非モテ系のままで生きていくブログ

管理人は、寺社仏閣と鉄道と飛行機と猫を愛する非モテ系。モテないままで、流されることなく、流れるように、頑張らないで生きていく。旅行したり仕事とか人生とか考察したり。

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何だかんだで東京オリンピックやってよかったよな

東京オリンピックの誘致が決まったのは2013年のことだった。当時僕は、およそ60年ぶりに自国で開催される世界最大級のスポーツの祭典に、まったく興味がなかった。首都高が改修されて、また外環道の大泉IC以南が建設されるのなら、使いやすくなるので良し、くらいにしか思っていなかった。

それから7年も経って、東京オリンピックには、明らかに逆風が吹き荒れていた。電通IOCに口利きや裏金を渡しただの渡してないだの、公式ロゴに盗作疑惑が持ち上がるだの、挙句の果てには世界がコロナウイルスパンデミックでパニックに陥り、開催が1年延期された。

junny-policies.hatenablog.com

ちなみに僕はこの時、オリンピックはコロナ克服の象徴になるから満員の観客を受け入れてやるべきだと主張したが、その役割はその直前にイギリスで開催されたEURO2020(これも1年延期された)にもっていかれてしまった。

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結局関東圏内で実施される全ての競技は、感染者の拡大に恐れをなした馬鹿な国民どもの圧力と無能な政府の決定によって無観客になったし、さらに開催にあたっても直前でオリンピック担当大臣が失言で解任されたり、開会式のプロヂューサーが過去のナチス発言で退任に追い込まれたりで、グダグダだった。

始まる前は全く気が進まないくせに、いざ始まると思いの外楽しかったりする。やはり非日常は必要だ。僕たちは自粛だのマスクしろだの飲食するなだので、抑圧され続けてきた。僕はオリンピックのような「お祭り」は、やはり必要なのだということを再確認した。

僕はテレビで開会式を見ていた。何だかんだで一生に一度あるかないかの世界的なイベントだ。巨大便器とすら形容された新国立競技場そのものには一切華はない。

犠牲者への追悼とか言ってゾンビみたいなコスプレをした森山未來がパフォーマンスしたことと、真矢みきの先導による大工とタップダンスというよく分からない組み合わせを披露したことは覚えている。正直真矢みきの無駄遣いだと思った。タップダンスは確かに技術は高いのだろうが、国立競技場というあの広大な空間に対して、1人あるいは複数人で行うパフォーマンスとしては、あまりに矮小すぎなかったか。

地車だんじりでもねぶたでも山笠でも繰り出して、日本の盛大な「祭り」を押し出しても良かったのではないかと思う。

けれど、競技ロゴのパントマイムは一周回って結構楽しめた覚えがあるし、ドローンによる光のパフォーマンスや花火については、とても良かったように思う。

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やはり入場行進はいいものだ。ドラクエの序曲が流れたときには、思わず鳥肌が立った。そして次々に入場してくる選手団。僕の知っている国、行ったことのある国、行きたいと思っている国、名前は知っているけど場所を知らない国、その日初めて名前を知った国…。

あぁ、なんて世界は広いことだろう。地球上のあらゆる場所から、最高のアスリートパフォーマンスを届けにはるばる極東の島国にやってきてくれたことに、僕は最高級の敬意を表する。彼らは僕の知らない民族衣装を身にまとっていた。エスニックだったりウェスタンだったり、あるいはオリエンタルなものもあった。

選手たちの表情は晴れやかだったのが印象的だ。それはオリンピックが開催されたことに対しての安堵であり、感謝であり、歓喜であった。マスクをしていても僕たちにはわかる。彼らの目元は笑っている。僕たち日本人は、目元さえわかれば表情を感じ取ることができる。

僕たちは国は違えど、今この日この時この瞬間、同じ時代を生きている。何となく、仲間意識というか、世界との距離が少しだけ縮まった気もする。IOCのバッハ会長が予定外のクソ長いスピーチで繰り返していたが、「連帯」というのは、自分がコストを支払わない限りにおいて、悪くないものだ。

まぁ最後に聖火を大坂なおみが点灯するのは人選ミスだと思ったが、黒人系、女性、ハーフといったマイノリティの象徴として、リベラルどもにはちょうどいいエクスキューズになったことだろう。

新しい競技の発見もあった。僕はハンドボールやバスケットボール、あるいはスケートボードをきちんと見たのは初めてだったと思う。何となくしか知らないスポーツを理解するきっかけになるのはいいことだ。

中には実況がついていない試合もあるので、個別のルールや、何が起こっているのかを理解するのには少々苦労することもあるが。これらの競技との出会いも、自国開催ということで時差なく見れること、そしてgorin.jpのように、民放各社が映像配信プラットフォームを運営してくれているからに他ならない。

民放がこのようにオンラインストリーミングに取り組むのは僕にとって驚きだった。テレビという媒体とインターネットと、どちらもバランス良くカバーするという点では、オンラインとオフラインの共存という文脈で、とてもいい取り組みだと思う。テレビで放送されるスポーツしか見られない、というのは確かにもったいない。

さて、オリンピックに反対した連中はよく見ておくがいい。女子スケートボードで表彰台に上がった3人のあどけない笑顔を。またはサッカー男子U24の躍進を。バスケットボール女子の、まるでマンガのような逆転3Pシュートで勝利した瞬間を。

柔道やボクシング、体操などでも名場面が多く生まれた。美しき敗者と誇り高き勝者の織りなす対照は、関係者の素晴らしい努力と調整のもとに、オリンピックが開催されたからこそ生まれたものだ。これら全ては、オリンピックに反対した連中が奪い去ろうとした情景だ。

そして僕が生きている間に、もう1度自分の国でオリンピックが開催されることはないだろう。その重みを知るがいい。このイベントは文字通り一生に一度のお祭りだ。僕たち日本人は、こういうお祭りが大好きだ。大会運営にはいろいろ細かい問題もあるが、失敗に終わるような致命的なものは全体的には発生していない。残り1週間、残るはメダルが確定するような重要な試合や、準決勝や決勝ばかりである。そーれそれそれお祭りだ。

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