非モテ系のままで生きていくブログ

管理人は、寺社仏閣と鉄道と飛行機と猫を愛する非モテ系。モテないままで、流されることなく、流れるように、頑張らないで生きていく。旅行したり仕事とか人生とか考察したり。

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【青春を取り戻せ】人生の主人公であり続けることが辛すぎる件

サッカー挫折組の随想録

実は最近、久々にサッカーを始めた。僕がサッカーを本格的に始めるのは、およそ20年ぶりである。僕の最後のサッカー歴は、中学校時代で終わっているのだ。それを大人になった今、また始めようというわけである。

なぜ僕は今サッカーを始めようとしたのか。それは、僕の中学校時代のサッカー人生がうまくいかなかったからだ。

僕はFWかウイングの選手だった。しかし朝が弱くて(これは親を含めた当時の家庭全体の生活習慣がダメだった)朝練習にほとんど出られなかったし、また体格も小さかった(早生まれだったからレギュラーの選手との身長差は20cmもあった。中学校時代の1年分の成長差は致命的だ)から、レギュラーになれなかった。いたたまれなくなった僕は、引退を待たずしてサッカーを辞めた。ボールを蹴ることは嫌いではなかったのに。

時は過ぎて20年。同年代のプロスポーツ選手は引退していく。女子プロスポーツ選手は母親になる。一端のサラリーマンとして日々を過ごす僕だが、いよいよ生活が安定し、新しいことを始めようと考えていた。ここで結婚相手を探そうとか思いつかないところに僕はそこはかとなく非モテみを感じるが、それはそれである。

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とにかく僕は、ちょうどJリーグの試合を見るようになって少しサッカー熱が再燃しつつあった。特にコンサドーレ札幌チャナティップ選手や、名古屋グランパスの相馬選手のような小柄な攻撃的プレイヤーに魅入った。一方で僕はこれまでもフットサルやソサイチなどのスポーツをこなしており、体力面においては年齢に対して人並み以上にあると思えたし、サッカー観戦によってサッカーの動き方の理解も深くなったように思う。それをフィールドで表現できれば、体格の不利をカバーしうる可能性があるのではないか。そういうわけで、僕は今こそいよいよ本格的にサッカーを再開しようと決意したのである。

青春への復讐と、苦い思い出の粉砕

僕がこのことを理解するのはその決意から少々時間がたった後だが、サッカーの再開は、僕の青春を取り戻す試みでもあった。

僕は青春時代において失敗者であり、敗北者であった。サッカーは補欠だし、受験の第一志望校には落ちたし、好きな人に好きだと伝えることすら憚られるほどの低い身長と造形の悪い顔の作りをしていた。

僕が思うに、こうして青春時代を失った人は、30歳を過ぎた頃にそれを取り戻そうと行動しだすのではないか。だいたい僕はコンプレックスの塊で、高身長は諦めても、高学歴と高収入はその代償行為として手に入れてきた。まず僕は地方の国立大学を卒業することで「国立大学卒」というそこそこのステータスを得ることができた。収入に関しても、社会人生活最初の10年ほどはひどいものだったが、転職を繰り返し、今やサラリーマンの平均年収をわずかに超える程度の収入を得ることにもようやく成功した。そしてこれらのコンプレックスが解消された今、身長以外の身体的コンプレックスを払拭する時が来たのだ。

サッカーをやりたい、サッカーを楽しみたいという純粋な動機がないわけではない。けれどその目的に、僕が失敗した青春に対して復讐し、その苦い思い出を粉砕することが要素として間違いなく存在した。当時は体でも身体能力でも勝てなかった連中に対して、15年越しに僕の優位性を証明しようというわけだ。

これは虚栄心である。僕は僕の中にあるこの存在を認め、観察しなければならない。

サッカーに関していえば、なぜ僕は当時、僕を冷遇するようなチームに入り続けていたのだろう。朝練とか僕の生活習慣に合わないのに、それを強要する世界でなぜ生きようとしていたのだろう。弱くてもいいから、どこかのジュニアクラブチームにでも入れば良かったのだが、当時の僕はそんな発想もなかった。

今回のサッカー再開は、その苦い記憶と失敗を打ち消すための試みであるのだ。そしてそれは、僕がどこかのチームでメンバーに入り、僕の力がチームに貢献できることを示すことで達成されるのだ。

自分の子供にやらせるようなことを僕がやる理由

実際のところ、これは自分の子供にやらせるようなことだ。かつての僕のチームメイトはとっくにサッカーを引退し、家庭を作って子供を儲けている。彼らの子供のうちの何人かは、またサッカーをやるかもしれない。そしてまた、彼らはもうサッカーをしないでもいい。なぜなら彼らは青春時代にサッカーをやりきったからだ。もう彼らの人生は自分のためではなく、自分の子供のためにある。

けれど僕のサッカーはまだやりきっていない。だから僕のサッカーは、僕がやらなければいけないのだ。これは自分のための戦いであり、自分を取り戻すための戦いでもある。だから僕はもうしばらく、自分の人生を自分のために生きる必要がある。

自分が人生の主役でありつづける

1つ残念に思うことがある。通常であれば、上記のかつてのチームメイトのように、子供が自分の人生の主役になり、自身はそれを支える脇役になる。一方で僕は、こうして人生の主役は常に自分であり続ける必要があるのだ。自分の子供がいない以上、僕の人生はいつまでも僕が主人公である。おそらくそういう姿が望ましくないのは、なんとなく世間一般の共通理解であるように思われる。

それはつまり、僕は自分のために、自分のためだけに戦う存在だということだ。漫画の主人公じゃないけれど、実際のところ、自分のためだけに戦う存在というのは、他人のために戦う存在に対して劣位であることが多い。そして自分のために戦うものは、弱くはないが、脆い

家族もなく、守るべき人が自分自身しか存在しない人は、みんなどうしているのか、僕は問いたい。自分のために戦うものは、自分が崩れてしまったら、あとは何も残らなくなってしまう。だから彼は、自分を厳しく律し、鍛錬し、成果を出すために気勢を上げ続けるだろう。

しかし僕は知っている。それをすることによって間違いなく彼は強くなるが、どれだけ傷ついても悲しんでも痛んでも、誰からも手を差し伸べられずに自分の足で立ち続けることはできない。いつかどこかで、彼も倒れる時が来る。そしてその時、彼は自力で起き上がることはできないし、誰からも手を差し伸べられることはないだろう。そして彼は、それを許容するだろう。人生の主人公であり続けるとは、つまりそういうことだ。

青春を取り戻すとは、このような覚悟で取り組むべき試みであったのだ。しかし僕の人生は、やはりサッカーをやりきらないと先へ進めないのも事実だ。青春時代を満足に過ごせなかった人は、こうして青春時代の代償を追体験するか、あるいは完全に諦めたり割り切ったりするかのいずれかなのかもしれない。

news.yahoo.co.jp

芸能人の光浦靖子さんは、「もう1つの人生も回収したい」という表現を使った。

これは「挑戦」だ。私は文房具屋になりたかった。手芸屋にも、花屋にもなりたかった。留学したかった。海外に住んでみたかった。広く浅く全部に手を出そう。今から全部叶えよう。

「人生を回収したい」というこの言葉が、未だ人生の主人公であり続ける僕にはひどく突き刺さっている。光浦さんほどの人でも、このようなことを思うのだ、と。そして社会的成功のスケールは象とアリほど違えど、コンプレックスを抱えつつオンリーワンを自称しながら生きてきたというその姿は、僕の人生と重なってしまう。

僕は光浦さんを芸能界における成功者であると思っていたが、どうもそういうことではないらしい。彼女も彼女で取り戻したい人生があった。こうして取り戻したい人生が積み重なっていくと、大人が大人になれなくなる。あるいは大人の見た目をしているが、その実は年をとった子供のような存在になる。

子供に託せないなら、自分でやるしかないのだ。

大人向けサッカースクールの少なさ

ここから先は、人生の主人公どうこうは特に関係のない、大人がサッカーをしようとするのは難しいという話が続くが、少しだけお付き合いいただければ幸いである。

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ちなみに、僕は埼玉県に住んでいるのだが、埼玉県にはJ1に所属する浦和レッドダイヤモンズとJ2に所属する大宮アルディージャという2つのチームがある。そして埼玉県はサッカー王国を自称するが、僕たち大人が気軽に通えるようなサッカースクールがないことがわかった。これは大変残念なことだ。東京では東京ヴェルディが、神奈川では横浜Fマリノスが主宰する大人向けのサッカースクールがあるのに、我らが埼玉県にはそれがない。何がサッカーの街だ、サッカー王国だ。

結局僕は、いずれどこかのOー40チームに所属するため、これからの5年間は、都内のスクールへの定期的な参加と、オンラインで近隣で募集している個人参加の試合に助っ人で参加することで、コンディションを作っていこうと決めた次第である。この決意がどれほどまで続くかはわからないが、まぁおそらく僕が満足するのは、僕の力がチームの勝利に貢献できうることを確認したときだろう。サッカーの青春の本質は勝利ではなく、チームへの貢献と承認にあるのだ。

僕は今のままなら、サッカーとゴルフを生涯スポーツにするだろう。それにしても「チームスポーツの対人関係や、あいつのせいで負けたとかの責任関係が嫌いだ」とか言って個人競技であるゴルフを始めたこの僕が、チームに貢献したいとか言いながらまたサッカーを始めるとは、なんとも度し難いものである。時間が経つと人は変わるものだ。

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