非モテ恋愛弱者のブログ

旧「非モテ系のままで生きていくブログ」から、恋愛弱者男性ブログに進化しました。レベル36の限界中年/異常独身/非モテのブログ。もう人生折り返しました。残りの人生を頑張らないで生きていこうと思います。なおこのブログには、モテる方法は1つも書いていません。

☆スポンサードリンク☆

生まれ育った街を訪れたら、いつしか僕は大人になっていた

回想録

とある東京都内のベッドタウンを、僕は久方ぶりに訪れた。僕はこの街で僕は幼稚園と小学校時代を過ごした。今でこそ別の場所で暮らしているが、この街は僕にとっての青春であり、思い出であり、郷愁であった。

25年前、僕はこの街で暮らす小学生だった。その時の記憶が蘇る。何しろ家から学校が遠くて、朝が弱い僕は度々遅刻したものだ。それもあって自転車でこっそり学校の近くまで乗ってきて、見つからないような場所に駐めておくという裏技を度々実行した。そしてさも家から今まさに歩いてきたかのように、通学路を歩く他の生徒の群れにしれっと混じって歩いたものである。

最寄り駅を降りる。改札を出ると、かつて父親に売店で買ってもらったロッテの梅ガムと250ml缶のコーラの味を思い出す。あれは僕にとってごちそうだった。梅ガムもコーラも、箱でいくらでも購入できる程度の経済力は身につけたし、コンビニで100円を払えば、買おうと思えばいつでも買える。それでもあの梅ガムは、今でも特別なのだ。

「音」の郷愁

この駅も今では小綺麗な高架駅だが、もともと地上駅で踏切を渡って改札していた時代を覚えている人も、多くはあるまい。駅前に踏切があって、それは商店街につながっていた。踏切待ちをしている僕の目の前を、電車が轟音とともに走り抜ける姿を眺めたものである。そのすぐ脇には道路をアンダーパスするガード橋があって、電車が通るたびにひどい騒音が響いた。それもやはりコンクリートの高架に取って代わり、電車の走行音など気にも留めないほどになっていた。

僕は、僕が住んでいた時代からの隔絶を感じる。かつて聞こえてきた音は、今や記憶の中にしか残っていない。

駅前商店街を歩くと、すっかり様変わりしているのがよく分かる。僕が住んでいた当時から今もあるのは時計屋さんと歯医者さん、八百屋さん、クリーニング屋さん、そしてパチンコ屋だ。総合スーパーはコンビニ複合の百円ショップになり、威勢の良い魚屋さんやラーメン屋さん、そしてR18のエロ本を小学生の僕が立ち読みしても怒られなかった本屋さんもなくなっていた。見知らぬアジアン料理店や弁当屋などが並び、残りはシャッターを下ろしていた。

ここにも音があったはずだ。当時は陽気な音楽とか人通りも多くてガヤガヤしてたし、またパチンコ屋から流れる軍艦マーチはやたらと騒がしかったが、いざ少々の懐かしみをもってそこに立つと、そうした記憶の中にしまっておいたのと同じ音が、そこに流れることはない。僕はそこに、いささかの寂しさすら覚えてしまう。

そんな中でも、夜になると墓石や塔婆が動くと噂されたお寺の墓地や、縁日をやっていた小さな神社などはそのまま残っていた。この墓地や神社の祠だけは、どこかかつての空気を残しているような気がして、僕はしばしそこに立ちすくんだ。

すれ違う人には、当たり前のように僕の知っている人はいない。けれど僕と同じくらいの年代の人を見かけると、もしかしたらその人は僕と同じ時期に同じ場所で同じ時間を過ごした人なのかも知れないなんて思ったりもした。

時間と空間の郷愁

住んでいたマンションは今でもそこにある。僕が住んでいた部屋を見上げると、誰かの洗濯物が干してある。かつて僕は、あのベランダからの景色を楽しみ、あるいはそこでザリガニとか魚を飼っていたのだ。あの時間、あの空間は、間違いなく僕のものだった。

それなのに今は、その空間は僕の空間ではない。不思議な感じがする。それはそこに物理的に存在はしているのに、ひどく僕からは遠ざかっているようだ。

マンションの表玄関の方に回ると、中庭の小型噴水から水が流れる音が聞こえる。この水音だけは、25年前と同じように感じられた。かつて僕はこの中庭で、同じマンションに住む友達と遊んだものだ。自転車に乗れるようになったのもこの頃で、駐車場から中庭にかけてよく走ったし、組み立てたばかりのミニ四駆を走らせたり、サッカーボールを蹴っては駐車場の車にぶつけてしまったりもした。今から思い返すと悪ガキそのものであるが、そのことで怒られた記憶がないのが不思議である。

マンションの敷地を一周したいとも思ったが、防犯意識の高い社会になったから、マンションの敷地に入ることも憚られるだろう。30半ばの小柄な男がマンションの敷地をうろついているということで、不審者として通報されてしまってもおかしくない。かつてこのマンションの住人だった僕が、不審者として追い回される側になったことに、僕の中で経過した時間があまりにも長いのだと思い知る。

f:id:junny-policies:20201020231853j:plain

多摩川にもよく遊びに行った。川沿いに向かうと、やはり景色は当時と異なっていた。ラムネやチューペット的な氷菓子を買ってもらった河川敷のボート屋さんは、打ち捨てられたボートを残して廃業していた。野球場のフェンスは残っているが、内野はともかく外野は雑草が人の背よりも高く伸びている。テトラポットで釣りをする人の姿はなく、また遠浅で泳ぐこともできた川は、護岸工事によってフェンスで仕切られており、近づけないようになっていた。

川は僕の遊び場だった。僕はその川からすら、隔絶された存在に成り果てたのだ。

この街には、電車でも自動車でも訪れたことがあった。自動車でかつての友人宅や名前も知らぬ公園、通っていた小学校などをめぐると、やはり僕の中で経過した時間の大きさに戦慄する。友人宅や公園への道のりは、自転車を駆る当時の僕にとっても近いとは思わなかった。しかし車で移動する今、その道は車が通りづらい程度に細く、そしてすぐに到着してしまう。

僕はなんと狭い世界で生きていたのだろう。あの頃はこの街が世界の全てだった。通学路の帰り道、1本路地裏に入るだけで、大冒険の始まりだった。自転車で隣の学区を走ることは、その分世界が広がる感じがあったのだ。僕はこの感覚を知っている。旅行とかで、行ったこともないような国や街を訪れて、その空気感を肌で感じること、そしてそれを記憶することで、僕の中の世界が広がっていくのだ。

あぁ僕はいつ頃大人になるんだろう

今この街に、僕が知らない場所はない。そして僕はアクセル1つで、労することなくその場所を訪れることができる。

そうか、この絶望感はつまり閉塞感なのだ。僕は、この先の僕の人生において、知らない場所を知るということが、そう多くはないことを実感してしまった。つまり34年生きた僕の世界は、おそらくもう広がることがないのだ。僕は知識を身に着けたことで、行ったことがないまでも、世界中のどの場所に何があって、どうすればたどり着くことができるのか、だいたい理解してしまっている。

子供の時の僕は、自分の世界が広がり続けていた。今僕は、もう自分の世界をより詳細に表現し知覚することができるけど、それ以上広がることはない。そうか、大人になるとはそういうことだったのか。武田鉄矢さんの「少年期」という曲に「あぁ僕はいつごろ大人になるんだろう」という詞があるが、自分の住んでいる世界がこれ以上大きくならない瞬間、人は大人になるのかもしれない

僕は大人になってしまった

僕は大人になったのだ。世界が広がっていった時代の僕は、確かにこの地で育った。見知らぬ人が住み、商店街の景色が変わっても、この地は僕にとって確かに育った街であり、愛着と郷愁を感じるのだ。

そして今この地を訪れたことで、僕は自分が大人になったということを自覚したのだ。それはこの街が僕に教えてくれた最後の発見なのかもしれない。人が人生を歩む時、ふとした時に過去を振り返る瞬間がある。その振り返る場所があるのは、それはそれで悪いことではない。この街は僕の中で、死ぬまでそんな場所であり続けるだろう。

☆スポンサードリンク☆