非モテ弱者男性のブログ

旧「非モテ系のままで生きていくブログ」から、弱者男性ブログに進化しました。レベル36の限界中年/異常独身/非モテのブログ。もう人生折り返しました。残りの人生を頑張らないで生きていこうと思います。なおこのブログには、モテる方法は1つも書いていません。

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明るくなく元気のない人はどこで働けばいいのか

明るく元気な方募集!アットホームな職場です、などという求人広告を見るたびに、僕の気分は萎えていく。まぁ確かに明るくなく、元気のない人間と一緒にいても楽しくはないだろう。しかし少なからず、明るくなく元気のないコミュ障は存在しているだろう。そんな僕たちに居場所はないのだろうか。あるいはそういう場所なら、僕たちは楽しく仕事ができる・・・・・・・・・のだろうか?

僕たちは問題を正しく理解する必要がある。僕たちは働きたくないが、働かざるを得ない。だから働く前提であり、働きたくないなどと嘆くのは詮無いことだ。そうではなくて、何をどうすれば働くことの苦痛が緩和できるか、その苦痛の根源はどこにあるのか、という考えが必要だ。

今日の仕事は、楽しみですか

けれどもよくよく考えてみると、会社に出勤しようとして、今日の仕事が楽しみで楽しみで仕方ないという人間は、そう多くないように思われる。根拠は毎日の満員電車だ。この乗客どもの目が明るく輝いている様を、僕はここ15年ほどのサラリーマン人生で、一度たりとも見たことがない。

今日の仕事は、楽しみですか」品川駅の大量広告、「出勤時に見ると傷つく」と批判→1日で取り下げ NewsPicks関連企業 - ITmedia NEWS

仕事を通じて実現したい夢はありますか

改めてこれを自問すると、答えに窮する。僕はいくつか転職する上で、志望動機を虚実織り交ぜて語ったことはあるが、僕は別に、仕事を通じて実現したい夢など何一つない。

僕は別に、美しい未来を創りたいわけではない。社会に大きな変革をもたらしたいと考えてもいない。つまり僕は、不労所得がなく、自分で何かビジネスをやって稼ぐ方法も手段もなく、それでも生活のために金が必要だから働いているだけだ。僕が思うに、役員とか創業者はともかく、サラリーマンとして働くほぼ全ての人は、そうやって半ば強制的に働かされている

僕たちはそんな実情を、「どうせ働くなら社会をより良くするために」みたいに企業理念的なやつでごまかす。そしてそのうちの少数が、雇われサラリーマンのくせに仕事にマジで命をかけるような働き方をして会社に対しての忠誠を示し、僕たち「致し方なくそこそこ働く」組の居心地を悪くするというわけだ。

junny-policies.hatenablog.com

まぁでも僕は、サラリーマンでよかったと思わないこともない。僕は明るく元気ではないので、アットホームな職場に水が合わないことは間違いない。元気に朝から社訓を唱和して、勢いよく営業に行ってきますと車に飛び乗ることはできない。僕はコミュ障ゆえに、自らの気分がそのまま表情や態度に現れる。つまり明るくて元気のあるというような擬態ができないのだ。

サラリーマンは、そのような擬態をしなくてもまぁ何とかなる。しかしこの先、僕が疲れ果ててしまってサラリーマンを退職し、明るく元気な方を募集しているような会社しか選択肢がないようになったら、どうなるだろう。

一言で言えば、人生が詰む。それは確実だ。

実際、明るくなく元気もない人間は、どこで働けばいいだろう。それで仕事を検索すると、出てくるのは工場、倉庫、配送・・・などの仕事だ。少し前に「底辺労働」ということでマイナスのバズり方をした職業一覧があるが、実はこれらの職業が該当することは、認めざるをえないだろう。

なるほど、これらは当面は生きられるだろうが、働き続けられるかどうかは微妙である。体をダメージを与える肉体労働や夜勤も多い。一番の問題は、体を壊して働けなくなったら、次がないことだ。肉体労働というのは、体を壊したものに次のチャンスを与えない。

そういうわけで、明るくなく元気もないような人は、実はサラリーマンになるのが最適解なのだろう。その中でもせめて、他人と関わりの少ない場所で働くのがいい。しかしそんな「楽な」職場は、辞める人間が少ないから求人が出てくるわけもなく、あるいは給料が安くても、事務職女子みたいなやつがそのポジションを獲得する。

畜生が。お前ら女どもは、どれだけ弱者男性の職を奪ったら気が済むんだ。

サラリーマンに適応するという擬態

一度腰や膝などを壊したならば、その後の全ての人生を、ディスアドバンテージを抱えて生きる必要がある。なので自分の体を大切にしながら仕事をするには、ある程度のサラリーマン的なデスクワークに就く必要がある。

人生の大半を仕事に費やすのはまぁその通りだ。そのデスクワークが僕にサラリーマン的適応を強いるなら、僕も少しは妥協せざるを得ない。

僕はどのように適応したらいいだろう。酒が飲める人がいる中で、例えば僕は酒を飲めるようにはならない。なのでそれは筋が悪い。明るくて元気のある人間に擬態するのも無理筋だ。なぜなら僕は明るくもなければ元気もないからだ。

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けれど、1つ僕たちが共有しているのは、実態はともかくとして「仕事に熱心である」という姿勢だ。根暗だが仕事は熱心であるというサラリーマン像は成立する。本質的に仕事などしない方がマシだと思っている一方で、仕事熱心、仕事が好きだと擬態するというのは、悪くない適応ではないか。

そうだ。この空間で僕は、仕事が好きな自分でいることが適応的である。そのように振る舞っている自分を自覚していれさえすればいい。しかし僕は、この仕事を通じて学んだテクノロジーや法規制、マーケティング手法のようなさまざまな情報を、辞めるか何かして仕事から離れた瞬間に忘れる自信がある。

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つまりこの仕事を通じて学んだことというのは、即座に忘れてしまえる程度に価値の低いものだということだ。そんな価値の低いものを後生大事に抱えておくのは無駄でしかないが、仕事をしている間はそれを抱えていなければならないのは、とても詮無いことだ。

けれど、それでいいのだ。どうせ僕は死んでしまうし、僕が生きている前も生きたあとも、世界は何も変わらないのだから。

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