非モテ系のままで生きていくブログ

管理人は、寺社仏閣と鉄道と飛行機と猫を愛する非モテ系。モテないままで、流されることなく、流れるように、頑張らないで生きていく。旅行したり仕事とか人生とか考察したり。

☆スポンサードリンク☆

「親ガチャ」ハズレを引いたので、恵まれた家庭育ちが憎い件

金持ち育ちや恵まれた家庭育ちが憎い

僕は大学生活を通して、金持ちや恵まれた家庭への憎しみをつのらせてきた。

彼らには僕たち底辺非モテから憎しみを買う理由など、思いもよらぬことである。けれどその憎しみを抱える身勝手さ、理不尽さをまずは噛み締めて味わうがいい。このエントリは、そんなふうに「恵まれた他者」に憎しみを募らせた人に向けて書いたものだ。

先に言っておくと、僕は読者諸君に、この憎しみを許そうと説くつもりはない。むしろ逆で、いつまでもその憎しみを燃えたぎらせて生きていこうというのがこのエントリの趣旨である。

なぜならその憎しみは、僕たちの精神を構成する重要な部品の1つであり、それに向き合わずにごまかして忘れてしまおうというのは、その自分の精神を無視することにほかならず、極めて不誠実な態度であると断ぜられるからだ。

またそうやって憎しみの存在をごまかすことは、好きなものを嫌いだと言ったり、自分の意にそぐわない言動を取り続けることでもある。それは精神の不調にもつながる。だからこの憎しみは、大事にしなければいけない。

僕たちは実際にこの憎しみを覚えたのだ。だからその憎しみは僕たちのものだ。僕たちは金持ちや家庭に恵まれた人々を憎んでいる。この事実を直視しなければいけない。

僕は今でも、恵まれた人たちに対して、憎しみと嫉妬を抱えている。憎しみは、出生を含む自分自身に対して、嫉妬は、自分自身が分け与えられることのない幸福や金銭を努力なく受領できる金持ちどもに対してである。

僕の育った家庭が貧乏で、機能不全家庭であったことは、別のエントリで説明しているのでそちらに譲ることにしよう。僕は今でも、育ちのいい人、金持ち、両親に恵まれた家庭育ちが憎い。彼らは僕にも与えられて然るべきだったものを、何不自由なく受け取っているからだ。

junny-policies.hatenablog.com

学費を奨学金とアルバイトで賄った話

僕が学生の頃である。僕の家は貧乏だったから、私立大学に通うという選択肢はなかった。そして自宅から通える地元の国立大学(いわゆる「駅弁」)一本に絞っていた。僕は当時公務員志向で、その中でも教員になりたかったから、教員養成課程のある教育学部を志望していた。

なぜ高卒で就職しなかったのか?僕は高校では進学コースだったし、様々な模試において学力や偏差値は悪くなかったことと、高卒で就職することで自分の将来の収入を頭打ちにしたくないという方針があったのだ。僕は就職活動において、大卒しか応募資格がない求人が数多くあることを知っていた。だから僕の大学進学は、卒業後の就職の選択肢を広げるためにも必要だった。そして実際、今振り返ると、その選択は悪くなかった。

けれど僕は当時、自分が思いの外低スペックだったことを思い知った。僕はセンター試験にも二次試験にも失敗し、現役で志望する地元の国立大学に合格できなかった。予備校の学費は祖父母に援助してもらった。それから1年必死で勉強し、ようやくその大学に入学できたのである。

しかし学費は、予備校の授業料に充ててしまっていた。僕は必死でアルバイトして入学金と初年度の授業料を稼ぎ、足りない分は親のなけなしの貯蓄を切り崩して工面したのだ。僕は家の近くのマクドナルドのスタッフとして、高校の時からアルバイトをしていた。厨房でハンバーガーを作ったり、カウンターのレジ打ちやドライブスルーの会計&商品の受け渡し、食材の搬入、閉店後の掃除などの仕事を担当していた。たかだか時給850円だったから、まとまった額を準備するのは大変なことだった。

僕はもう1つ、都内の私立大学にも合格していたが、期限までに入学金が入金できず、その国立大学1本勝負になってしまった。センター試験の手応えは悪くなかった。そして二次試験も、得意の世界史一本勝負だったし、前年と比べて明らかに良い感触があった。それでも二次試験の合格発表までの数週間、言いしれぬ不安に押しつぶされそうになっていたことを覚えている。

そして実際のところ、私立大学の学費は工面できるわけもなかったから、結果として僕には、国立大学に入学するという選択肢しかなかったのだ。だから合格発表の日、自分の受験番号があったことに、心底安堵し、知人友人に連絡しまくったものである。

さて、晴れて大学生になった僕だが、そこでは現役で合格した、僕より1学年年下の学生に囲まれることになった。僕はサークル活動もまともにすることなく、もちろんモテなかったから恋愛にうつつを抜かすこともなく、講義に出席しつつ、アルバイトを続けていた。大学へは片道12kmの道のりを自転車で通い、交通費を浮かせていた。

その道中にあるゴルフショップの販売員としてのアルバイト職を得た僕は、時給950円のまま、毎週末はフルタイム、そして平日の2~3日で夕方から閉店まで、そこで働いていた。並行して塾講師の仕事もやったりした。こちらは時給は良かったが、採点や進捗管理などの授業時間以外の給料が出なかったので、結果として割に合わず、ゴルフショップの販売員の仕事のほうを卒業まで続けた。

もちろん学費と生活費を稼ぐためだ。しかしそれだけでは足りない。すぐに次の学費の納入期限がやってくる。年間54万円の授業料の督促用紙が届くようになったのは、2年生になった夏頃のことだ。親の稼ぎと僕の稼ぎを足しても、生活費を工面するのでやっとだ。まぁ払えないものは払えない。

このまま除籍になるのも不利なので、僕は有利子奨学金を申し込むことにした。それが事実上の借金だということはわかっていたが、将来「国立大卒」の学歴を得るために、必要な投資のようなものだった。この時借りたのは、4年間分の学費に相当する220万円である。

当面の学費は何とかなったものの、生活費は必要だし、僕の稼ぎもそれに充てられていたから、アルバイトを辞めることはなかった。そして僕の人生はこのときから、この220万円の借金とともに歩むことになった。僕は今35歳だが、あと数年でようやくこれが返済し終わるのだ。こうして手に入れた国立大卒学歴の代償は、新卒時の少ない手取りからの毎月の返済であり、それはさらに僕の劣等感を増長させていった。

さて、今はどうか知らないが、僕の時代は、奨学金を有利子で借りる学生というのは僕の周りにはいなかった。学費は家族が負担することが一般的であり、周りの学生は、限りある青春のこの時間を、サークル活動や恋愛や研究に費やしていた。僕は同じ時間を、学費を稼ぐアルバイトに費やしたのだ。

いったい、この差は何ということだろう!同じ大学生の身分でありながら、大学生活を謳歌する者と、金の工面に奔走する者の断絶!それもこれも全て、金がないのが、貧乏であることが悪いのだった。金さえあれば、僕はこのような苦労をしないで済んだのだ。僕は改めて、自分の出生を憎み、他の学生の豊かな両親を妬み、またその下に生まれて何不自由なく青春を謳歌する他の学生どもを妬んだ。

「車を買ってもらう同級生」が憎かった

大学生になれば、車の免許を取得する者も現れる。僕は関東とはいえ田舎の国立大だったから、いずれ車が必要になることはわかっていた。両親は免許を持っていなかったが、僕は免許を取得するつもりでいた。

問題はやはり費用だった。教習と諸々の検定、講習に参加すると、30万円弱の出費となる。また地方へ旅行がてら合宿免許みたいなプランもあった。宿泊なのにそっちのほうが安いのは魅力的だったが、僕はコミュ障だったから、「友達作れます!イベントも楽しい」みたいなノリでリア充どもが集まるそんな空気の中に3週間も過ごすことは、地獄に等しいとすら思えた。

というわけで地元の教習所に通った。僕が卒業間近の大学4年の秋のことである。もう年齢は22歳になっていたが、費用の工面でこの時期になってしまったのだ。もちろん20歳になってすぐに免許を取得する者もあった。彼らは自分の金で免許の取得費用を支払ったのではなかったから、やはりここでも僕は、この育ちや家庭環境の違いに憎しみをつのらせた。

時はそれから少しさかのぼる。僕はまだマクドナルドで働いていたが、そこで中学校の同級生も働いていた。クラスは違ったがお互い存在を知っている、程度の仲だった。同中ということで話すようになったのだが、その彼には最近彼女ができたらしく、アルバイトが終わったあとに一緒に帰るのだという。その時彼は、青いピカピカの軽自動車に乗り込んでいった。

f:id:junny-policies:20210812013021j:plain

後で、あの車はどうしたのだと問うと、「親に買ってもらった」という。ならばすでに彼は自動車免許を持っているはずだ。教習費用はどのくらいかかるかは僕もその時わかっていたから、それを工面するのは大変だっただろうと言った。しかし彼は、教習費用は親が負担してくれたと言うのである。

僕はまたもや絶望した。親にもはや免許取得費用の負担をかけられないことは分かっていた。僕は生活費や学費のことも考慮し、あと半年は待たないと教習の申込みもできない状況だった。ましてや車など!以ての外である。そして、ここまで金策に腐心している僕の傍らで、平然(僕にはそう見えた)と親に免許取得の費用を負担してもらい、あまつさえ車も買ってもらった者がいる。

この格差は何なんだろう。彼は長身痩躯で柔らかい雰囲気の男だったから、アルバイト仲間の女の子にもモテていた。彼は容姿を含めて、僕にない全てのものを持っていたのだ。なぜ?なぜ?!なぜ僕は恵まれていなく、彼は恵まれているのだ?僕と彼は、一体何が違ったというのだ?

それは生まれでしかない。今で言うところの「親ガチャ」のあたりとハズレでしかない。果たしてこの僕に何かやりようがあったのだろうか?いや、おそらくなかった。これは運命なのだ。僕は機能不全家庭で生まれ育ち、金の工面に苦しむ前半生を送ることを運命づけられた人間なのだ。だからもちろん彼が悪いのではない。そして僕が悪いのでもない。

しかし、この怒りと憎しみと絶望の遣る方はどこへ?!僕は怒り、悲しみ、絶望し、そして結局、恵まれた家庭育ちのすべての人間を憎むようになった。

育児の援助や住宅購入にも「親資本」が役に立つ

「親ガチャ」に恵まれた者どもの話をもう少し続けよう。僕は結婚やマイホーム購入とかの人生におけるビッグイベントからは縁遠いが、僕の知り合いの中には、すでに子供を儲けたり、マイホーム購入を購入した者がある。はたしてこの子供の育児やマイホームの購入に、親の援助なしで取り組んでいる者がどれだけあるだろうか?

f:id:junny-policies:20210812021850j:image

働いているとわかるが、20代~30代のうちは、対して給料は上がらないくせに、いろいろ金がかかるので、貯蓄はまともにできやしない。けれどもなぜマイホームを買えるのか?それは間違いなく「親資本」の注入があったからだ。

「実家が太い」という表現があるが、「親ガチャ」のアタリの場合、こうした金銭的な援助を受けられやすい。それは住宅購入の頭金とかになるだろう。そして子供が生まれれば、祖父母として育児に参画し、その家庭の育児負担を軽減できる。

家庭に恵まれたならば、このように生涯に渡って援助を受け続けることができ、金の心配をしなくていいからおおらかで朗らかな性格に育つことができる。そしてその資本は、次世代へと受け継がれていく。一方で僕のような機能不全家庭は、人間不信や金銭への執着、あるいはコミュ障などを発症し、金がないから結婚もできず、自分が末代になるというわけである。

「親ガチャ」ハズレへの憎しみを忘れるな

今や僕は、そうした生まれの差は、「親ガチャ」の1つであり、もう僕が何をしようとしても詮無いことだと理解している。それでも僕は、金持ち育ちの人間に対して、自分の学費や自動車免許費用を負担したことのない人間に対して、憎しみを止めることができない。

けれど僕は、冒頭で書いたとおり、この憎しみと一生付き合っていくべきなのだ。それは僕の精神の一部だからだ。切り捨てることはできない。ごまかすこともできない。許すこともできない、僕が憎しみに対してこうした付き合い方を忘れた時、改めてこのエントリに立ち返り、その憎しみを忘れないこと、そしてそれを詮無いことだと許容することを思い起こすことにしよう。

僕がこのエントリを書いたのは、僕以外にもそのような人がいてほしいと思い、その人とこの憎しみを共有し、それを忘れず、かつ許容するということを共有したかったからだ。自分の育ちが悪かった。家庭に恵まれた他人が憎い。そんな人がこのエントリを見つけてくれたら嬉しい。

☆スポンサードリンク☆