非モテ弱者男性のブログ

旧「非モテ系のままで生きていくブログ」から、弱者男性ブログに進化しました。レベル36の限界中年/異常独身/非モテのブログ。もう人生折り返しました。残りの人生を頑張らないで生きていこうと思います。なおこのブログには、モテる方法は1つも書いていません。

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非モテには恋愛のハードルが高すぎたから降りることにした

今や、非モテが最も必要としている言葉は、こうすればモテるようになる!という解決法ではない。もうそういう誰も救われない言葉は不要だ。こういうことを言ってくるのは、非モテに対してマウントを取りたいだけの畜生どもだ。僕たち非モテが求めるのは、もう諦めよう、モテることをやめて恋愛マーケットから離脱しよう、そして残りの人生をモテとか関係なしに穏やかに生きようという、優しくも強いメッセージであること。そしてそれによってモテに対しての未練を断ち切ることだろう。

非モテの人生は疲れただろう。辛かっただろう。悲しかっただろう。痛かっただろう。悔しかっただろう。けれどもう僕たちはそうして傷つくことはない。モテるために戦ったり、努力する必要はない

考えてもみるがいい。僕たち非モテが血反吐を吐く思いで努力したとしても、生来のモテ気質をもったイケメンどもが、大した努力をすることもなく女をあっさり手に入れるのだ。これは最初から僕たちに不利なハンデ戦なのだ。僕たちはそんなイケメンどもと自分たちを対比し、そんな非モテ人生を歩んできて理解したはずだ。恋愛は自分には限りなく困難なのだと。

困難なことに挑戦し続ける姿が美しく見えるのは、青春真っ盛りの中学生や高校生か、プロジェクトXで放送されるような一大プロジェクトに取り組んだ連中だけだ。僕たちが挑戦しても、美しいどころか、女性にとって害を及ぼすだけだ。

イケメンどもだって努力をしているというのか。なるほどそれは誤りではない。しかしその努力が報われるかどうか?非モテが同じ努力をしたところで報われるわけもない。非モテはイケメンどもの何倍も努力する必要がある。そうでなくては勝ち目がないからだ。非モテはそうやって恋愛資本主義のマーケットに飛び込んでいき、自らの市場価値の低さを認識する。その価値をそれを少しでも上げようと努力を重ねることによって、非モテは疲弊していくのである。

この苦労の先にあるものは何だ?そもそもオレは何のためにこんなに疲弊してまでモテようとしているのか?そう発想したならば、いったん恋愛マーケットから身を引いて考えてみることが必要だ。

もしこのままモテようと努力するのが辛く苦しいのなら、もう自分を自分で苦しめるのはやめよう。僕たちは恋愛マーケットにおいて価値はなくとも、それに関わりなく幸せになれるはずだ。そういう生き方を探しにいこう。

非モテの苦しみの97%を取り除く

多分、子孫を残したい側である男性にとって、モテたいという欲求は本能的なものだ。だからどんなに理性と論理をもってこれを否定したとしても、3%ほどは「モテたい」が残ってしまう。僕はこの3%を、一生抱えて生きていくことになるだろう。これがモテない苦しみの中で最も重要なものである。それでも97%はこの欲求を抑えられる。だからこうして僕はこのエントリで、この97%を否定し、解消してやろうと試みているのである。

junny-policies.hatenablog.com

ちなみに残りの3%については上記エントリで考察した。合わせて読んでいただけると管理人が泣いて喜ぶ。

全ては自分が非モテであるということを自認することから始まる。非モテは好き好んで非モテになったわけではない。非モテ非モテである属性をもってしまい、それが現代的な恋愛価値基準から逸脱しているからモテないのである。非モテ男性の場合、それはたった一人の女性すら自らのパートナーとし得ないことを意味する。

僕は、低い身長に、小さく神経質そうな目、低くて潰れた鼻、甲高い声、機転の利かない会話、コミュ障、鉄道や飛行機や自動車や旅行などのオタク趣味など、あらゆる意味で性的魅力に劣っていた。勉強もスポーツも人並み以上にはできなかった。そんな僕が女性にモテるわけがなかったのに、過去の僕はそれでもモテたいと哀れな努力をしていた。けれども30台半ばにもなって、それらをやめたのだ。僕には女性とパートナーになることなど無理だと悟ったのだった。自分自身が異性から価値なしとされること、そしてそれを認めることは大変な苦痛を伴った

「※ただしイケメンに限る」は正しい

非モテ男性と女性とのコミュニケーションというのは悲惨である。非モテ男性が女性に積極的になればやたらアピールしてくるウザい男と疎まれ、消極的になれば何を考えているかわからないキモい男といわれる。非モテ男性が強さを見せれば暴力男であると非難され、非モテ男性が弱さを見せればウジウジナヨナヨした弱い男だと軽蔑される。非モテ男性が女性ウケのいい趣味の話をすれば狙いすぎていてキモいと言われ、趣味に没頭していれば女にモテないから趣味に逃げたヘタレだと言われる。

イケメンであれば、積極的であっても消極的であっても、強さや弱さを見せても、どんな趣味をしていても、許されたはずだ。僕だから許されなかっただけのことだ。

いよいよ僕たち非モテは自覚するべきだ。すべての女性は、僕たち非モテからのアピールやアプローチなど望んでいないということを。10代20代はまだ逆転の余地があるかもしれないが、僕のように30代に乗ったならばそれはもうノーチャンスだ。

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恋愛に進むプロセスというのも、非モテは女性からの不興を買うだろう。通常であれば、知人→友人→恋人のようにお互いを知りつつ段階的に親愛を深めるというのが関係構築の方法とされる。

しかし非モテでは事情が異なる。ある女性に対して良き友人として優しく振る舞っていた非モテ男性が、ある日勇気を振り絞って女性にアタックを仕掛けたとしよう。このケースでそれを好意的に受け取られることは稀である。なぜなら女性というのは、一度男を友人カテゴリに格納した場合はそこから恋人候補カテゴリに昇格させない生き物であり、そのカテゴライズは第一印象の時点で確定している。そして恋人候補カテゴリ以外の男からのアプローチは拒絶するのである。

恋愛関係には性欲が伴う。しかしてその性欲を、恋人候補カテゴリ以外の男から向けられるならば、彼女たちは恐怖し回避行動をとる。男が生来もつ暴力性や攻撃性を感知し、女は回避行動に走るのである。この現象についてツイッターには、「ぬいぐるみからペニスが生えてきた」という表現があった。なんとも秀逸である。

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心当たりがある。ちょっといいなと思って、いけるかと思ってしまったのだ。若気の至りで本当に申し訳なく思っている。

そういうハンデが設定された中で、オシャレなレストランやカフェに行ったり、映画を見たり、あるいは旅行するなど、そういう関係に発展することはどれほどハードルが高いだろう。しかしそれらは、恋愛をするにあたって要求されるものだ。僕はその要求を満たすことができるのだろうか?断じて否!無理だ。コミュ障でオタク趣味で見た目にも劣る僕にそんな能力はない。もうやめよう。この僕の分際で、人並みに恋愛ができるかもと少しでも考えたのが誤りだったのだ。女性たちよ、僕は諸君に約束する。諸君とは生活上や労働上、必要最低限の関わりしかもたないことを。そして諸君のそれらの要求を満たせる男と、どうか幸せになってくれ。

僕の恋愛は失敗ばかりだった

少し僕の話をしよう。かれこれ30年ほど、僕は非モテであり続けてきた。そんな人生の中で、僕は4人ほど好きになった女性がいた。僕は彼女たちに、僕のことを振り向いてほしかった。眉毛を剃って整えたり、その女性が好きなアーティストの歌を聞いたり、あるいは目を二重まぶたにする手術もした。

実は、僕は優しくされたかったのだ。認めてもらいたかったのだ。彼女たちには目に入らなかっただろうが、僕は彼女たちの承認をもって、僕が男として・・・・存在していいのだと認めたかったのだ。

唯一無二の存在に、特別な存在になったという事実が欲しかったのは否めない。僕は存在を承認される必要があったのだ。けれどもその中でも僕は、他の誰でもなく、彼女にとっての唯一無二の存在に、そして特別な存在として承認されたかった。完全に自分の都合を押し付けているだけなのはわかっていた。恋愛には性欲が伴うが、そうして恋愛と性欲と存在の承認という役目を、彼女に対して自分勝手に割り当てている自分が、僕は本当に嫌いだった。「好き」という感情の中に、そんな欲望が渦巻いているところを見てしまった僕は、その薄汚さを彼女に投げつけることができなかった。だから僕は彼女に、好きだと伝えられなかったのだ。

僕はそれに気づいたとき、僕は大変卑怯者であると気づいた。僕は彼女たちに与えられるものは何一つないにもかかわらず、彼女たちには僕の存在価値を承認してほしいと要求していた。この意地汚さが解決されるまでは、女性を好きになることはしないと心に決めたのである。

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今から思えば、この「好き」に含まれる様々な要素こそ、おそらく人間の豊かな精神性、感受性、あるいは魂とか、そういうものが含まれていたのだ。しかし、これがあるから美しいのではない。これの受け手が、出し手からそれを受け取ることを吝かでないと判定したとき、それは美しい愛と青春の輝きを放つ。それ以外の全てはただの攻撃であり、暴力であり、セクハラである。僕のそれは後者であることを知っていたから、僕は身を引いた。それは大変辛かった。

僕は強くなれなかったから非モテになった

女というのは、強い男に惹かれるのだ。僕は女を信じていた。優しい男が好きだという女の言葉を信じていた。僕はいつでも優しくあろうとした。それは誤りだったのだ。優しさには強さという前提が必要だった

強くなければ生きていけない。優しくなければ生きていく資格がない、という有名な台詞がある。そうだ、僕は強くなければいけなかったのだ。強くなければ生きていけないということを、おそらくわかっていなかったのだ。生きていく資格などというのは強さがあってのことだった。僕は強くなかったし、弱さを肯定して受け入れてきた。だからモテないのだった。

女性はそれを理解していた。僕はまだまだ子供だった。容姿もそうだが、精神もまったく成長していなかった。

もう僕は、女性と仲良くなる方法もわからない。何を話していいのかもわからない。けれど女性に必要以上に近づいてはならないという、なんとなくの線引きは理解しつつあるのかもしれない。そんな僕に恋愛は無理だ。だから僕は恋愛から降りることにした。残念だ。まだ3%だけ、心の中が引っかかっていやがるけれど。

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