非モテ系のままで生きていくブログ

モテ非モテ論と社会派ブログ。このブログには、モテる方法は1つも書いていません。モテないままで人生をやり過ごしつつ、少しだけ幸せに生きることを目指しています。管理人は非モテ喪男35歳。流されることなく、流れるように、頑張らないで生きていく。

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どうせモテないしSNSとか疲れるからやめようぜ

昔のSNSは楽しかった

僕は昔、いくつかSNSのアカウントを持っていた。

僕のSNSとの出会いは、mixiだった。大学の友人に招待してもらったのが始まりだった。中学校、高校、そして大学の旧友とつながることが、とても懐かしく嬉しかった。実際mixiを通じて、もう会えないと思っていた小学校の同級生と再会し、飯を食いに行ったことをよく覚えている。別れ際にその友人とは連絡先を交換し、再会を約束したが、その食事限り会っていない。まぁ同級生なんてそんなもんだ。

僕は日記を書いたり、いろいろタイムラインに投稿したりを楽しんでいたが、僕は少々ここで他人との距離感を誤った。日記に死にたいだの何だのを書きまくって煙たがられていたのだ。あのSNSという空間が、様々なマイナスの感情や出来事をフィルタリングした後の、喜びと楽しみしか存在しない世界であることを理解する前の話だった。

FacebookTwitterの台頭

mixiは2010年代半ばには失速し、僕を含め誰も彼もログインしなくなっていた。社会人になっていた僕たちは皆、当時広まり始めていたTwitterFacebookのユーザーとなった。

僕が最も愛好したSNSFacebookだった。Facebookが招待制という謎のレギュレーションをやめたことで、ハードルはとても低くなった上に、登録者はみんな実名だし、また人も多くて大いに賑わっていた。旧友、同級生でちょっと知っている人、名刺交換した人…僕と接触したあらゆる人々と僕は繋がりをもった。友達の数は多ければ多いほどいいと考えていたし、その数は僕自身の人脈や魅力の証左であるとすら考えていた。

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もちろんそれらは大いなる考え違いなのだが、素晴らしく人生を謳歌している僕の友人どもに張り合うように、僕は様々な場所に旅行に出かけて、その度にうまく撮れた写真を投稿し、その数字上の友人どもから「イイね」を集めることを楽しんでいた。

一方でTwitterは、主に匿名で何か毒を吐くことを目的に利用していた。何かを攻撃したり、または何か意識高いことをつぶやくのはTwitterばかりだった。韓国や中国を攻撃したり、民主党はゴミカスだと言ってみたり、時には死にたい消えたいモテないと泣き言を垂れ流したりもした。

実際のところ、おそらく無意識的に僕は、Facebookが「公の場」であり、批判や不満、毒吐きを含むあらゆる攻撃を行うにふさわしくないことを理解していた。僕は僕の人生の、最も輝かしい一面しか見せなくなった。それはmixiのときの失敗から学んだことだ。表の顔のFacebook、裏の顔のTwitter、意外とうまいことバランスが取れていたのだ。

SNSに疲れた。コミュ障には相性が悪い

SNSはフィルターがかけられている。投稿者はいいことしか投稿しない。いいことは見てほしく、悪いことは見てほしくない。そして見る側からすると、やはりいいことは見る分にはいいのだが、悪いことを積極的に見ようとは思わない。

いいことも悪いこともすべて包含し、むき出しにしてぶつけ合うことで、最も信頼できる関係性が構築できると信じているコミュ障の僕には、これらの空間は非常に相性が悪かった。特にFacebookやその子サービスであるInstagramは、「プラス」のことしか投稿されてこない。

美味しいものを食べた、彼氏や彼女とどこそこへ行った、自動車を買った、結婚した、新しいビジネスを始めた……そんな投稿が目につくようになったのは、20代後半に差し掛かったときのことである。僕はこの空間に対して、いよいよ居心地が悪くなってきていた。

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僕がSNSを見なくなったのは、媒体別に理由がある。

Facebookは、結婚しただの子供が生まれただの、僕の非モテコンプレックスに直接的にダメージを与えてくるようになった。何も考えずに、ただ懐かしさや義務感で増やした「友達」が、今や僕に牙を向くようになってきたのだ。

僕は大して関心のない「友達」に「おめでとう」ということに苦痛を感じていた。また僕が相変わらずモテない一方で、僕だけ人生のステージが独身のまま停止しており、しかもそれが進捗する見込みがないこと。これこそが僕の劣等感を大いに刺激した。

Facebookは僕に「嫉妬」を呼び起こすのだ。僕はそのような投稿を繰り返す「友達」を、片っ端からミュートしていった。その結果、アクセスしても何も表示されないタイムラインしか映らなくなってしまった。この瞬間僕は、Facebookを見限ったのだ。今僕はタイムラインをわざわざ見にいくことはなく、少数の知人とMessengerのやりとりをするにとどまっている。

Twitterは、もともと様々な意見が交差するシルクロードのようであったが、表現の自由フェミニズム、左右問わない政党への攻撃、あるいは近隣諸国への差別的表現、懸賞応募の詐欺やエロ垢が目につくようになった。フォロイーがくる日もくる日もレスバトルを展開していて、それらの情報を得る価値を見出せなくなった。

僕はそれらの対立構造を読み解いたり、攻撃的な表現そのものを相手するのに疲れていった。

SNSとかいう排他的コミュニテイサイト

SNSはコミュニティを拡大し、本来なら知り合えなかった人と繋がることができるという。そして実際そうだったはずだ。今のSNSは、結局同属どうしでしかつながりあえないのだ。そういう意味では世界が広がることはなく、むしろ主義主張が凝縮し先鋭化し、他集団に対しての攻撃性が増していく。その意味でSNSは、極めて排他的な要素を秘めている。これをエコーチャンバーという。

また僕がFacebookから離脱したのも、今考えると、その同質性から排除されたからなのだ。すなわちFacebookは、「まっとうに・・・・・生きてきた連中」という同質性を持っている。20代前半までは、恋人の有無はともかくほぼ独身勢なので、人を殺したとか反社会的勢力でもない限り、僕も含めてその同質性の一員になれる。しかし20代後半以降は、まっとうに生きれば結婚して子供が生まれる時期なので、そのような人生を歩んでいない僕のような人間は立ち去ってゆく。

2ch(現5ch)こそ最強のコミュニティサイトだった

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日本初の巨大匿名ネット掲示板2ちゃんねるを知っているだろうか。ハッキングから今晩のオカズまで、あらゆる玉石清濁混交の情報が投稿されるアレであり、今では5ちゃんねると呼ばれている。かつてはアングラサイトにして有害サイトの代表例のような扱いを受けてきたが、今ではもっと市民権を得ているはずだ。

僕はギコネコや内藤ホライゾンとかが闊歩していた時代からの住人だが、1日限りのIDで好き勝手なことを言い、名も知らぬ者同士が一期一会に行き交うその場所に、僕はほんとうの意味の「情報のシルクロード」を見出す。これこそが最強のコミュニティサイトである。

junny-policies.hatenablog.com

5chを使うには、嘘を嘘と見抜けないと難しいし、エロ画像グロ画像という罠も至るところに仕掛けられている。用心することだ。けれどそこには、言いたいことを好き勝手に言う最強の言論空間にして、かつてSNSが失った楽園がある。SNSに疲れたら、ぜひ5chへようこそ。

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