ったのは生まれてこなかったやつだけだ。

☆スポンサードリンク☆