非モテ恋愛弱者のブログ

旧「非モテ系のままで生きていくブログ」から、恋愛弱者男性ブログに進化しました。レベル36の限界中年/異常独身/非モテのブログ。もう人生折り返しました。残りの人生を頑張らないで生きていこうと思います。なおこのブログには、モテる方法は1つも書いていません。

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家と会社の往復〜人生は消化試合でやることがない〜

今日も顧客からクレームめいた連絡が入ってくる。別に何か大きなトラブルになっているわけではない。しかしどうもうまくいっていない。大小のストレスを抱えながら、僕は今日も電車に揺られている。

帰宅ラッシュの時間を何時間か過ぎた帰りの車内は、ところどころ座席が空いている程度に混んでいる。窓に映る僕の顔つきは、目つきは少々窪み、ほうれい線がやけに目立って見える。ここ13年ほど、カレンダーの黒い日は、ほぼ毎日僕は同じ景色を見てきた。明日も明後日も、来年も再来年も、次の年もそのまた次の年も、全く同じものを僕は見ることになるに違いない。

平家物語の冒頭の一節が、ふと頭をよぎる。

祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響きあり
沙羅双樹の花の色 盛者必衰の理を表す
驕れる者も久しからず ただ風の前の塵に同じ

僕が「盛者」であった試しはないが、まぁ若い頃とかそういう解釈でもいいだろう。平家物語の冒頭句は本質を捉えている。若い頃の無限の力は失われ、今や変化しよう・させようという気力が湧いてこない。

本当は、流れるように生きていたかった。今の僕はどうもそうではなく、流されて生きているようだ。僕はもう、流されるしかないのだろうか。

日々の仕事でどうしても忘れがちになるが、僕が生きる前、生きている間、そして生きた後、それらは全て風の前の塵に同じである。僕が営業成績を上げようが、顧客からクレームが入ろうが、会社を首になろうが、それらは全て、この世界において意味がない。

僕の喜怒哀楽に関わらず、世界では戦争が起き、金持ちがさらに金持ちになり、その街中で慎ましく生きている名も知らぬ人々がいる。ローカルな鉄道に乗れば、無人駅や田んぼの脇にぽつりぽつりと家が建ち、誰かがそこで生活していることが窺い知れる。そしてそれがそこらじゅうにあることを考慮すると、普段僕が見ている景色が、世界や社会の全体の中でどれだけ小さい領域に限られているかを実感する

世界は広い。社会も広い。日本も広い。こんな広い世界で、僕はたかだか自分の会社とその取引先、あるいはそこで働いている人々という領域でしか、モノを見れていないのだ。

このように、自分の人生の行く末が見通せてしまう時が来ることは分かっていた。僕の人生はもうやることがないのだ

僕の人生は消化試合か、あるいは敗戦処理のようなものだ。僕はマウンドから淡々と球を投げ、時には打ち取ったり、あるいは痛打されることもある。しかし人生という試合の大勢はおおよそ決しており、僕のチームの貧弱な打線で逆転することはできない。

若い時の体験に価値がある。年老いてからでは感動が褪せる

僕にはやりたいことも特にない。だがそれは、僕の人生の中でたった1つだけ、正しい選択をしたからだ。

僕は30歳をすぎるくらいの間に、ほぼやりたいことをやり尽くした。1つだけ自慢するべきことがあるとすれば、若い頃の僕は、命の使い方を知っていた。遅かれ早かれいずれ僕たちは死んでしまう。そして何か新しい、未経験のことに挑戦するなら、若い時でなければいけない。そうでなければその体験の価値が下がることを、本能的に理解していたのだ。

話は逸れるが、恋愛を若いうちに経験しておくべきなのは、まさにこれが理由だ。僕のように中年になってから風俗で恋愛を代替しても、大して得るものは大きくない。

行かないよりマシだとは思うけど。

junny-policies.hatenablog.com

まぁそれはそれとして、僕が言いたいのは、歳をとると感動できなくなること。そして何もかもつまらなくなっていくこと、やる気も出なくなることだ。本やゲームを買ったけど読まない・やらないで積読積みゲーが溜まっていくアレだ。

36歳を迎えた今になって思うのは、新しいものや場所と触れ合っても、明らかに自分自身の感動や喜び、驚きのようなものが薄れていることだ。加齢からくる体力不足だと思う。このような状態に陥る前に、若い体力に物を言わせて、主に金銭面で無理して、地球上の様々な場所を訪れたのだ。

一方でそれは完全に後先を顧みない暴挙でもあった。僕は安い給料から僅かばかりに貯蓄を重ね、それを海外旅行を通じて様々な体験と引き換えた。それはつまり、僕の知識の確認と補完の作業だった。アメリカのテキサス州まで飛んで動態保存されているボーイングB−29爆撃機を見た日本人は、ここ10年で僕ともう数人くらいしかいないはずだ。

junny-policies.hatenablog.com

太平洋戦争の激戦地の島国パラオへ行き、反戦の決意を新たにしたこともあった。

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フィリピンのセブ島ではセスナ機の操縦体験と44マグナムの射撃体験をした。

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豪華さと血生臭さの同居する不思議な魅力を放つハプスブルク家の足跡を訪ねて、オーストリアの首都ウィーンを訪れたこともあった。

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あの時は少しだけ人生が楽しかった。そしてそれと引き換えに、貯蓄は払底した。結婚相手を見つけることもできなかった。僕の分際で無理をしたものだ。能力の高いやつは、そうやって遊びつつも結婚相手を確保していたが、僕にそんな芸当はできなかった。

結婚は2人でないとできないが、遊ぶことなら1人でもできる。僕は1人でできることに熱中しすぎたようだ。今にして思うと、そのツケが回ってきたな、と思う。

そうやって自らの知識の再確認をしている間に、周囲の同年代は次々と結婚し、子供をもうけた。彼らは新たな生きがいを手に入れ、その子供が成長していく様を心から楽しんでいるように見える。

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友人どもは僕には気を遣って、子育ては大変だの嫁が不機嫌で困るだの言ってくるが、僕にはわかる。友人どもはこの子育てや嫁のご機嫌取りのような人生のステージを、楽しみながらやっていることを。

本来は僕たちくらいの年になれば、きっと子供が自分の人生の支えになり、そして分身になるのだ。そして人生はその子供のために費やされることになる。つまり、自分の人生としては退場するのだ。人生の主人公は自分からその子供に受け継がれ、自らはその子供が自立し、よりよく生きていくためのサポートに回る。それが生きる意味となる。

友人どもが誰かのために死ぬとしたら、この子供のためだ。彼らはこうして、自分自身に生きてほしいと思ってくれる他者の存在を手に入れる。

僕は恋愛弱者だから、子供にバトンを渡せなかったのだ。僕はつまり末代である。今の僕は、誰にも生きることを望まれていない。僕にこの世界に存在してほしいと思ってくれる人はいない。昔はそういう人がいた。主に祖父母や両親だったと思うが、それらはもうみな死んでしまった。今僕は、ただ死んでいないから生きているだけだ

僕は誰にもバトンを渡せず、いつまでも独りぼっちで競技場を周回している。

中島みゆきの「永久欠番」という曲に「かけがえのないものなどいないと風は吹く」という歌詞がある。僕のことをかけがえのないものだと思ってくれるものはなく、僕がかけがえのないものだと思う人はいない

しいて言えば飼い猫くらいのものだ。しかし飼い猫すら、あと10年もすれば僕のもとを去っていく。飼い猫は大事な愛すべきものであるが、かけがえのないものとするには短命すぎる。

人生は長すぎて、僕の手には負えない。

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愛する者に与えてやれるものが欲しいんだ

身勝手すぎる憧れを 押さえ込むのが戦いさ

今や僕はただただ寝て食事を取って、必要に応じてこの社会にある様々なサービスを受け取り、その請求書を支払うために働く。文字通り家と会社を往復するだけ。週2日の休みは、その次の週の労働に備えて疲れを取るために眠る。本当に僕の生活はそれだけだ。

ある時僕は夜空を見上げた。僕の一生は、夜空の星のたった一瞬の瞬きに及ばない。僕は何て小さな存在であるだろう。あれは光の速さで500年もかかるような距離にあるという。500年の間に、何千万人もの人が生まれ、そして死んでいった。

ヨーロッパで啓蒙専制君主というのが現れ、日本ではマゲを結い刀を差した男が闊歩していた時代に放たれた光が、今僕に届いている。途方もない空間を旅してきたその光に、僕は僕が認知し得ない巨大な世界があることを推察し、そして絶望する。

地球という巨大な存在において、僕たちは地殻というただの薄皮の上に這いつくばる蟻と同じような存在なのに、どうして経済だの愛だのに囚われて気を病んでしまっているのだろう。どうせ僕たちなど、総理大臣だろうが社長だろうが赤ん坊だろうが、その肉体は津波の一捻りの前に砕け散る程度の強度しかないというのに。

宇宙から見た地球からは、人間などひと粒も見えはしない。陸地に刻まれるシワの1つ1つすら、僕には巨大な山脈に見えて飛び越えることすら叶わない。たった一羽の小鳥の羽ばたきが大嵐を起こすことがあるというのに、今の僕には砂粒ひとつを右から左に動かす程度の力しかない。そして、その砂粒一つの移動が、一体何だというのだろう。

だから、いったい、僕の生きる意味が、何だというのだろう。仕事で僕は大いにプレッシャーを受けて苦痛を感じているが、一体それが何だというのだろう。宇宙全体から見れば、まるで取るに足らない世界しか僕には見えていないのだ。

世界は僕の手に負えない程度に広くて大きすぎた。あぁ、僕に生きる意味なんてないのだ。

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