非モテ恋愛弱者のブログ

旧「非モテ系のままで生きていくブログ」から、恋愛弱者男性ブログに進化しました。レベル36の限界中年/異常独身/非モテのブログ。もう人生折り返しました。残りの人生を頑張らないで生きていこうと思います。なおこのブログには、モテる方法は1つも書いていません。

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非モテが風俗に行ってもコミュニケーション力は育たない件

僕は以前、以下のエントリを書いたことがある。非モテは風俗に行くと自分の童貞に価値がないことを思い知り、結果として吹っ切れるから人生を送りやすくなるということを考察した内容である。

junny-policies.hatenablog.com

僕はその中で、このようなことを書いた。

彼女たちは僕たちが金蔓である限り、僕たちには優しく接し、体まで提供してくれる。金を払って女を買うことは、おそらく非モテに新たな悟りを提供する。世界が変わるとはこういうことだ。こうして非モテを解消していけば、悩み事が減って、人生はより生きやすくなるだろう。

上記エントリの結論としてはこの通りなのだが、僕はこれについて補足をしたい。論点は、非モテが風俗に行くことで、女性とのコミュニケーション力の向上に寄与するかどうかだ。このエントリではこの問いに対し、考察を進めてみることにしよう。

「女に慣れた」わけではない

風俗に行って嬢と会話をし、様々なプレイをこなす中で、人によっては「女という生き物に慣れた」という感覚があるかもしれない。僕が思うに、その感覚は正しくない。

当たり前のことだが、僕たちは風俗嬢にいくらかの金を渡していて、その代価としてその嬢の体を手に入れることができている。つまりそのコミュニケーションには、絶対的に金がその媒体として存在していなければならない。金を受け取らずに体も笑顔もを差し出す嬢など存在しないからだ。

この出発点がとても大事で、いくら風俗嬢とのコミュニケーションに慣れたところで、現実世界の女とのコミュニケーションがスムーズにはならないということだ。なぜなら通常、現実世界の女とのコミュニケーションにおいて、金は直接的な媒体とはならないからである。

僕たち非モテが自覚しなければいけないのは、風俗嬢の笑顔には金という理由があるということだ。僕が思うに、何も証拠がないので僕の完全な思い込みかもしれないけれど、このあたりの自覚に乏しい非モテがそこそこ存在するのではないかと考えている。非モテが風俗に行って金を払い、それによって受け取った嬢の笑顔と体を、本物だと錯覚してはいけない。僕は冒頭のエントリで、それでさえも非モテにとっては癒しになるから、それを認識した上で節度をもって楽しむことを説いたつもりだった。

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金を媒体にしたコミュニケーションのみが成立する

何度も繰り返すが、風俗嬢とのコミュニケーションは明確である。彼女たちは金のために、僕たち非モテに愛想を体を提供する。言い換えれば、金が払われない限り愛想も体も提供しない。その提供された愛想も体も、金という明確な根拠がある。

その結果、女とのポジティブなコミュニケーションには、全て金が必要だと認知するようになる

そこで何が起こるかというと、つまり現実世界の女から僕に向けられるネガティブな感情には僕に帰せられるべき十分な理由があり、一方で万が一彼女たちからポジティブな感情を受け取ろうものなら、後者についてはその根拠を考察するという行動に出る。しかもその根拠は全く心当たりが無い。何しろ彼女に金を払ってはいないからである。

そこでその非モテは混乱に陥る。この女は、僕が金を払っていないにもかかわらずポジティブに接してくる。愛想や笑顔を向けてくる。そんな理由など存在しないのに。僕はこの女の行動規範がわからない。だからこの女は僕を混乱させ、僕に不快をもたらす。だから僕は彼女を遠ざけるだろう。このように判断するわけだ。

こうしてこの非モテは、金を払っていない時に笑顔を向けられても、それを信用できなくなる。なぜ金を払っていないのにこの女は愛想や笑顔を向けてくるのだ、何か裏があるに違いないと疑心暗鬼に陥り、結果としてコミュニケーションに支障をきたす。これは現実において極めて不都合である。

風俗店にいく目的を取り違えてはいけない。風俗に期待できるのは、気分転換とか性欲の発散とか、そういった効果のみだ。現実世界の女性とのコミュニケーションは、現実世界で失敗しなければ身につかない。

それでも僕は損得勘定しか信じられない 

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※「来世ではちゃんとします」より

junny-policies.hatenablog.com

性風俗というのは全てが金銭を通じた取引である。女性の体も笑顔も。僕に向けられた笑顔には、支払われた金銭=明確な対価という、それが僕に向けられるだけの根拠がある。だからその笑顔だけは信用できる。恋愛などと違って、何がなんだかわからないということがない。

僕はやはり、損得勘定が最もシンプルだと思うし、本当に信じられるのだ。根拠のない好意などという危険なものを信じることはできない。僕が金を払えば、嬢は優しくしてくれる。それ以上でもそれ以下でもない関係。店を出たらお互いがお互いを一切顧みない、たった数十分の関係が、僕の中で成立している異性コミュニケーションの全てである。

このように、非モテが風俗に行ったとしても、現実におけるコミュニケーションの向上には何も貢献しない。とはいえ、性欲というのは、男の非モテである限りうまく飼いならさないといけない代物であり、性風俗はその解決手段になりうる。直接的に非モテ男の精神的安定にも寄与するだろう。このことを十分に理解し、用法用量を守って正しく風俗を利用してほしい。

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