フィンランドのベーシックインカム(BI)は好結果に、希望の党のBIはどうなるか?
このところ、希望の党がベーシックインカム(BI)を公約に掲げたことがニュースになっている。既にBIを試験的に導入し、成果を上げている国があるのをご存知だろうか。
ムーミントロールの故郷、北欧フィンランドで、今年からBIの試験導入が行われている。対象者2000人に対し、600ドルのBIが支給される。
この600ドルというのは、果たしてどれだけの価値をもつだろうか。
600ドルというのは、日本円にして6万8千円くらいである。数字だけ見れば、僕が考える一般的な労働者の給与収入水準は20万円程度であるから、その一般的な労働者3分の1くらいの水準だろうか。
実際の購買力や物価指数から換算するのに、ビッグマック指数という便利な指標がある。世界的ハンバーガーチェーンのマクドナルドにおいて、各国でビッグマック1個を買うのにいくら必要かというのが分かる指標だ。これを比較することで、各国の購買力平価を換算することができる。
フィンランドのビッグマック指数は、4.75ドル(556円)で世界第7位。ちなみに世界第1位はスイスの6.35スイスフラン(741円)、日本は3.26ドル(380円)で世界では33位である。単純計算で、日本の購買力はフィンランドのそれの7割程度である。
乱暴な計算をしてみよう。物価水準にならしてみると、フィンランドにおける600ドルの支給は、日本においては46,700円の支給に相当する。これは前出の一般的な労働者の給与収入の5分の1程度に相当するものである。
水準が低すぎるという声が聞こえてきたような気がするが、僕は底辺なので、基準となる給与水準が低いのである。察してくれ、泣いちゃうぞ僕。
BIは労働観に革命的な変化をもたらす
BIの導入で決定的に変わるのは、給与水準が低かったり、拘束時間が長かったりするような厳しい労働環境に置かれながらも、そこから脱出することのできない労働者の態度だろう。
そしてこれらの僕の反駁は、あくまで僕の労働に対する価値観の発露であって、労働それ自体を人生目的とする価値観を否定するものではないことを僕は付け加えなければならない。働きたいと思う人は、いくらでも働いてよい。ただし、僕を含めた他人にそれを強要しない範囲で。
続報が取材されていた。その後フィンランドでは、BI試験導入後、受給者に対しての調査が実施された。その結果として紹介されているのは、以下のようなものだった。
「これまでの標準的な失業手当を受けているときとは違い、ベーシックインカムを得ている現在は、職探しにより積極的に取り組めている」
※上記元記事から
これは何を意味するか。よくあるBIに対しての反対意見として、失業者の就労意欲がなくなり、雇用受給が悪化したり、社会復帰できなくなるというものがあるが、上記のコメントはそれに対しての良き反証となるであろう。
BIがなく失業手当しかない状況では、どんなに雇用条件が悪い求人でもそこに応募し採用されざるを得なくなる。しかしBIがあれば、そんな雇用条件が悪い求人に飛びつく必要はないし、適当にアルバイトでもして食いつなぎつつ、良い求人が出てくるのを待つという選択肢が生まれる。あるいは、既に悪い条件下で働いている労働者も、BIがあるので最低限の所得を確保することができ、そんな会社を辞めるという選択肢を取りうる。このように労働者にとっては、就業中でも失業中でも、取れる選択の幅が広がるという意味で、雇用環境の改善につながる仕組みであるといえる。そしてそんな条件の悪い求人を出している会社には、そもそも応募が集まらなくなり、人員不足に陥り操業が困難になって、淘汰されるといううれしいオマケ付きだ。
日本でもBIを導入できるか
日本でこの手の議論をしようとすると、決まって次のような反論がある。「働かざるもの食うべからず」とか、「働かないで収入があること自体、不合理である」とか。
僕は大いに反駁を加えたい。
まず、「働かざる者食うべからず」について、この言葉を発した人物が、旧ソ連の革命的指導者レーニンであったことを知っている人は少ない。すなわち、社会主義革命において、当時存在したブルジョワジー(資本家)が、プロレタリアート(労働者)を労働的に搾取しつつ、自身ではとくに働かないまま、富を蓄えるさまを非難した言葉である。よって、本来この言葉によって糾弾されるべきは、毎日の糧のために労働を事実上強制される労働者や、疲弊しその能力を失った落伍者ではない。あくまで、働かずして富を蓄える能力を持ち、搾取を実践している連中のことだ。だからこの発言は、そもそも僕たちのような労働者あるいは失業者などを非難する言葉ではないのである。これを労働者や失業者に向けて発言する人は、自分が歴史も知らず知識もない人間だと吹いて回っているようなものなので、ほうっておこう。
大前提として、人間の生存目的は、働くことそれ自体ではないと僕は思う。少なくとも、人間はあくまで働くことは、資本主義の社会において生活消費の対価である金銭を得るためである。その意味で、働くことはあくまで生存のための手段でしかない。
希望の党はベーシックインカム導入を公約にした
さて先日、国難突破のために衆議院は解散されたのであるが、その中で小池百合子氏が発足させた新党「希望の党」は、BI導入を公約としてかかげた。
実現可能性について議論するにあたり、まずその俎上に載せられるのが、財源はどうするのかという問題点だ。
希望の党は、その財源を企業の内部留保に課税することで賄おうという政策を打ち出している。企業の内部留保は、僕達のような下々の労働者にとっては手がつけられない資産であり、それが政府を媒体にして僕達にめぐりまわってくるというのは、悪くない話であるように思える。
僕も含めて、BI導入に賛成の立場の人間が常に認識しておかなければならないのは、BI導入は現行の社会保障とのバーターとなるという点だ。つまりBIが導入されるならば、現在僕達が享受している諸々の社会保障:例えば基礎年金、医療保険、雇用保険などはすべて廃止され、自分たちで何らかの方法で手配しなければならなくなる、という点だ。僕たちは年金も医療保険も雇用保険も支払う必要はなくなるが、それらが必要とされる場合にそなえて、何らかの保険をかけておかなければならない。BIは天から札が降ってくるような政策ではなく、お金に対して自己責任的でなければならないし、僕達にはその覚悟と意識と、マネーリテラシーが必要とされるのだ。
そういう意味で、僕は希望の党のBI政策には注目している。内部留保課税によってどれだけ財源が生まれるのか、そういう試算も見てみたい。
希望の党のBIは無理ゲーだ
僕は、実際上、内部留保課税だけでBIの財源全てが賄えるなどとは思っていない。
例えばBIを1人あたり月6万円だとすると、単純計算で、6万円×12ヶ月×1億2500万人=90兆円/年という計算になる。これは現在の日本の国家予算の全額に相当し、仮に消費税を増税し、社会保障費を削減したとしても、正直言って、実現は困難だろう。何なら、単純な税収だけなら45兆円程度しかないから、基礎的財政収支の観点から言っても無理な話だ。これだけの金が供給されるということは、それは強烈なインフレの要因となるだろうし、この規模のインフレは、円の価値を暴落させ、かつ金利の上昇を招く。金利の上昇は国債の償還を困難にさせ、中央銀行と政府の債務保証が難しいと市場に判断されてしまった場合、信用収縮が発生し、日本から資金が引き上げられ、最終的には日本国の財政破綻という結末まで予想できてしまう。希望の党とは何者か、まるで絶望の党ではないか。BIとかマジ無理ゲー。
BIの制度自体は、僕にとっては好ましく思う。実現できるものならぜひともその恩恵にあやかりたいものだ。けれども日本で導入するのは困難であると言わざるをえない。というわけで僕はBIの実現などに夢を持たず、他の生活防衛手段を検討することにしよう。