非モテ弱者男性のブログ

旧「非モテ系のままで生きていくブログ」から、弱者男性ブログに進化しました。レベル36の限界中年/異常独身/非モテのブログ。もう人生折り返しました。残りの人生を頑張らないで生きていこうと思います。なおこのブログには、モテる方法は1つも書いていません。

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優生主義は悪くない。僕たちはみんな優生思想の差別主義者だ

僕たちは反出生主義者ではなく、優生思想主義の差別主義者であったことを、こちらのエントリで説明した。

junny-policies.hatenablog.com

ある特定の属性を持つ人間集合に対して出生する/させることを許容しない点で、僕たちは極めて差別主義的である。つまり僕のような弱者男性的反出生主義を思想する全ての弱者男性は、醜悪な差別主義者である。そしてそれらを表現するのに適した言葉がある。それを優生思想という。

そういうわけで僕たちは反出生主義を名乗ることをやめ、優生思想主義者を名乗るようになった。僕たちはこれからしばしば優生思想であると指弾されるだろう。なぜなら優生思想は社会的に誤っている概念だからだ。

しかし僕はそれに反駁を加えたいと思う。すなわち、今このエントリに共感している諸君も、反感を覚えている諸君も、全てが優生思想主義者である、と。

そうだ。僕たちは優生思想的な差別主義を、常に内面化している。僕はそれを解き明かそうと思う。

命の選別とかいう優生思想

優生思想の内面化の例を挙げるとすれば、命の選別だろう。その昔、未熟児や障碍児が出生したならば、産婆と呼ばれる人々が首を絞めて、それを死産扱いしたという。現代では医療が進歩したため、ダウン症や障害を持って生まれてくる可能性のある胎児に対しては、出生前診断の後に中絶するという選択肢が与えられている。

このことに明確に反対する者は少数派だ。つまりこのように生まれてくるであろう命の価値を生まれる前に見極めること、そしてそれが一定の水準に達しないならば、その生命体に人生を最初から与えないこと。これらはすでに世間一般に広く受容されている選択肢であるといえる。

これというのはつまり、一定水準に満たない個体を選別し、その選別に引っかかってしまった個体から生存権を剥奪するという明確な差別である。慈悲と社会性と道徳心にあふれる僕たちは、このような差別を明確に肯定している。

どうだろう。僕が冒頭のエントリで説明したことは、無能で低質な遺伝子が継承されない=生まれてこないようにすることだが、それは命の選別と通底しているように思わないだろうか。

違いといえば、「誰が」選別したかという点だろう。弱者男性は、弱者男性自身が自分の遺伝子を継承しないと「選別」した。これに対して健常者諸君は何も反対しないはずだ。胎児の命を選別するのはその両親だ。そしてすべからく、これに対しても反対するところは何一つ存在しないはずだ。

遺伝子や優秀な個体、あるいは一定水準を満たす個体のみが、その後の生存を許容される。このように優秀な個体の存在のみを要求し、そうでないものを選別するという社会的合意は、あらゆる人間に対して内面化されているのだ。

選別に選別を重ねて、今の社会はできている

親ガチャとか低品質な遺伝子とかいう物言いは、優生思想だとか命の選別だと批判を招くだろう。しかし僕たちは、その批判にこうべを垂れる必要はない。命の選別の段で説明した通り、一定水準に満たない存在の価値を認めないという社会規範は、全ての人間が内面化しているものだ。

junny-policies.hatenablog.com

そして僕たちはそもそも根源的に、目に写り認知する全てのものに対して、峻厳なる選別を無意識のうちに行なっている。しかし、この点に自覚的であるのは少数派である。

選別。それは人生の全ての場面で起こりうる。友人関係なら誰々と遊ぶが誰々とは遊ばない、という判断がそれである。あるいはイジメたりからかってもいいような、「共同体」の団結と合意を促進するための「生贄」を、老若男女問わず、僕たちは常に探している。

恋愛や就職は、選別の例として最たるものだ。恋愛はそのまま優秀な遺伝子を持たない個体をフルイにかけるものだし、就職は後天的な要素を含むが、能力や経験という形で、共同体の役に立つものとそうでないものを分別している。

慈悲と道徳心にあふれる世間一般の大衆は、自分自身がまさか選別に選別を重ねている優生思想の差別主義者であることを認めない。自分自身がそんな不道徳かつ暴力的な概念を内面化しているとは思いもよらない。

優生思想は別に悪くない

このように僕たちは、優秀であるものとそうでないものを無慈悲に分別し、一定水準に満たないものに差別的待遇を与えている。この指摘に対して少々道徳的で教養のある人間は、次のように批判するだろう。

「お前たちはナチス・ドイツT4テーフィア作戦を知らないのか。お前たちの思想はまさにナチス・ドイツの差別主義だ」

T4作戦は、ナチス・ドイツで行われた精神障害者身体障害者を「安楽死(強制)」させる作戦である。なるほど確かに、ナチス時代のドイツではそのようなことが起こっただろう。作戦を中止しようとした政府高官は罷免された。また作戦を止めようとする市民は誰もいなかった。

つまりそこには、精神障害者身体障害者、あるいはその子供は殺害してかまわないという、社会的な合意があった。合意したのは市井の名もなき市民一人ひとりだ。つまり名もなき市民一人ひとりは、全て差別主義者だったのである。

それから80年が経つ。現代を生きる道徳的な一般人は、少し歴史を勉強した人なら、ナチス・ドイツ斯々然々かくかくしかじか大量虐殺ジェノサイドが起こったことを知っている。なのでその反省から、自分はそうではなく、反優生主義であると道徳シグナリングを発する必要がある。

ただT4作戦における障がい者と違って、僕たち弱者男性は、自分の意思で自分の劣悪な遺伝子を断種しようとしているわけである。だから僕は、道徳的で優生思想に反対する諸君に問おう。諸君は弱者男性の自主的断種に反対するのか?

僕たち弱者男性の遺伝子が、無条件に未来に継承されるだけの価値があると、本当に思っているのか?

Yesなら諸君は嘘つきの偽善者である。

Noなら諸君は差別主義者である。

またもう1つ問おう。もし諸君が差別主義者でないというなら、そこら辺のホームレスを自宅に招待し、暖かいシャワーと食事を提供してやるがいい。あるいはダウン症と診断された胎児を中絶しようとする夫婦の前に躍り出て、治療費や生活費や育児の世話などをしてやるから産めと申し出るがいい。

少しでも嫌悪感や反感を覚えたなら、諸君は立派な差別主義者だ。そしておそらく、その場合において諸君の感覚は正常だと思う。

何度もこのエントリで書いている通り、僕たちは他人に対して選別と差別を繰り返して生きている。それはあまりに人間的なものなので、人間である限り、その差別観から逃れることはできない。つまり優生思想に反対するものは、偽善者の嘘つきどもである

実際、僕たちが生きる社会では、差別はうまく機能している。そのような差別があるからこそ、僕たちは快適な社会を営むことができるのだ。そういうわけで、選別すること自体や、その選別が能力や容貌、遺伝子によって行われることは全く問題ない。その意味で優生思想は全く悪くないのだ。

重要なのは、お互いが選別、つまり差別を日常的に行ったり行われたりしている事実を見逃さないこと。そしてそれらの選別や差別を許容している点で、僕たちの全ては差別主義者であることを認めることだ。

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最後に、弱者男性としての提言を1つだけ。僕たちはこれからも、自分の出生を憎悪し、出生することをそのものを、自分の遺伝子の形質をもって否定したくなることがあるだろう。そして同じような遺伝子を持つ弱者男性仲間である諸君にも、その遺伝子を継承させることを否定するだろう。

もし僕たちがこのように、これからも他者の出生に反対するなら、
(1)自分が差別主義者であることに自覚的であること
(2)反出生原理主義との混同を避けるため表現に気をつけること
(3)選別や優生思想的差別は社会や世界の全ての場所で行われており、優生思想に反対する者は自らの差別主義に無自覚な愚か者であること
の3点をよく認識したうえで、これからも心から「生まれてこなければよかった」と言い続けるようにしよう。

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