非モテ恋愛弱者のブログ

旧「非モテ系のままで生きていくブログ」から、恋愛弱者男性ブログに進化しました。レベル36の限界中年/異常独身/非モテのブログ。もう人生折り返しました。残りの人生を頑張らないで生きていこうと思います。なおこのブログには、モテる方法は1つも書いていません。

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【新型コロナ勝利宣言】メディア総動員で東京オリンピックを開催しようぜ

2021年も東京オリンピックは延期または中止の様相であるが、このエントリは2020年10月時点で書いたものであることをご了承されたい。

東京オリンピックをやる意義が出てきた

僕はこれまで、東京オリンピックなどどうでもいいと思っていた。むしろ80年ぶり2回目のオリンピック開催中止となれば、それはそれで歴史的なことだから、それを目の当たりにするのも悪くないとすら思っていた。しかしここに来て、東京オリンピックは是が非でも開催するべきだと考えを改めている。

その理由は、コロナ禍を収束するための公的な理由付け、つまりコロナはもう心配ないという「お墨付き」が必要になると思ったからだ。

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ある日突然、コロナ禍を収束するために

どういうことかというと、このままではコロナ禍が永遠に終わらないと思われるからだ。僕たち日本人というのは、僕のブログの他のエントリで言及したとおり、そして多くのネット論客が指摘している通り、同調圧力が強い民族性である。

junny-policies.hatenablog.com

僕たちは政府の言うとおりに自粛要請に従い、何も疑うことなくマスクを着用するという不便を受容し、あるいはテレビやネットの情報を鵜呑みにして紙製品を買いあさり、そしてその結果として多くの自粛警察やマスク警察、コロナ脳を生み出した。彼らは、コロナウイルスを撲滅するまではこの不便な生活を継続するつもりらしい。

僕はこの同調圧力に弱い民族性を利用するべきだと言っているのだ。つまり、政府が「もう新型コロナは収束したので東京オリンピックに参加してくれ」と世界中にメッセージを出すことを訴えたい。それにコロナ脳どもは反発するだろう。あるいは密になってデモ行進くらいはやるかもしれない。

しかし、どうせコロナ脳どもに、感染者増えていても死者数が増えていないこと、すでに死者数の増加は抑えられていることなどの統計的なファクトや、それを理由にしてコロナ禍をこれ以上継続させることに合理性がないことを説明しても、連中にそれを理解する能力がないから意味がない。また彼らの特性として、そういった考えや行動の根拠を、政府とか専門家とかの、自分より社会的に上位層である存在に求める傾向がある。

テレビで言っていた、大臣が言っていた、というのがそれである。彼らはそれを正しいとみなしており、その行動自体が社会に貢献していると信じている。僕はこの連中について別のエントリで、約80年前の太平洋戦争時と通底するメンタリティであると指摘したが、それを逆手に取って、コロナ禍を収束させる方法を思いついてしまった。

メディアに「コロナ収束」を宣伝させる

それは、メディアを動員したコロナ収束キャンペーンである。今こそ政府は、電通でも博報堂でもどこでもいいから金を渡して、コロナ収束は収束した、もう心配いらない、かつての日常どおりに過ごし、人生を満喫しようというキャンペーンを、マスメディア総動員でかけるべきなのだ。

プロパガンダ!宣伝!ロビー活動!なんとでも言うがいい。こうでもしないとコロナ脳に染まった、あるいはコロナ脳よりになったりコロナ脳の声の大きさに萎縮している国民どもを、コロナ収束モードに移行させることはできない。

電通博報堂などの総合代理店どもに税金をくれてやることに思うところがないわけではないが、国を挙げてこのようなキャンペーンをはらないと、コロナ収束モード・日常生活モードに国民を流していくことは不可能だろう。こうしてメディアが一大キャンペーンをはり、ワイドショーでオリンピックの高揚感を宣伝し、どれだけ経済効果が上がるかというのを少々小難しく伝えれば、国民は何となく理解した気になるし、それで勝手に納得するだろう。

そうして「もうコロナの話とかどうでもよくない?」という空気が広まれば、あっという間にコロナ脳を絶滅させることができる。なぜなら、コロナ禍の始まりにおけるワイドショーが果たした役割や、オリンピック東京大会が決まった際の盛り上がりを見て分かる通り、日本国民はテレビに洗脳されているからである。この洗脳を、コロナ収束キャンペーンの宣伝によって、上書いてやればいいだけだ。

正直僕も、メディアどもが令和時代の今になってもこれだけの影響力が健在であったことは想定していなかったが、この力を利用しない手はない。コロナ禍の閉塞感を打ち砕くという目的において、メディアを利用して宣伝させるというのは、今このタイミングにおいて極めて有効な税金の使い方ではないか。

このキャンペーンを政府が主導で行うことで、コロナ脳どもにも「お上のお墨付き」という印籠が効いてくる。上記の通り、コロナ脳どもはメディアやお上の意向を抵抗なく受け入れるメンタリティだ。「テレビや政府がコロナウィルスが恐ろしいと言うので恐ろしい」というならば、「テレビや政府がコロナウィルスは怖くない、収束したと言うので収束した」と簡単にすり替えることができる。

コロナ脳どもは自分の頭で考えたり調べたり検証したりしないし、メディアや政府などの上位者に対してその意向通りに行動することで自らの社会的正しさを証明する生き物なので、最初はコロナに対しての恐怖や不安による反発もあるだろうが、1ヶ月も「コロナは収束した、怖くない」と言い続けていれば、あっという間にコロナ脳を絶滅させることができるだろう。

マスク着用に見る同調圧力と非合理性

実際のところ、例えばなぜマスクを着用しているのかといえば、周囲の人々が着用しているからだ。この「周囲の人々」が何となく「もういいかな」とか思ってマスクを着用しなくなれば、それにつられてさらにその周囲の人々が何となくマスクを外すだろう。

この同調圧力を逆に利用してやるがいい。マスクしている人は、よほどコロナが怖いのか、それとも本当に体調が悪いのかのどちらかだと周囲の人々から見なされればよいのだ。とくにこの場合は前者の「未だにマスクしているなんて、コロナなんて怖くないのに、臆病者なのかそれとも潔癖症か」という目でマスクをしている人を見る目が一般的になれば、体調不良のとき以外にはマスクを着用しない人が圧倒的多数になるはずだ。

そしてそれを実現できる影響力がメディアにはあると、僕は信じている。そして何より、これはメディアにとっても大変な恩恵がある。政府の金で巨大なキャンペーンを貼るのだ。その広告料は莫大だし、その収益も凄まじい。しかも東京オリンピック実施による広告料も見込めるようになる。別のエントリでも触れたが、メディアは真実を伝えるのが目的ではなく、広告主の広告を広く届けるための媒体に過ぎない。政府という広告主のために、そして市井で働く全ての人々の生活再建のために、今こそマスメディアは役に立つべきだ。

こういう流れで皆が何となくマスクを着用しなくなり、何となく酒場で酒を酌み交わし、何となく遠出をするようになり、何となくライブやスタジアムに赴くようになれば、知らない間にコロナは収束することになる。

目的はあくまで経済再建だ

実際のところ、僕たちはいつまでも、人が集まり、歌い、騒ぎ、話し、飲み、食べ、そして笑い合うことを否定した「新しい生活習慣」的なものを実践しているわけにいかない。これらは感染リスクを減らすかもしれないが、明らかに人間の人間たる生き方として不適当である。僕たちはかつて日常を取り戻さないといけない。

そしてこの、延期された東京オリンピックをやるかやらないのか判断するタイミングである。東京オリンピックは最も影響力のあるエクスキューズになるだろう。これはオリンピックを間近に控えた日本にしか打てない手である。オリンピックで世界中の人が同じ場所に集まって、スポーツの祭典を堪能する。国も言語も人種をも超えて、アスリートたちの美技に酔い、声援を送り、国歌を歌い、勝利を喜び敗北に涙する。その姿こそ、集団的な社会的生物としての人間にふさわしい姿であることを全世界に示すのだ。この強力なメッセージこそ、人類がコロナウイルスに勝利したという宣伝となる。

オリンピックは規模が小さくなってもやるべきだ

ちなみに欧米諸国では、コロナ禍によってオリンピックの予選自体に支障をきたしているという。それであっても、規模を縮小してオリンピックは催行されるべきだ。なぜなら、コロナ禍を収束させてオリンピックが開催できるまでになったという全人類へのアピールが必要だからだ。だからリモートマッチであってはならず、全世界から観客を受け入れて、満員のスタジアムで大歓声が響くことを前提に、試合が開催されなければならない。そうでなければコロナが収束したことにならない。

コロナ訴訟リスクをどれだけ織り込むか

コロナ収束のお墨付きを公的に政府が与えるということは、コロナが収束したと政府が言ったのにコロナに感染して死んだので慰謝料を求めるとか、そういう訴訟が集団的に発生することも考慮されなければいけない。僕は正直、こうした訴訟によって支払う損害賠償よりも、コロナが収束せずに続いた場合の歳入低下や社会保障、給付金による支出のほうが圧倒的に多いと思っているし、後者のほうが圧倒的に国民全体への影響度が大きい。

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何ならコロナが原因で死んだ人の数というのは、現時点で1700人程度しかなく、その大半が70歳以上の高齢者である。仮にそれらの死亡に対して裁判で責任が問われようとも、寿命に近い高齢者が死んだことで発生する賠償金などたかが知れているのではないか。それよりもいつまで経ってもコロナが収束しないことで被る経済的打撃によって、生活苦で自殺する労働者層のほうが多いのではないか。

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コロナ禍がここまで広まってしまい、人々の行動が変容してしまった今、かつての日常を取り戻すには、このような劇薬が必要なのだ。菅総理大臣に期待するのはまさにこの点である。菅総理がこのようにコロナ収束の宣言をしたならば、その名声は末代まで語り継がれるだろう。

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