非モテ恋愛弱者のブログ

旧「非モテ系のままで生きていくブログ」から、恋愛弱者男性ブログに進化しました。レベル36の限界中年/異常独身/非モテのブログ。もう人生折り返しました。残りの人生を頑張らないで生きていこうと思います。なおこのブログには、モテる方法は1つも書いていません。

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AEDを使って女性を救命する社会的リスクを考えようぜ

www3.nhk.or.jp

こんな記事がTwitterでバズっていたので、少し所感を書いてみることにした。

考えてもみたまえ。AEDは、心筋梗塞などの心臓の異常に対し、電気ショックによって正常化を試みる機械である。そして、AEDが設置されているような公共性の高い施設の中で、AEDの世話になるのはどう考えても高齢者である。

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まったく、誰がうら若き乙女を半裸にしてその胸元にAEDを装着する想像をしているのか。この助平爺どもめ。

あえて言葉を選ばずに表現するが、セクハラや劣情を催すような妙齢の女性に対して、AEDを使うシーンなどあるだろうか。このグラフを見る限り、僕はそうは思わない。その年代は、男女問わず、ある日突然心不全に陥るケースが極めて稀だからだ。だからツイッタークラスタが「俺は女性に対してAEDなど使わない!」と宣言するのは、どこか滑稽に思えてならない。つまるところ、AEDを使って助ける対象は80すぎの爺婆である。そのお婆さんを半裸にして性欲が湧く人もいなくはないだろうが、多分論点はそこではないだろう。

女性に関わるとトラブルを招くという共通理解

おそらくこの議論の本質は、女性という属性自体が世間一般から信用されていないということだろう。迷子の子供と同じように、女性というのはトラブルのもとであると見なされているのだ。

junny-policies.hatenablog.com

そして、他者と関わり合いになることで社会的地位を喪失するリスクに対し、すべての人が敏感になっている。衆目のある前で女性の衣服を脱がすことの抵抗感は、おそらくそこに由来している。そして実態として、高校生以上の女子に対してのAEDの使用率が有意に下がることも、女性にAEDを使用することの抵抗感を示している。

もう少し悲観的に考えてみると、救命のためとはいえ、例えば僕のような非モテ系ブサメン喪男に半裸にされてAEDを使用されたといたら、いざ生還したとしても、僕に半裸を見られたという不愉快さを抱えて一生を生きていく必要がある。もしそれに抵抗があるのであれば、僕が救命などする必要はなく、僕以外の他人(おそらく女性が望ましい)に救助されることを期待するか、さもなくばただそのまま心停止するに任せたほうが互恵的ではないか?僕はこのように問う。そして僕はこの問に、YesかNoで明確に答えてほしいのである。

ネットやSNSの声が現実世界にどれほどの影響力があるか定かではないし、何なら影響力など大したことはないと思ってすらいるが、おそらく道徳心にあふれる男どもが躊躇なく女性の衣服を剥いでAEDを使えるように、女性は今こそ「訴訟リスクとか完全にデマなので四の五の言わずに衣服を脱がしてAED使ってください」と声を大にして言うべきである

冒頭に示したNHKのサイトでも、救急救命AEDを使用する際に女性に配慮するべきポイントみたいなものをまとめていたが、おそらく事態の本質はそうではない。真に訴えるべきは、文字通り1秒を争うにあたってAEDをさっさと使えということ1点のみではなかったか。救急救命は女性に配慮とかもうそういうのをやっている場合ではないので一刻も早くAEDを使ってほしいと、なぜメッセージを出せないのか。

性的意図がなければ問題ないというけれど

実際のところ、救急救命という緊急事態の中で半裸の女に欲情することもないとは思うが、しかして僕に性的意図がないという事実をどのように証明するのか。そんなことは不可能だ。悪魔の証明というやつで、無いものを証明することはできない。あるいは第三者が半裸の女をスマホで撮影していたならば、それはそれで衣服を脱がせた側としての僕も訴訟に巻き込まれるのではないか。僕はどうしてもその疑いが晴れたとはいえない。故にAEDを女性に使うことはできない。

news.livedoor.com

このニュースサイトにもそれらしい反駁が掲載されている。SNS上の空想言論であるという考察はおそらく的を射ていると思うが、

「女性はAEDを使って欲しくば、セクハラを騒ぎ立てるな!」

ニュースの筆者はこれをバカバカしいと一刀両断するけれど、僕たちは真剣にこれを論じているのだ。筆者は、AEDとセクハラの関係性は無視できるほどに小さな危険性でしか無いという。が、おそらくネット上の過激な言説に侵食されているおかげで、それが腹落ちしない。そういう意味で、

彼らは常に自信を持って、自分たちは正しいのだと考えている。

という考察は正確ではなく、「緊急事態なので衣服を脱がすことよりも救急救命行為が優先される」という規範が自分を含むその他大勢と共有されていることをほぼ確信しつつ、一方でセクハラだの性的だのと難癖をつけてくるツイフェミどもの存在を考慮すること自体、「無視できるほどに小さな危険性」であると断じることもできていない。あるいは、万が一それらから自分が攻撃されたとき、自分を守ってくれる存在があるのかどうかを疑っている。

弁護士の「『まず』ありえない」が不安すぎる

そこで弁護士の見解である。これはたいへん心もとないものだった。

inoti-aed.com

「訴えられることはまず・・ない」というのだ。「まず」ありえないの「まず」という接頭辞!これが大変危険である。これは「よっぽどのことがないと」という意味を含んでおり、つまり「よっぽどのこと」があったと判定されたら、訴訟リスクはあると言っているのだ。助ける側の躊躇いはここに集約されている。「まず」を付けなければまだ信憑性はあったのに、かえって疑念が増してくる。

そしてもう1つ、過去にAED救助を行ったことによってセクハラが認められた判例について、弁護士は「判例はない」と説明していた。これでは意味がない。過去に判例がなかったからといって、将来に渡ってその判例が存在し得ないという説明にはならない

そもそも僕たちは、訴えられる側になることそのものをリスクとして捉えているのである。このケースでは、AEDを使っている最中に欲情しセクハラ行為を働いた不届き者として扱われてしまう。これでは無実の証明がされても意味がない。セクハラの意図が認められなかったからOKというものではない。最初に付いた「救命行為中に欲情した」というレッテルは、裁判に勝ったとしても残り続ける。

だから「まず」という接頭辞を付けてほしくなかった。つまんねえ予防線張ってんじゃねえよ。

そしてあるいは、なぜ「救急救命行為中に胸部に触れたりセクハラ扱いされるということはありえない。もし万が一そういう状況になったら私のところに相談しに来なさい。全力で弁護するし何なら訴えた相手から名誉毀損の慰謝料を分捕ってやります」くらいのことを言えないのだろう。

セクハラ訴訟は女性側優位という不安要素

いや実際のところ、乳腺外科医のセクハラ行為疑いが有罪判定されたところを見ると、弁護士がいかにそう力強く宣言してくれたとしても、今度はそれを判定する司法側の信用も問う必要がある。

medical.nikkeibp.co.jp

この裁判のように、原告側せん妄状態でが明らかに認知能力に乏しい中で、司法は医師側の証言を認めず、そんな状態の女性原告側を支持し、医師側は有罪判決となった。僕たちがこの一件で認識しているのは、極限状態やせん妄状態にも関わらず、原告側が女性であった場合、司法はそれを支持する傾向にあるということだ。この一件で、セクハラなどの性的被害については、被害者側たる女性の言い分が全面的に採用されるという前例を裁判所は作ってしまった。良識ある大人どもはこの点を重視している。だから女性にAEDを使うことを躊躇うのだ。

見殺しは誰も傷まない

僕はこのニュースを執筆した赤木氏に敬意を表する。赤木氏は実名でメディアにニュースを寄稿しているのに、僕は匿名で反論を仕掛けるからである。この卑怯さを身を以て思い知りつつ、筆を進めることにしよう。

助けた上で「セクハラ!」と訴えられるという、都市伝説のように微少なリスクと、その人を助けられたはずなのに、自分は見殺しにしたという枷を一生背負っていくことのリスク。そのどちらが本当に懸念せざるを得ないリスクなのかをしっかりと考えるべきなのだ。

その流れで、先程のニュースサイトの、この極めて道徳的な問題提起にも答えることにしよう。僕個人の見解では、後者の「自分は見殺しにしたという枷を一生背負っていくリスク」については圧倒的に許容できる。AEDを使う相手が赤の他人であれば、助けなかったとしても記憶に長くとどまらないからだ。他人は所詮他人である。生きていようが死んでいようが、対して関心の払われるべきものではない。

一方でAEDを使おうと試みた瞬間、その生殺与奪が自分の手に握られることに注目したい。むしろその状態こそ、煩わしいと思ってしまうし、それが助かっても助からなくても、それは強烈な体験として僕の記憶に残り続けるだろう。他人は僕の預かり知らぬところで生き、そして死んでもらって構わないのに、それはあまりにも煩わしい。

もしも「女性にAEDを使うとセクハラで訴えられる」という話に一理あると感じている人たちがいるとしたら、それは真っ当にリスクを踏まえていないのはもちろん、人の命を軽んじた言動であることを考えて欲しい。

他人にとって僕の命が軽いものであるのと同じように、そもそも自分以外の人の命など軽いものである。それはお互い様だ。そして「女性にAEDを使うとセクハラで訴えられる」ことに一理もないというのであれば、それはそれで世間一般にうごめく「悪意」に対していささか鈍感すぎるであろう。僕も対して世の中を見知っているわけではないが、人の悪意はAEDを使って人助けをするような善良で道徳的な一般市民に牙を向くものである。こと女性から男性への悪意は、セクハラ呼ばわりするという手段をもって、女性に攻撃をしかけてこない温和で善良な男性に対して向けられるのだ。

https://www.excite.co.jp/news/article/Sirabee_20161114321/

女性は攻撃を仕掛ける相手を選んでいる。自分が気に入られたいアルファオスや金持ち、そして物理的に反撃を仕掛けてきそうなヤンキーDQNなどには攻撃を仕掛けない。強かにして狡猾で卑怯な連中である。

僕たち大人の男ができること

そうは言っても……という人もあると思うので、そんな僕たちにもできることを考えよう。僕も僕とて、相手が男ならいくらでもAEDを使うだろうし、あるいは老婆が相手でも思わず体が動いてしまうということもなくもない。

まぁできることはといえば、四の五の言わずにAEDの案内に従って、衣服を必要なだけ脱がせて電極パッドを取り付けて、あとは電気ショックを流すことくらいだ。ワンピースとかだと絶対に苦労するけど、そのワンピースのことは諦めよう。ワンピースが大事なら死ぬしかないだろうし、ワンピースを着るような年齢の女性が、僕の目の前でAEDの世話になる確率は、極めて低いと思われる。そして老婆に限ってはワンピースで着飾っていることのほうが稀であるから、そこの心配も無視できるだろう。

ちなみにブラジャーは外さなくてもいいらしい。けど女性を下着姿にするというのは、やはり心理的に抵抗がある。誰か通りすがりの女性を見つけてその女性にやってもらうか、あるいはやはり脱がされるくらいなら死んだほうがマシなのかもしれない

結局こうやって、きっと道徳心が優って、僕はAEDを使うのだろう。まったく意志薄弱である。

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