非モテ恋愛弱者のブログ

旧「非モテ系のままで生きていくブログ」から、恋愛弱者男性ブログに進化しました。レベル36の限界中年/異常独身/非モテのブログ。もう人生折り返しました。残りの人生を頑張らないで生きていこうと思います。なおこのブログには、モテる方法は1つも書いていません。

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恋愛からも労働からも友人からも降りて生きていきたい

僕たちは生きている限り、何かしらの競争に巻き込まれてしまう。小学生や中学生になれば成績や運動で、高校から大学にかけてはさらに恋愛の競争にも参入しなければならない。

そして社会人になって働きはじめたなら、今度は出世や賃金の競争だったり、あるいは結婚相手を見つけたり。その後は家やマイカーの大きさだったり、あるいは子供の習い事や、ママ友パパ友との格差競争など。

特に子供は親の競争道具になりうる。他の子供より体格が大きかったり、あるいはSAPIXに通わせるとか、100万円のピアノを買ったとか、あるいはJリーグのクラブチームのジュニアユースに合格したとか。

要するに僕たちはこれまで、そしてこれからも、あらゆる場面におけるマウントの取り合いから、逃れることはできない

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僕の人生は有限だ。僕は独身だからそう長生きすることはない。おそらく60代の中盤くらいで死ぬだろう。ちょうど労働から開放されるかどうかのときに、僕の人生は終わってしまうのだ。何とも味気ない人生であるだろう。

そんな味気ない人生の残り30年ほどを適当にやり過ごすために、「降りてゆく生き方」を僕は考察したい。

そういえば、昔「降りてゆく生き方」という武田鉄矢さん主演の映画があって、このエントリのタイトルもそれにちなんで名付けたのである。僕も見に行ったのだけれど、知らない間に消えてしまったな。

都市で金と上昇志向にまみれるよりも、田舎のスローライフを大事にしよう、みたいな映画だったと思う。気になる人は検索してみてほしい。

shuheikishimoto.jp

恋愛からはもう降りた

僕はとっくに恋愛の競争からは降りた。その意味で僕はとても気楽だ。僕は誰かを養うこともなければ、子供の養育に心身が追い込まれることもない。女性に必要以上に優しくすることもなければ、おしゃれなカフェでやファッションで金を使うこともない。対して興味のない話題や話術を身に着けて、接待じみた対応を女にしてやることもない。

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僕はこのブログで何度も「モテようとすること」から降りてゆく生き方をしようと主張している。恋愛の呪縛から解放されること。そして精神的安定を取り戻すこと。それこそが非モテなりの穏やかな人生を取り戻す方法だ。

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まぁ恋愛競争は、恋愛や結婚したい人たちどうしで勝手に潰し合ってくれれば構わないし、僕たちにはもちろん子供とかもいないから、困ることは何もない。

しかし今僕を苦しめているのは、スキルアップ」とか「成長」とかの仕事関係の競争である。

労働から降りたい

僕は営業職だから、毎年毎年が予算を達成できるのかどうかの戦いである。僕は予算を達成すれば評価されるが、達成できなければゴミカスのような扱いをされる。そして予算の達成をするしないに関わらず、来年度になれば新しい予算が課せられるのだ。

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僕はそのために努力する。資格を勉強したり、自己啓発をしたりもする。1を知ると、10の知らないことが増える。僕はそれを1つづつ潰していく。それが成長するということだ。しかしそれを僕は、いつまで続けなければならないのだろう。

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僕の人生は折り返しを過ぎている。成長とかスキルアップとかしている間に、僕は死んでしまうんじゃないだろうか。あと30年もしたらどうせ死んでしまう僕に、成長とかスキルアップが何であるのだろう。成長するとか努力とか、果たしてその先に何の意味があるのだろう。

もう仕事からも降りたい。けどそれは無理なことだ。僕は生活費を稼がなければならない。ただその1つの理由のために。僕はただの労働者階級プロレタリアートなのだ。労働し続けるしか生きる道はない。

あぁ。僕は、仕事から降りられない。仕事をする側であり続ける限り、いつまでも僕は不本意ながら、成長しなければならない。

それならばせめて、自分が不得意なことをやらずにすむような仕事を探さなければいけない。そもそも不得意なことをやろうとするから、僕はそれをストレスに感じて、それから降りたくなってしまうのだ。ストレスに感じないことで、かつお金になることを見つけよう。おそらく僕の人生はそのためにある。

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しかし、不思議なことに、頑張らないでいいんだよと言われることにも、僕は不快な気分になる。とくに金持ちや有能どもが僕に頑張らないでもいいというのは、ただ雑に慰めを投げつけて共感を得ようという浅ましさを感じて、大変不快である。

僕は僕の意思で頑張らないのだ。僕の許可なく僕にアドバイスをくれるな。

友人関係からも降りていこう

僕たち非モテの弱者男性は、友人関係に執着しないようにすると楽に生きられる。友人とはいつか道を分かつものだ。小中高+大で、非モテの諸君が今まで続いている友人関係を思い浮かべてみるがいい。年齢を経れば経るほど、友人などいない、というのが最も多い割合を占めるのではないか。

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僕たちは友人関係は大事だと教わって生きてきたが、それもそれとて維持するには何かしらのコストを伴うものだ。遊ぶコスト、飲むコスト、移動するコスト、時間に遅れないために早起きするコスト、あるいは雰囲気の合わない話に相槌を打つ精神力のコストなど。

例えば既婚と未婚で人生のステージが異なるようになったり、あるいは転勤などで関係の維持コストが上昇した場合は、遅かれ早かれそれは友人ではなくなる。しかも友人というのは、大人になってから新たにできるものでもない。

つまり友人というのは減るしかないのであり、降りたくなくても降りてしまうものなのだ。そういう意味で、僕たちは友人関係に執着してはならない。

降りてゆく生き方とは、他者に期待しないこと

「降りてゆく」とはつまり、自分の力を現実的に見極めることである。自分自身ではどうにもならないものや人を制御下に置こうとすることを止めることである。あるがままに。自然のままに。全ては偶然にして必然である。これらは老荘思想の考えに近いが、僕たちは幸福な人生のために、他者に期待しないで生きていく必要がある。

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他者に期待すると、それが自分の期待に応えられなかったとき、その期待は怒りや失望へと変わるだろう。怒りを感じることはストレスだから、それは幸福な生き方として適切ではない。怒りや失望を抱え込まないためには、他者に期待しないのが最善である。自分のものではないものを取ってはならないと、ブッダも言っている。

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降りてゆくこと。それはつまり自分の身の程を知るということである。自分にできることとできないことを見極め、何も手に入れようとせず、たまたま手に入れたものだけを大事にしていく、とても平和かつ清貧な思想である。

そうは言っても、僕たちはすべての競争から逃れることはできない。しかし参戦するべき競争を絞り込んで、それ以外のことから降りてしまえば、意外と人生は何とかなるかもしれない。

僕はどうせ低スペックなのだ。少ない兵力で大きな兵力に対抗するには、兵力リソースを一点に集中させて一点突破をはかる作戦が有効だと、孫子の兵法にもある。

ひとまず僕は仕事からは降りない。しかし恋愛や友人などからは、然るべくように、流れに逆らわぬように、降りていくべき時に降りていこうと思う。

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