原発のリスクとメリットを再評価しようぜ~マスゴミの扇動に負けないで~
原子力発電のメリットを再評価しようぜ
僕は昨日書いたこのエントリで、脱原発や脱炭素がどれだけ僕たちのためにならないかを説明した。
その中で僕は、脱原発の非効率性の説明の部分で、原発のリスクとメリットを誰もが見誤っているのではないかと問題提起した。今回のこのエントリでは、このあたりについて可能な限り正確に考えてみることにしよう。
原子力発電については、二酸化炭素も窒素酸化物も発生しないので、とてもクリーンかつ大量のエネルギーを得られる、夢のようなシステムである。放射能漏れ事故のリスクもあるというのか。それはその通り。しかしその個別の事例については、今こそ要検証だろう。
ベクレル、トリチウム、シーベルトを使ったマスゴミの扇動
一言でいうと、マスゴミが悪い。
具体的には、福島第一原発の事故から10年経過した今、本当に健康被害が発生したのかという検証だ。現在のコロナ脳どものヒステリーと通底するものがあるが、原発事故があって放射能漏れが発生したという事実のみをもって、原発=危険という認知になっっているように僕には思える。実際にマスゴミどもは当時、現在の線量は○○シーベルトだの、何百万ベクレルのトリチウムを放出するだの報道して、東日本に住む人々を不安に陥れたのだ。
今だから分かるのだが、マスゴミどもが三重水素をトリチウムと表現した上で「トリチウム水が漏れた」などと報道したのは、トリチウムという単体金属的な響きから、それをウランやストロンチウムなどの放射性同位体と混同させて、大衆を不安に陥れることが目的だった。不安を煽ればテレビを見るようになり、視聴率が上がり、広告収入が上がるからだ。
ベクレルをきちんと理解すれば、あまり怖くなくなるだろう
つまるところ僕たちは、シーベルトやベクレルなどの単位が何を意味しているのかも知らず、あるいはトリチウムやヨウ素が何であるかを知らないまま、ただひたすらに恐れていただけではないのか。
ベクレルという単位は一体何だったのか。ベクレルは放射性物質が1秒間に崩壊する原子の個数である。物質の最小単位である原子の数を数えている以上、単位が極めて大きくなる。具体的には、たった12gの炭素に含まれる炭素原子は 6.0 × 10の23乗個=600,000,000,000,000,000,000,000個、つまり6,000亥個の原子を含んでいる。ベクレルとはこの量を表す単位である。
「何百京ベクレルの放射性物質を含む汚染水」が福島県周辺の海上に放出されたというマスゴミどもの報道によって、放射能レベルの高い危険な汚染水が放出されたという認知が広がった。この辺りが見事に中国や韓国に利用されて、日本は汚染水を垂れ流す非常識な国家だと喧伝して回られてしまったのは、周知の通りである。実際のところは、数百京ベクレル程度など、1秒間に崩壊する原子の量が数百京個であると考えると、本当に大したことがないと思われる。
マスゴミはまじゴミカスである。
シーベルトとは何だったのか。シーベルトは人が受ける放射線の被ばく線量である。電気事業連合会によると、胸部レントゲンで0.06ミリシーベルト、胃のレントゲン撮影は3.0ミリシーベルト程度の被ばく線量であるという。また、人間は平均して、自然放射線を毎年2.4ミリシーベルト浴びており、国際線で東京とニューヨーク間を往復すると、0.19ミリシーベルトを被爆する。
マスゴミに扇動されずに本質を検証しよう
福島第一原発事故の後、関東周辺でも一時的に放射線量が上昇したことが騒ぎになったが、あれも年間にならすと、実は大した問題とはならなかったのではないか。あれもマスゴミどもが、数字になるからと騒ぎ立てて、恐怖の放射能が関東一円に降り注ぐみたいな不安を煽ったに違いないのだ。それに影響されて、子供を連れて西日本へ引っ越して家庭崩壊を招いたアホな主婦のエピソードを、僕はニュースで読んだことがある。
つまり僕が何を言いたいかというと、僕たちはマスゴミどもに扇動されているままで、原発のメリットとリスク自体を正しく評価できていないのではないかという点だ。国際線のジェット機やレントゲン検査などで日常的に放射線を浴びている人々に対して、福島第一原発事故に由来する線量が、具体的にどのような健康的影響を与えたかという検証は、結局されただろうか?
すでに福島第一原発事故から10年が経つ。そろそろ子供たちの甲状腺肥大などの症状が出てくる時期だが、それも話を聞かない。もしかしてみんなその辺りのことを忘れてしまって、実態を何も検証せずに、ただただ原発は危険だと騒いだ結果の認知が記憶に残ってしまっているだけである気がする。
あるいは全く問題が発生していないので、本格的に検証すると、当時のマスゴミの扇動が明るみに出るので都合が悪いのか。ただただ視聴率が取れなさそうなので放置されているのか。そうなると、割とマジで、原発事故以降の健康被害リスクというのは、ただの風評被害なんじゃないだろうか。原発が危険であるというなら、その辺りの検証を行った上で結論づけるべきではないか。
実際のところ、現在の福島第一原発周辺のモニタリングポストは、ほぼ一定して1マイクロシーベルト以下を記録している。原子炉建屋の爆発直後はともかく、現時点でこの線量であるのなら、被ばく線量も誤差の範囲だと僕は考える。何しろ僕たちは、平均して自然放射線を毎年2.4ミリシーベルト浴びているのだから。
そういうわけで、ベクレルという巨大な数字を叩き出す数量単位に臆病風に吹かれ、致死量に全く到達しないシーベルトという単位に惑わされた愚かな大衆どもが、その実態を一切考察することなく、ただただ原子力は破壊的で恐怖をもたらすものであると認知しているだけで、実際の原発の安全性は、改めて十分に評価されるべきだと僕は考える。
冬の電力逼迫祭りなのに、原発再稼働を要求しない無能
また、このような愚かな大衆どもが脱原発を支持するせいで、民意としては原発の再稼働の見通しは立っていない。日本の原発はいつでも稼働できるというのに、愚民どもはその有効な選択肢を自らの判断で放棄してしまって、勝手に苦しんでいるのだ。
まじでこの愚民どもはゴミカスで、自分たちで有力なエネルギー源を稼働停止に追いやっておきながら、それでいて夏冬の電力量逼迫に怯え、あるいは燃料価格の高騰による電力価格の上昇に抗議しているのだ。マッチポンプというか、馬鹿というか、アホというか。何しろ僕は、このようなリスク評価もまともに判断できない愚民どもに合わせて、高い電気料金を払わされることに怒りを覚えている。
何でもそうだが、物事には全てメリットとデメリットがある。だいたい、社会の意思決定というのは、ある物事を導入することのデメリットよりも、社会全体のメリットが上回れば、それは導入されるのだ。
発電システムはまさにそれだ。火力発電や原子力発電が今でも発電量の割合を多く占めているのは、それらがもつデメリットをメリットが上回っているからだ。具体的には、安価で大量のエネルギーを生産できるというこれ以上ないメリットだ。
僕たちはマスゴミどもの扇動に乗ることなく、マスゴミどもが恐怖を煽ったなら、それは疑わしいものだ。マスゴミに平気で流される愚民どもに任せていたら、僕たちはいつ停電の憂き目に遭うかを不安に思わなければならない。僕たちは知識をつけて、物事を正確に判断できるようになり、違うものは違うと声を上げよう。そうやって僕たちの、現代的で快適な生活を守ろう。