毒親に育てられると結婚願望を持たなくなる
僕は毒親に育てられた。
僕は、20歳の頃には子供を持たないという決意をしていたと記憶している。さらにここ数年で、結婚願望がほぼ消滅したように思う。そしてそれは現実的になった。これはいいことだ。毒親に育てられた子供は、親になったら毒親になる。その不幸の連鎖を今、僕は断ち切ったのだ。
毒親に育てられた少年時代は辛かった
実のところ、僕は子供の時から生きるのがひどく辛かった。今から思えば僕は、機能不全家庭の毒親に育てられた。
この時母親から受けた仕打ちは一生忘れないだろう。誕生日に買ったケーキを目の前で踏み潰されたり、スーパーファミコンのコントローラーのコードを切断されたりしたのだ。それでいて外面はよく笑顔を振りまいていたが、家に帰ると鬼のような形相で怒り出すものだから、僕はその外面の笑顔すら恐ろしいものに感じた。今でも時たまそのことを思い出して、吐き気をもよおすほどである。
このような環境で育ったから、僕は家庭という概念そのものに一切の期待がもてず、世間一般の人々が志す幸せな結婚生活というのが、どういうものかまったくわからないのだ。…というわけだから僕には結婚願望がまったく湧いてこない。何しろ僕はこの家庭しか知らないし、家庭のあるべき姿を理解していないのだ。
僕の育った家庭では、両親はいつも夫婦喧嘩をしていて、決まって母親は泣き、僕を連れて家を飛び出しては、近くの交番へ駆け込むような騒ぎを起こしていた。両親の離婚後は母親に引き取られたが、僕は弟とともに、事あるごとに母親から殴られる蹴られるの暴行を受け、ある時は肌着のまま家を追い出され、またある時は頭を殴られて流血した僕を見て逆に母親が大騒ぎする事態にもなった。
小学校高学年くらいの時から、生きることは辛いことだと思うようになった。なぜこんなにも辛く苦しいのに、生きなければならないのかと考えたことがあった。友人から、誕生日プレゼントでゲーム機を買ってもらったり、お年玉で数万円もの小遣いを親戚中からもらった話を聞くたびに、どうして友人はそれだけのものを得ることができて、僕には得ることができないのかと真剣に考えたことがあった。
なんで人生とはこんなにも理不尽かつ不公平であるのか、小学校6年生くらいの僕は誰かに問いただしたかった。僕はもうその時点で、人生に絶望していたので死にたくなっていた。そのことを当時日記に書いて、当時の担当の先生に提出した。僕のクラスでは、日記を1週間に1回、日記を先生に出すことが求められたのだ。これも今となっては全く意味がわからないが。あの先生は一体何を期待していたのだろう。
そうしたら今度は、先生から、死にたいと思うことが悪いことであるかのように教えられ、また死にたいと書いたことが問題となって、母親に告げられる事態となった。母親は先生の家庭訪問に応ぜず、母親はいないと言えと僕に言って居留守を使い、先生が仕方なく帰った後、なぜこのようなことを書いたのか、死にたかったら死ねと言われ、また殴られたのだった。
中学校に進学し、僕の背が母親を越すようになると、母親からの暴力は少なくなっていって、中学校を卒業する頃には暴力を受けることはなくなった。代わりに当時の飼い猫にその暴力が向かったので、僕自身が殴りかかって止めたことがある。
弱いものにしか強く出られないか、クソ親め。そういえばスーパーや飲食店にクレームを入れる姿をよく覚えている。買った惣菜に髪の毛が入っていたとか、出された料理がまずいとか、そういうしょうもないクレームを延々とつけていた。そうして平謝りをさせると納得したように満足気に振る舞ったのだ。子供ながらに、これは正しくない、大人としてあるべき姿ではないと心に刻んだものである。
僕が死にたいと思っていたこと自体は何も解決していなかったが、時がたつにつれて、僕は死にたいのではなく生きていたくないのだと理解した。しかしその問題は何も解決していなかった。その後も、20を超えた僕が友達と夜まで遊んでいたら、しつこく電話をかけてきて帰ってこいと怒鳴りつけたり、束縛が激しかった。友人が理解あって助かったが、僕は友人関係すら制御されることに言いしれぬ怒りを覚えていった。子離れもまともにできない親など害悪にしかならない。
僕が就職してまもなく、母親は病気で亡くなった。僕も弟も、必要とされる介護は対応したが、母親が亡くなった時は安堵したものである。もうこれで親子の関係は終わった。僕はこの母親の息子である必要はなくなった。これからは僕と弟だけの家族があるだけだ。不運にも生活力に乏しい弟を、僕が兄として守りつつ、僕は僕で可能な限り誰にも頼らず縛られず、流れるように生きていくだけだ。この先の人生において、介護とかで引き続き母親と関わる人生を過ごすことがないという事実に、感動的な開放感すら覚えたものである。
毒親に育てられたらコミュ障になった
実際のところ、僕は今でも対人コミュニケーションに支障をきたしている。とくに僕はおそらく人よりも拒絶に対しての恐怖感が強い。だから僕のコミュニケーションは拒絶されることを真っ先に回避するし、あるいは拒絶されて当たり前であると事前に防衛しながらコミュニケーションをはかるのである。だから何か理由がないと友人にも話しかけられないし、何か強く言われれば萎縮するし、「お断り」のコミュニケーションが多く発生する恋愛などは僕にとっては無理ゲーであった。
こうして何が正解なのか探りながら話すのは非常に疲れるし、その結果僕は、勢いとかノリで会話するのが大変苦手である。僕は今でも、大人数で過ごす時間よりも1人で考えごとをしている時間のほうが好きだし、対人関係は必要最低限に留めたいし、必要以上に他人のことを知りたくないし、同じく他人に僕のことも知ってほしくない。端的に言えばコミュ障なのである。
「親のせいにする」というライフハック
親のせいにすることは禁忌であるとされている。育ててくれた親になんてことを言うのだ!と、説教をかましにくる連中の姿が想像できる。
気にすることはない。どれだけ正論の説教を垂れようと、どうせこのような他人は、誰も責任を取らない。だから遠慮なく親のせいにするがいい。他人どもは、親のせいにしているあなたを見て不快に思っているだけだ。それは自分が敬愛する親という存在は、他人も同じく敬愛するべきだという価値観をもっているからだ。しかしその他人は人それぞれ価値観が異なるということ、あるいはその根本となる育ちが異なるということを理解していない、まるで分別のつかない子供のような連中である。この恵まれた連中こそ、自身が恵まれているという事実に気づかないものだ。僕はこの鈍感さに怒りを覚える。
実際のところ、僕は毒親にこうして育てられたせいで、今でもコミュ障で苦しんでいるし、人生が生きづらいと感じているのだ。そのくだらぬ説教によって、この因果関係さえ否定しようというのか。真実を見ることすらできないメクラどもめ。真実を見ないことは真実に対しての冒涜であり、人生においての悪徳だ。
こうして僕が得てしまった「生きづらさ」、それが「コミュ障」というかたちで発現している。この状況に、僕は必死で適応しようと努力しているのだ。この連中が僕に何かしてくれることを僕はまったく望んでいないが、この連中は僕の人生に何の責任を持たない。僕の人生の責任は僕だけのものだ。僕が僕の人生を歩むにあたり、僕の生きづらさが僕の親に起因するものであると結論することが必要なら、僕は強い信念をもって親が悪いのだと言うべきなのだ。他人は黙っているがいい。
そうだ、必要ならば、親は非難され、糾弾され、否定されるべきなのだ。必要な程度を親のせいにするというのは、自分自身を理解し、豊かな人生を歩む上でも必要なことだ。少なくとも親のもとで育てられた少年時代において、その時の僕の境遇がや人生が、僕だけの責任であるはずがない。だから安心して、親のせいにできるものは親のせいにしていこう。大人になって判断力の備わった今こそ、そうした人生の総括を行うことが必要なのだ。
考えてもみるがいい。親のおかげで人生に成功した人間が親のおかげだと表明することと、親のせいで人生に失敗した人間が親のせいだと表明することは、同列であり、対であり、光と影であり、対偶なのだ。多くの場合後者が否定されるが、どちらか一方が許容され、もう一方が否定されるというのはあってはならない。それは後者のような人生に対しての冒涜である。
自分が末代だということに心の底から安心した
僕は結局、彼女も嫁も作らないし作れないから、僕が今後子供をこしらえることはない。つまり僕が末代だ。
僕はおそらく、発現していないだけで精神のどこかに毒親の因子を宿している。なぜなら僕の遺伝情報の半分は母親のそれに由来するからだ。それは子供をもったら僕の認識しないところで発現し、その子供を僕と同じように不幸に陥れる可能性がある。
だから僕は子供を作らないことにしている。冒頭にも書いたが、この自己決定は20歳くらいでなされていたものと記憶している。そして今思うのは、この決定は英断だったということだ。何らかの間違いで結婚して子供が生まれてしまったら、僕はその子供を不幸にしてしまう可能性があったのだ。一時的な情に浮かれて子供をもうけ、その子供に不幸な運命を背負わせる?!ありえない。ありえてはいけない。そうだ、今ここに存在しない我が子のためにできること、それは人生を歩むという不幸を経験させないことだ。
僕が子供さえこしらえなければ、僕の愛すべき子供が不幸にならずに済む。そうか。僕が末代だと決意すれば、こんなに素晴らしいことに貢献できるじゃないか。もう不幸の再生産のサイクルが回ることはない。全ては解決された。最悪の不幸は回避された!ああ、何という安心感だろう。あとは僕が然るべき寿命と運命によって死を迎えるまで、泥臭くも堅実に誠実に、最善を尽くして生きていきさえすればいい。