何者にもなれなかった大人になったけど、それでも生きていこう
「人生は何かを為すには短いが、何も為さぬには長すぎる」というのは、小説家の中島敦が名作「山月記」の中で、虎に変化してしまった李徴に語らせた言葉である。
僕は近頃、この言葉が心に刺さってしまっている。何かを為すとは、一体何だ?
思えば僕は、何かを為したいと思ったことはあったが、何かを為そうとしただろうか。
僕は、どれだけの「為したいと思ったこと」を諦めてきただろう。
僕は、あとどれだけ、何も為さぬまま生きていくのだろう。
かつてはサッカー少年だった
僕は、サッカー選手になりたかった。けれどもサッカー選手になるには、体格が小さかった。
体格が小さいだけなら、まだやりようもあったかもしれない。けれどそうした、小さな体でも通用するサッカーを教えてくれる師もなければ、それを考えるだけのサッカーインテリジェンスにも恵まれなかった。
運動神経だけは悪くなかったから、それさえ身につけることができればまだ何とかなったかもしれなかった。今でこそ、あの時ああしてこうしてプレーしていればといろいろ思いつく。けれども既に取り返しがつかなかった。
あれから20年、振り返ると、なぜ自分のサッカーの才能とセンスにさっさと見切りをつけなかったのだろうと悔やまれる。何か候補があったわけでもないが、他の何かをしていたほうが多少マシだったかもしれない。
宇宙研究者になりたかった僕がいた
また僕は、学者になりたかった。図書館で本を読み漁るのが好きだった。研究室にこもって文献を読んだり、学会のようなところで議論を戦わせたり、あるいは実験するのが好きだった。
僕は地球物理学と宇宙物理学に興味があって、特に地球の内部構造や恒星の進化過程を覚えるのが好きだった。けれども僕は、子供の頃から既に、我が家は貧困家庭であって、研究者になるための博士課程や修士課程に進む経済的な余地がないことを何となく理解していた。
実際そのとおりだったし、当初は高卒で働こうとすら思っていた。幸いにして地方の国立大学に合格するだけの学力はあったため、必要最低限の学費で学士号を取ることはできたが、既に就職することが前提の人生設計を決意していた。
ここで大卒の学歴を得たことは、僕の人生の中の少ない成功体験の1つである。国立大卒であれば、就職や転職においても、とりあえず学歴のみで足切りに遭うことがないからだ。
けれども宇宙研究者になれなかったという事実は覆らない。
パイロットになりたい僕がいた
また僕は、パイロットになりたかった。けれども子供の頃から近視が進行したから、その道を絶たれた。適格検査に合格できる視力を下回り、上述の通り体格も小さかった。
以前フィリピンで飛行機の操縦体験をした時である。飛行機の操縦席に座った時、僕の足の長さははラダーペダルを完全に踏み込むのに足りてなかった。僕は自身のパイロットへの適性のなさを実感した。
電車の運転手になりたい僕がいた
また僕は、電車の運転手になりたかった。僕の高校は文系と理系に別れていたが、当時の僕は日本史や世界史の教科が好きだったので、文系を選択した。
その結果、鉄道関係の現業職に就くのに必要な、電気物理学や機械工学の知識を全く身につけることができなかった。しかし、僕が電車の運転手になろうとしたとしても、上述の通り僕は視力が悪かったから、きっと不適性であっただろう。
俳優や歌手になりたい僕がいた
また僕は、俳優や歌手になりたかった。舞台やステージで人々の注目と喝采を浴びてみたかった。
しかし、人々の注目と喝采を浴びるほどの容姿ではなかったし、また一時期俳優養成所に通ってもいたが、家庭の状況が厳しくなるとそれを続けるわけにいかなくなった。
国際機関で働きたい僕がいた
また僕は、国際機関で働いて発展途上国の成長に貢献したかった。それには語学力が足りなかったし、弟と猫を放っておいて海外に飛び出せるほど無責任にもなれなかった
発展途上国支援のために働き、時たまテレビでも特集される日本人もあるが、彼らと僕と、何が違ったのだろう。
彼らには支援者となる両親がいたが、僕にはいなかったし、弟と猫の面倒を見なければいけない立場だ。よって国際貢献のような(一見)輝かしい仕事に挑戦する機会は、僕にはそもそもなかったのだ。しかしそれに気づいたのはだいぶ後になってからだった。
諦めた夢と、挑戦すらできなかった夢
僕の能力が足りなかったことによって絶たれた夢もある。能力はあったかもしれないが、生活や家庭の環境に恵まれなかったり、金がなかったりで身動きがとれずに挑戦すらできなかった夢もある。
おそらく後者の方が多いのではなかったか。
社会から称賛されることに憧れた。サッカー選手でも、学者でも、パイロットでも、俳優や歌手でも。それぞれにおいて、僕には必要な要素が不足していた。その要素というのは主に小さな体格(とそれによる自信のなさ)で、そのせいでいろいろな夢を諦めたのだ。
しかし、果たして僕の体格が大きかったなら、それらの夢は叶っただろうか。おそらく叶わなかっただろう。けれども挑戦や努力の継続すらできずに霧散する夢にはならなかったかもしれない。
そして、その中に、僕自身の責によって絶たれた夢がどれだけあるのだろう。
1つ言えるのは、僕は自分の夢を叶えるに値しない、ゴミクズのような男になったということだろう。
何も為さなかった自分を受け入れていく
これは僕の運命だ。受け入れるしかない。流れ流れて、今のように名もなきサラリーマンとして生きているこの僕がいる。
おそらく僕は、もはや世間一般から社会的な称賛を浴びられるようなことは何も為せないだろう。そして、それ自体に僕は一定の満足感と納得感を覚えている。
夢が叶わなかったこと、夢に挑戦すらできなかったことに対しての心理的適応なのかもしれない。それでも、いや、それだからこそ、今の僕は安らかである。夢を追い求め、何者かになることを辞めた時、人は安らかになれるのかもしれない。
僕はもはや何者にもならない。
何者にもなれなかったけれど、それでも生きていこう
それでも生きていかなければならない。少しだけ社会の役に立ち、日々の糧を得て、税金を払うために。
生きるにあたり、僕は食べたいときに食べたいものを食べたいだけ食べ、時間の許す限り惰眠を貪り、便意を催したなら多少の我慢をもって然るべきところで用を足す。食う。寝る。出す。それさえできれば僕の人生は上等だ。
食べたいと思ったときにすぐ食べられる焼肉やラーメンは、どこぞの高級ホテルのディナーフルコースより遥かに高い満足度を得られる。気の赴くままに旅行に行ったり、本を読んだり、猫と戯れたりするだけで僕は人生を歩む活力を得られる。
そしてそれができるだけの体力、行動力、咀嚼力や健康な消化器官をもっていることに幸せを感じるのだ。
買うだけ買ってまだ読んでいない本もある。ブログに書き残しきれていない草稿もある。僕は僕がしたいことをするために生きている。