とある喪男の雑記ブログ

喪男とはモテない男のことです。寝ることと知的ぶることが好きな、意識低い系喪男の雑記ブログ。流されることなく、流れるように、ゴミみたいな人生を、頑張らないで生きていく。全体的に低スペック。絶食系男子。鉄オタ。飛行機オタ。城址仏閣好き。

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どうせ死んでしまうし親になりたくないし反出生主義者になろうぜ

僕の小学校時代、卒業式でのことである。僕たち卒業生は順番にセリフを唱えるのであるが、その中で僕たちは高らかに「輝かしい未来へ、希望をもって羽ばたく」と宣言したことをよく覚えている。

それから20年が経ち、僕はうだつの上がらないサラリーマンとして働いている。輝かしい未来も希望もなかったことはとっくにわかっている。僕自身に優れた点は何一つなく、サッカー選手にもなれなかったし、パイロットにもなれなかった。

別に収入が高いわけでもない。背も平均以下。もう若いとはいえない年齢。髪にはよくよく見ると白いものが混じっている。僕は自分自身の現状維持で精一杯だ。

暗い時代に適応する、反出生主義者という生き方

僕はこの日本に生を受けさせること自体、1つの虐待ではないかとすら思う。
誰しもが不幸になるわけでもないとはいえ、実際日本の将来は無理ゲーである。景気は回復基調だと宣伝して回っている連中もあるが、僕には全く実感はない。
人口減少、少子化、高齢化、人手不足、低賃金、失業、生活保護、倒産、未婚、介護、孤独死などの問題は何一つ解決見込みが立っていない。そんな中で、僕たちの子供世代が生きるであろう20~30年後の未来を想像してみる。今日生まれた子供が成人する2040年以降、この日本はどうなってしまっているのか。

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また僕は自分が親となるに適さない人格であることをよく知っているし、苦難にあふれた未来しかなさそうな日本という社会の中で生き抜いていけるほどの生命力と社会力を与えてやれる自信がない。僕は単なる零細労働者プロレタリアートなので、そうした文化資本は残念ながら持ち合わせていないのだ。少なくとも今の時代で親になっていいのは恵まれた人ブルジョワジーだけだ。
とくにこの共働き全盛の時代、育児リソースの確保のためには親戚や父母の協力は不可欠だ。そして僕にはそのどちらもない。その意味でも僕は親となるのに不適格である。
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ずっとたどってみると、最終的に死ぬという絶対的な不幸を避けることはできない。どうせ死んでしまうのに、なぜ生きなければならないのか。どうせ死んでしまうのに、なぜ生まれなければいけないのか。どうせ死んでしまうのに!生きている間だけでも幸せを感じられるだろうか。この没落していく日本という国で?

愛する我が子のために、反出生主義を貫く

だから僕は、僕の子供が生まれてくることのないよう願ってやまない。生まれてこなくともよいところにわざわざ生まれてきて不幸になることほど、非合理的なものはない。

僕は子供が別に嫌いではないし、自分のこともであるならばそれ相応の愛情を注ぐことも能力的には可能だろう。けれどもそれをしないのは、僕が自分の子供を愛するがゆえであると説明しよう。僕はどうしても、 金銭的に、社会的に、あるいは人間関係的にといったあらゆる意味で、愛する自分の子供を苦しませたくないのだ。

我が子が生まれなければ、そんな苦しみを抱えながら生きていくこともない。生まれてこなければ不幸にはならない。それが非合理的とは思えない。僕は今ここに、反出生主義者であることを宣言する。

ブッダ「この世に幸福な人などありはしない」

実のところ、僕自身、どうせ死んでしまうのになぜ生きるのかという問いに答えられていないのだ。

絶対的な死が約束されており、その意味で人生は不幸である。そんなわけで多くの人々は、その死ぬまでの間にどれだけ幸せを感じられるか(幸せになれるか、ではないことにも注目してほしい)を追い求めることになるのだが、それはそれで死を軽視しているようだし、あるいは死の存在を意識しないように努力しているように見える。

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生きることは死ぬことと不可分なのだから、自分が死ぬという事実に向き合わないのは、人生に対しての冒涜である気さえする。

僕は自分の死を直視するしかない。結婚するとか子供をもうけるとか、そういったことよりも自分の人生の終焉のほうが僕にとってははるかに重要な問題だ。僕はそれが解決できなくて大変苦しんでいる。我が子が生まれれば、その子もいずれ同じように苦しむことになるだろう。僕は愛する我が子に苦しみを味あわせたくない。

反出生主義。親になるに不適格であることを認めるのにこれほど素晴らしい表現はあるまい。子供を不幸にするよりは、喜んで反出生主義を宣言し、不幸な子供を量産しないようにつとめよう。

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