とある底辺喪男の社会評論

現代社会の様々な問題点や、政治、経済、金融、教育のあらゆる社会的分野について、好き勝手に評論する若干意識高めのブログです。ただし、論者は底辺喪男です。

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日本の政治が良くならないのはどう考えてもお前ら国民が悪い

「政治がだめだ」「政治が悪い」という話は、街頭インタビューでよく聞くコメントである。はたして本当に「政治はだめ」であり、「政治が悪い」のか、考えてみるのがこのエントリである。

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「善良な一般国民である」という思い込み

おそらく無意識なのであろうが、「政治が悪い」というようなコメントが出てくるにあたっては、その背景に、明らかに固定された強固な前提がある。それは、「国民や世間一般は正しい」という前提である。自分たちが正しいということを何が担保するのか。それは「良識」とか「常識」とか言われている得体の知れない何かであり、自分たちがそれらを備えた善良なる社会共同体構成員であるという意識にすぎないという点を僕は指摘したい。

良識や常識それ自体が正しいのかを疑うことはしないし、あるいは自分にその良識や常識が身についているかを疑うこともしない。誰がそれを疑いようのない真実であると証明できるだろうか。誰もそれを証明できないならば、自分が常識的に善良な一般国民であるという意識は、単なる思い込みでしかないのではないか。

そうなると、僕たちは自身が持っている、善良な一般市民であるという意識が正しいかどうかを、検証する必要がある。それは、有権者一人ひとりが自分で考えなければならない。選挙においては、自分の信念や主義主張に親しい人物や政党に投票するわけであるが、果たしてそれが正しいのか?あるいは前回の投票時の自分の選択に誤りはなかったか?という点において、省みる必要がある。そして自分自身の利害得失と、社会的な利害得失を天秤にかけた上で、次の投票にうつるのである。

学校では民主主義を学ばない

日本は立憲君主政国家であり、普通選挙によって立法権国会議員と呼ばれる連中に付託し、その代表者として内閣が行政を担当する。もし「政治が悪い」と言っている連中がいるとしたら、彼らが見落としているのは次の一点、政治家として立法権を付託した連中を普通選挙によって当選させているのは、我々一人一人の国民であるという点だ。

そうすると、次の論理が成り立つ。すなわち、政治が悪い=政治家が悪い=政治家を選んだ国民が悪い。よって、政治は悪いけど国民は悪くない、という論理は成立しない。あるいは、政治が悪い=国民が悪いというのは成立するから、その因果関係を考慮すると、政治が悪いのは国民が悪いからだということもできるし、国民が悪いのは政治が悪いからだということもできる。

主権者たる国民が選挙権を行使した結果に対しての責任は、主権者たる国民が取らなければいけないのだ。決して政治家どもだけに責任があるわけではない

有権者にも反省が必要だ

いずれにしても、政治が悪いという論点で語るならば、それに付随して、そんな政治家を選んだ国民が悪い、という論点も議論の範疇に入れなければならないだろう。そうでなければ民主主義に対して不誠実だし、その意識が持てないならば、そもそも民主政など布かれるべきではない

何というか、中学で公民を学び、高校で政治経済とか現代社会を学んでいる人が多数派だというのに、どうして民主主義の根幹たる、民主主義における責任の所在についての意識がこうも低いのだろうか。そんなに責任を取りたくないのならば、いっそ制限選挙にするか、貴族政か絶対君主政などにしてしまえばよろしい。そうすれば僕たち一般国民は政治に対して責任を負う必要はなく、政治家貴族どもや皇族王族に搾取されつつも、文句の1つを言うくらいで済むような生活に甘んじられるだろう。

僕たちは、選挙権を持っており、それを行使している以上、それによって選ばれた政治家どもがもたらした現実に対し、責任を感じるべきだし、反省するべきだし、その態度をして政治家どもを追い込んでやらなければならないのだ。

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