非モテ系のままで生きていくブログ

管理人は、寺社仏閣と鉄道と飛行機と猫を愛する非モテ系。モテないままで、流されることなく、流れるように、頑張らないで生きていく。旅行したり仕事とか人生とか考察したり。

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風俗に行ったら非モテの青春コンプレックスが解消に向かった件

非モテをこじらせてラブソングが嫌いになった話

青春なんてなかった非モテも、今を生きていかなければいけない。僕だって、部活で仲間と栄光と挫折を味わい、あるいは友情に悩み、クラスメイトの女の子と付かず離れずの関係になるような、そんな絵に描いたような青春を過ごしたかった。

けれども僕は、部活では万年補欠だったし、よくいじめられたし、好きな女の子と仲良くなることも叶わなかった。好きな女の子と仲良くなれなかったのは、もちろんその女の子が彼氏持ちだったというのもあるけれど、その子と仲良くなろうとした行動の本質が、僕の自尊心を満たすためであることと気づいてしまったからだ。僕の自尊心という都合1つで、他人を巻き込むわけにはいかなかった。

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いつしか僕は、ラブソングがまともに聞けなくなった。「あなたが好き」とか「世界中を敵にしても君を守る」とか、そういう何の変哲のない歌詞に憎しみすら覚えた。映画もドラマも、男女関係に繋がる要素に身震いするほどの拒否感を覚えた。僕はなぜ恋愛から見放されたのだろうと自問し、自分を憎み、そして他人を憎んだのだ。その時期は本当に苦しかった。

僕は何かを変えなければいけないことを理解していた。その1つとして、僕はプチ整形もした。僕は自分の目が一重で、目が小さく目つきが悪く見えることを気にしていた。実際のところ、僕のことを誰も見ていないことを知っていても、それは気になっていた。その両眼を二重にする手術に4万円払ったが、自分基準で昨日より多少マシな自分になることが嬉しかった。それにかかる費用としては、4万円は安いものだった。

非モテこそ風俗に行けという真理

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僕はこの真理こそ全ての非モテに伝えたい。僕は青春コンプレックスを抱えていた間に、風俗店にも行った。僕は僕の純潔に何の価値もないことを知っていた。そしてそれを捨て去るのに、金を払うという決意ができた。より正しく表現するなら、純潔を捨て去るのに金を払う必要がある自分という存在を、受け入れることができるようになったのだ。

僕はそこで、金を出せばその対価分の女の優しさと体が手に入ることを知った。これが、青春を取り戻そうとして取り戻せないことに対しての代償行為であることはわかっていたが、それでもそのコストパフォーマンスは魅力的だった。店を出れば一切の後腐れがない関係も心地よかった。優しさと体は金で手に入れることができるという事実を知った時、僕はまさに天啓であるように感じた。

それは金と引き換えにした偽りの優しさであると僕に諭すのか?なるほど、その優しさは、確かに真心からではなく、限りなくビジネス的である。その優しさは表面的である。

けれど、それでいいのだ。僕は女が僕に向けた態度全てに、悪意と軽蔑があることを知っている。しかし、それを露わにすることなく笑顔と態度で覆い隠し、優しさという形態をもって僕に与えられたならば、それは優しさなのだ。偽りであるのか真であるのかは、そして僕が対価を払ったかどうかどちらでもよくて、優しさが与えられたという事実のみが、僕にとっては重要なのだ

今の僕はそれほどまでに、女の真心に対して無関心であり、期待をしていないのだ。そしてそれは女が僕に対して無関心であり、期待をしていないことをまったく等価である。その互いに無関心な者同士が、金と優しさと体を交換している契約関係に同意しただけであり、僕はそういう契約関係で満足することができてしまっただけなのだ。

とにかく、女の優しさと体こそ、僕が求めて手に入らなかったものであったから、それが手に入る手段を理解した時、僕は心に澄み渡った風が吹き込んだ気がしたことを覚えている。同時に僕は、この手段でしか女の優しさと体を手に入れられない自分の価値を、正しく見限ったのだった。そしてこの限り、遊女でない女と関係を持つことも無いと悟った。あるいは僕が求め続けた女の優しさと体というのは、金を払いさえすれば手に入る程度の軽薄な存在だったということも理解した。

このような金で手に入るものに恋い焦がれてたのかと思うと、僕のこの苦しみは一体何だったのかと思ってしまう。僕の純潔にも、女の優しさや体にも、金で解決できるほどの価値しかなかったのだ。

実際のところ、非モテがなぜ苦しいかといえば、何らかの機会にモテるかもしれない、あるいは彼女ができるかもしれないと期待し、それが叶いそうで叶わない状態が続き決着がつかないことが苦しいのだ。この決着がどちらかについてしまえば、それは解決済みとして考慮されなくなる。僕は一度風俗に行ったことによって、僕がもう一生モテない側の人間であると決着がついたことを悟ったのだ。心が晴れやかになったのは、もうモテたいという欲求に対してあれこれ考えず、あるいは行動しないでよくなったからだろう。
僕の青春コンプレックスが和らぎはじめたのは、年齢が30代半ばに差し掛かった時である。和らいだといっても、それは解決したのではなかった。それでも解消に向かっていた。それは、僕にとって青春があまりにも遠くなりすぎたからだ。もう手を伸ばしても手が届かないくらいに。おそらくもう取り返しがつかない。その事実を受け入れる準備がようやくできてきたのだ。

これまで僕は、青春を追体験しなければ、青春コンプレックスは解決はされないと考えていた。しかしその可能性が潰え、風俗という代償行為を手に入れたことによって、ほんとうの意味で青春を諦めることができつつあるのだ。それは、問題を問題として扱う必要がなくなるということであり、それをもって解決ではなく、解消という帰結になるのだ。

彼女たちは僕たちが金蔓である限り、僕たちには優しく接し、体まで提供してくれる。金を払って女を買うことは、おそらく非モテに新たな悟りを提供する。世界が変わるとはこういうことだ。こうして非モテを解消していけば、悩み事が減って、人生はより生きやすくなるだろう。

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