SDGsとかいう綺麗事って無理ゲーだよな。参加するの反対しようぜ
僕がSDGsについて知ったのは、3年くらい前だった気がする。当時働いていた会社で上司から、これからはSDGsが注目されるという話を聞いたのだ。僕はこういう頭文字だけを取った略語は、必ずその意味を調べることにしている。正式名称は、Sustainable Development Goals(持続可能な開発目標)というらしい。
- 貧困をなくそう
- 飢餓をゼロに
- すべての人に健康と福祉を
- 質の高い教育をみんなに
- ジェンダー平等を実現しよう
- 安全な水とトイレを世界中に
- エネルギーをみんなに そしてクリーンに
- 働きがいも 経済成長も
- 産業と技術革新の基盤を作ろう
- 人や国の不平等をなくそう
- 住み続けられるまちづくりを
- 作る責任 使う責任
- 気候変動に具体的な対策を
- 海の豊かさを守ろう
- 陸の豊かさも守ろう
- 平和と公正をすべての人に
- パートナーシップで目標を達成しよう
SDGsを達成するために僕たちが損なうもの
まず全体を通して、僕はもともとこういう綺麗事が大嫌いなのだ。SDGsの1つ1つは道徳的な内容だが、果たしてそれを文字通り世界中のすべての人がこの恩恵に預かるのだとしたら、一体どれだけの資源と食糧が必要なのか、たった一瞬でも考えたことがあるだろうか。
そもそも僕たちはたまたま日本という先進国とされている国に生まれており、その事自体が世界の生活水準からして「既得権益」であることをよく理解している。もしSDGsを達成するのに協力するとしたら、少なからず僕たちはその既得権益を差し出すことになるだろう。僕はそれには反対する。なぜ世界の名も知らぬ人間のために、僕たちの快適な生活が損なわれなければいけないのか。
おそらく先進国に住むほぼすべての人が、僕と同じことを思っているはずだ。もちろん世界中の人々の安全と平和と健康を祈る気持ちはあるが、それは僕たちが何も失わない限りの話だ。僕たちが何かを損なうとしたら、その目標は目指されるべきではない。つまり、地球の資源は有限であるのに、技術革新や資源リソースの最大化などを行わないままSDGsを推進することは、つまるところ先進国としての快適な生活を手放すことを意味する。
このバーター関係を、どれだけのSDGs推進者が理解しているだろうか。
SDGs推進派には覚悟が足りない
僕が思うに、SDGsを推進する多くの人々には、その覚悟がないように思う。
それならばなぜ彼らはSDGsに賛成するのか。それは美徳シグナリングであり、社会的であり道徳的であることをアピールするためである。いいカッコをしたいのである。カッコつけたいのである。すごい、正しいと言ってほしいのである。
重要なことは、彼らは貧困をなくしたりしようとは毛ほども思ってないことだ。自らが何かを失うくらいなら、貧困者は貧困のままであってほしいのだ。でもそれは道徳的ではないので、SDGsの推進者として振る舞い、その本心を誤魔化す必要がある。
僕はそんな連中の道徳心アピールにつきあわされて、今手元にある自らの生活の品質を損なうことに全力で反対している。そんなもの、やりたい連中だけ勝手にやるがいい。それは個人の自由だ。だがそれに僕を巻き込んではならぬ。
SDGsの各項目に反対する
全体的にSDGsの各項目には鼻をつまむが、特に僕が不快になる項目である気候変動、貧困、飢餓や食糧や水の項目について話そう。
気候変動に具体的な対策をという項目について。気候変動という地球規模のダイナミズムを、人間のくせにコントロールできる思っているのが、思い上がりも甚だしい。
たかだか人間ごときに地球や自然を制御することができると思っているのか。傲慢すぎるぞ。厚さ30kmの地殻の表面を這いずり回り、一度地震でも起きれば何万人もあっさり死ぬ程度に生命力の弱い猿どものくせに。おこがましいとはこのことだ。
大体70億人以上の人間を飢餓から救ったり、きれいな水を届けたりするには、どれだけの食糧や設備が必要なのだ?誰がどのように生産し、保管するのだ?
発展途上国は今この日この時の食料を生産するのに、森林を伐採して焼畑農業を行うが、それらは陸の豊かさを守ることに反しているだろう。しかし、先進国と同じ理屈を発展途上国に押し付けるな。発展途上国は発展途上国なりに、飢えをしのいで生きるのに精一杯なのだ。
そもそも人や国の不平等や貧困が発生したのは、ひとえに19世紀以降の西ヨーロッパ諸国の帝国主義政策や、植民地からの収奪があったからではないのか?つまり貧困の元凶は、元を正せば今まさにSDGsを唱えている西欧諸国にあるのだ。マッチポンプにもほどがあるし、その責任はゴミカスのアングロサクソンどもが取るべきだ。それを先進国だからと僕たち極東の島国にもその責任を押し付けるとは、全く筋が通らないじゃないか。
最も持続性に欠ける国、日本
だいたい日本国だって、今や先進国ではなく、衰退途上国である。いつまでも僕たちは先進国ヅラをしていられないのだ。だから先進国と同じ要求に従ってはならない。日本政府もそんな要求を受け付けるな。環境保護などで勝手に欧米の白人どもが作った基準に、唯々諾々と従うな。支援を表明するな。国際社会でプレゼンスがどうたらこうたらでいい顔ばかりをするな。現実的になれ。
あのアングロサクソンどもに貧困や環境問題について、相応の責任を取らせるがいい。話はそれからだ。
そうだ。そもそも日本国じたいがサステナブルではないことを、僕は言及しておく必要がある。日本は少子高齢化が急速に進んでおり、経済力も生産力も失っていく。人口は減少し、地方自治体は運営が行き詰まって合併を繰り返すだろう。
いずれ都市圏にしか人は住めなくなるので、政治体としての日本は地方から消滅していく。その都市圏においても、少子化で子供、つまり次世代が再生産されないので、賃金労働や国家公務員など、あらゆる職種で人員不足が発生する。現役の労働者世代には、多数派を誇る老人どものために使われる社会保障費が重く賦課され、さらに強力な人口淘汰圧となるだろう。
あるいは、そんな衰退国家に移民が来るとは思えないが、もし移民が来るなら、社会の根底を支える移民側の権力が強くなるだろうし、あるいは日本国民が海外へ出稼ぎする時代が来るかもしれない。
そういうわけで日本は、実は他国の事情に首を突っ込んで支援やら資金援助などやっている場合ではなかったのだ。平成時代後期にかけて日本の衰退は明らかになったが、誰もそれを直視することなく、世界に対しては先進国として振る舞い続けた。
SDGsに関わるすべての人が認識しているが、実は日本こそ、最もサステナビリティに欠ける国家なのだ。何しろ日本はこのままでは、今後100年の間に人口減で自然消滅するだろうから。なんと言うか、持続性のない国家がSDGsに積極的に取り組むなど、鼻で笑ってしまう。まずは自分の国の持続性を回復するがいい。それができるならの話だが。
ちなみに僕は、日本国など消滅するなら消滅してしまえばいいとすら思っている。僕より後の世代は地獄を見るだろうが、子供のいない僕にとっては関係のないことだ。僕より後の世代は、なぜこのような持続性のない国に生を与えたのかと、自分の親を恨むがいい。