非モテ系のままで生きていくブログ

管理人は、寺社仏閣と鉄道と飛行機と猫を愛する非モテ系。モテないままで、流されることなく、流れるように、頑張らないで生きていく。旅行したり仕事とか人生とか考察したり。

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浦和レッズサポーターに欠けている「リスペクト精神」

久々のスタジアム観戦は高揚する

浦和レッズのサポーターが鼻つまみ者だというのは周知のとおりだが、やはりそれを目の当たりにすると辟易するものである。

2020年10月4日、僕は埼玉スタジアムで開催されたJ1第20節、浦和レッズ名古屋グランパスの試合を観戦しにいった。コロナ禍においては、浦和レッズのチケットは有料のロイヤリティ会員向けにしか販売されていなかったのだが、観客受け入れ数の上限が増えたことで僕のような無料会員にもチケットが開放されることになり、僕としては大変久々にスタジアムで観戦ができるようになったのだ。

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座席指定でメインスタンドのロアー席2列めに座った僕は、久々に感じるスタジアムの雰囲気にだいぶ高揚していた。サッカー専用スタジアムで2列めに座るのは、僕にとって初めての経験だ。僕の席は浦和レッズのベンチのすぐ裏で、普段ネット中継やテレビでしか見れない選手たちが目の前でアップをしている。MF柏木選手とFWレオナルド選手が談笑しているが、彼らは何語で話しているのだろうか。DFのトーマス・デン選手や槙野選手、そしてFW武藤選手は近くで見ると筋骨隆々で、プロサッカー選手の体格とはこれほどまでに鍛え上げられているのかと驚いたものである。

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そして北ゴール裏の浦和サポーター。彼らも変わらずにそこにいた。彼らの存在がなくては埼玉スタジアムではない。彼らがこの巨大な埼玉スタジアムを浦和のホームたらしめる力を持っていることを、僕はよく知っている。

試合は拮抗していたが、名古屋は浦和にボールをもたせた上で4-4-2気味の守備ブロックを構築する。浦和は距離感の良い名古屋のブロックを崩すことができず、ボールは最終ラインとサイドとを行ったり来たりして攻めあぐねている感が見て取れる。

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フリーキックを蹴るマテウス選手。上背の低い関根選手が壁に立つのは少々いただけず、その関根選手の頭上を通り越したボールは、GK西川選手と浦和のDF陣の間に飛び込み、決定機となった。

名古屋はブロックに引っ掛けたボールを相馬選手やマテウス選手に預けることでカウンターを発動し、度々浦和ゴールを脅かした。僕の目の前で相馬選手とDF橋岡選手がマッチアップする。体と体がぶつかり合う鈍い音も凄まじいものだ。プロがボールを蹴ると、ドン!という重い音とともに驚異的なスピードでボールが飛んでいく。その正確性とパワーには感動すら覚える。

浦和サポーターの野次やブーイングが目に余る

さてこの試合では、浦和サポーターのブーイングの声が大きくなった瞬間が大きく分けて2つあった。前半42分、浦和のMFマルティノス選手の突破に対してのDF吉田選手のタックルがノーファウル判定だったこと、そして後半40分のトーマス・デン選手の退場である。

前者の吉田選手のタックルは、VARがあったらPKが与えられていただろう。吉田選手の足はボールではなくマルティノス選手の足元に向かっており、一方でマルティノス選手はドリブルでスピードに乗っていたけれど、その勢いで伸びてきた足を避けようとダイブ気味にジャンプした。その際に吉田選手の胴体にマルティノス選手の足が接触し、バランスを崩したマルティノス選手はそのまま転倒するのだが、それをマルティノス選手がファウルをもらいにいったと判定したようだ。もしそうであるならば、シミュレーションの判定でマルティノス選手にイエローカードが出るべき場面だったが、それもなかったことが状況理解を複雑にし、浦和サポーターのフラストレーションが高まった。

後者のデン選手の退場は、率直に言って妥当な判定だった。カウンターを発動した名古屋のシャビエル選手は浦和の左サイドを突破し、GK西川選手との1対1になろうかというシーンで、デン選手にチャージを受け倒された。展開としては典型的な決定機の阻止(DOGSO)であり、荒木主審は割と躊躇なくレッドカードを提示した。その後与えられたFKを名古屋は失敗しているため、デン選手は自らの退場と引き換えに、1点を守ったといえる。

そしてこの瞬間、浦和サポーターの不満は爆発する。

それは大変聞き苦しいものだった。指笛が響き、この試合を裁いた荒木主審に対して、「荒木お前才能ないから辞めろ、帰れ」「お前にはどうせ何も見えないもんな」などという罵倒が飛んだ。こうした野次や罵倒は、観客が少ない分、とてもよく響くものだ。

それらはサッカー選手を目指す子供には聞かせたくない言葉のオンパレードだった。子供には恐怖だろうし、あるいは審判や選手に対して敬意を欠いてもいいと学習してしまうのではないか。なぜなら大人が審判や選手を野次ることが許容されているのだから、他の場でも、つまりサッカーチームの相手やその審判に対してリスペクトしなくなるのではないか。率直に言って教育には悪影響である。

サッカーの世界とはそういうものだといえばそれまでなのかもしれない。あるいは最初からサッカーの世界に、特にサポーターの側に、そういうスポーツマンシップとかリスペクトとか期待してはいけないのかもしれない。それならばこの空間は一体何なのだろう。僕は金を払って、目の前で繰り広げられている素晴らしいプレーに魅入りながらも、なぜ不快を感じなければいけないのだろう。

話を戻すと、荒木主審はフィジカルコンタクトをファウルにしない傾向にある。僕の推測だが、荒木主審は国際審判の資格も持っているから、おそらくその基準に合わせてフィジカルコンタクトに対しては甘い傾向にあるのだろう。僕は試合開始20分ほどでその基準を何となく理解したが、北ゴール裏の浦和サポーターどもはどうもそうではなかったらしい。

相手選手や審判へのリスペクトなき浦和サポーター

実際僕が聞き取った限り、大声でそういうヤジを飛ばしているのは1人か2人だった。それにしても、なぜこんなにも浦和サポーターというのは、躊躇なく他人を罵倒できるのだろう。

僕はこの原因を、他者に対してのリスペクトの欠如だと考えている。

実際のところ、大勢で揃って大声を出すというのは、ストレスの解消に非常に効果的である。僕もスタジアムのそういう雰囲気が好きで、スポーツは違えど、僕などはプロ野球セ・リーグ6球団の応援歌は一通り歌えるほどだ。どの球場のホーム側ビジター側でも楽しめるわけだが、その楽しみをコロナ禍が奪ってしまった。

大声を出すのは選手のチャントや応援歌であるが、それ以外にもブーイングがある。

スポーツにおいて、リスペクトは大変重要である。全てのスポーツには対戦相手が存在し、対戦相手が存在しなければ当たり前のようにスポーツは成立しない。そして審判団を始めとするスタッフも。だからこそ全てのスポーツにおいて子供にまず教えるのは、礼儀だったり敬意だったりスポーツマンシップであったりするわけだ。

浦和サポーターの連中は、そのあたりを一切考慮していない。浦和サポーターにおいて、僕が最も忌み嫌う点だ。

実のところ、昔僕は友人に誘われて、浦和サポーターひしめく北ゴール裏で「応援」したこともある。チャントが流れるのはいいとして、角度的に奥行きがありすぎて試合展開がよくわからないことと、時折響く相手選手や審判へのブーイングは本当に聞き苦しいものだった。僕が北ゴール裏で「応援」したのはその1度きりだ。

応援する=ブーイングするという空間

どういうことかというと、今ピッチの上に立つ22人は、日本のサッカー人口の中で最もレベルの高い22人であり、サッカーをやっていた僕としては、敵味方関係なくリスペクトの対象である。

北ゴール裏での「応援」を終えた僕が理解したのは、僕にとって浦和レッズは地元のクラブチームでしかなく、浦和レッズもその対戦相手も敵でもなければ味方でもないということだ。僕はただ、日本で最もサッカーが上手な連中によるサッカーの試合が見られればそれで満足するのである。アウェイチームのスーパーゴールには思わず声が出てしまうのだ、つまりそういうことだ。

一方で北ゴール裏にいれば、「空気を読んで」ブーイングをすることも要求される。けれど僕は、僕がリスペクトするプロ集団に対してブーイングをすることはできない。彼らは僕より遥かに多くのサッカーの才能に恵まれ、あるいはサッカーのために身を捧げてきた人々である。存在価値でいえば、僕よりはるか上の存在だ。彼らに対して彼らを否定するブーイングや野次など、どうしてできるだろう。それは選手だけでなく、相手チームや審判団に対しても同じことだ

ブーイング=数の暴力=安全な場所からの攻撃

そしてもう1つ、僕は数の暴力というのが嫌いなのだ。サポーターの方は何千人何万人といるから、その中に埋もれて誰が誰やらわからぬまま、審判や選手を攻撃することができる。しかもそれに対して審判や選手から反撃される恐れはない。安全なところで攻撃をしかけることができるというのは、率直に言って卑怯である。

しかしそれはサポーターにとっては手放せない。安全であることは快楽であり、攻撃されないことが保証されているのは優越であるからである。上の方に、人が寄り集まって大声で何かをするというのはストレス解消になると書いたが、浦和サポーターは時には汚い言葉で人間を罵倒することによって、ストレスを解消しているのだ。率直に言って下品である。

贔屓のチームがある。できれば勝ってほしいというのは理解できる。けれど勝負事は、勝つ側があれば負ける側があるので、どちらのチームもどちらの側につくのかわからぬ。全ての試合に勝てるということはない。だから全ての試合に勝つことを目標とするのはまぁいいとして、全ての試合に勝つことを要求するのは無理筋だ。

自分が応援するクラブが負けるのは残念なことだ。その矛先は試合中は相手チームの選手や審判に向けられるが、無様に負けようものならそれは応援しているクラブの選手に向けられる。そこで発せられる聞き苦しい罵倒やブーイングは、自らのクラブへの期待に応えられなかったことに失望を表明しているのではなく、自分の愛するクラブに対しての叱咤激励である。それはクラブのためにやっていることなのだ。だからサポーターは悪くない。サポーターの期待に応えないクラブが悪い。

彼らは自ら応援するクラブを愛しており、その愛ゆえにこうしてブーイングを発するのだ。クラブの愛は、ブーイングや口汚い罵倒を含む行動全てに対しての免罪符になる

デン選手の退場のときにも思ったのだが、彼らはルールも何も関係ない。何なら知らなくともよくて、判定に対しての不服を示すことができればそれで良いのだ。しかしそれが何になるのだろう。ルールはルールだし、その判定の全権は主審にあるし、その不服の表明は審判や選手に何か良い影響を与えるのだろうか。僕はそうは思わないのだが。

サッカー観戦におけるブーイングとの付き合い方

僕はこれからも、浦和レッズのレプリカユニフォームを着て埼玉スタジアムに赴くだろう。そこで僕は拍手をするだろうし、必要に応じてチャントも歌うだろう。審判の判定にジェスチャーで不満を示したり相手のラフプレーに一瞬大声を上げることもあるだろう。けれどもそれだけだ。観戦はするけど応援はしない。これが僕のスタイルだ。同じ赤いユニフォームを着ているからって、北ゴール裏の連中と同一視されるのは御免だ。僕はサッカーが好きだから、そうやってうまいこと不快なブーイングと付き合っていこう。

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