非モテ弱者男性のブログ

旧「非モテ系のままで生きていくブログ」から、弱者男性ブログに進化しました。レベル36の限界中年/異常独身/非モテのブログ。もう人生折り返しました。残りの人生を頑張らないで生きていこうと思います。なおこのブログには、モテる方法は1つも書いていません。

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反出生主義ではなく優生思想主義で生きようぜ

僕は先日、発達障害や低身長の女は子供を作ってはいけないという、差別主義丸出しのエントリを世に放った。あえて露悪的な表現を採用したこともあり、それなりに怒られることを覚悟していたが、思いの外受容されているように思えた。反論は特に確認できず、「筆者の母親に読んでほしい」という罵倒めいた引用ツイートが1件だけだった。

junny-policies.hatenablog.com

そのようにいくつか寄せられた感想の中で、僕は注目するべき指摘を発見した。それは反出生主義との違いである。その指摘はつまりこのようなものだ。

僕は差別主義を隠すことなく、生まれてくるべきではない命と生まれても問題のない命があることを説明した。そんな僕は、「生まれてこなければよかった」という反出生主義的な表現を多用しており、反出生主義者を自称してすらいたのだが、果たしてそれは、反出生主義の大家であるデイビッド・ベネターの提唱する反出生主義と異なるのではないか?

junny-policies.hatenablog.com

この指摘は弱者男性としての思考を理解するために重要なものなので、しっかりとこのエントリで説明したいと思う。

ベネター反出生主義とは何なのか

僕はこのエントリにおいて、ベネターの言う反出生主義を、ベネター反出生主義、あるいは反出生原理主義と名付けよう。おそらく僕たち弱者男性がこれまで語ってきた「生まれてこなければよかった」という概念とは大きく異なることが理解できるだろう。

ベネター反出生主義の極めて荒い理解を示すと、苦と快の存在を根拠にして、それが「良い」か「悪い」かで判断する。つまり幸福二元論的なものである。また人間が存在する限り、苦と快をそれぞれに経験するのであり、その命題を以下の四象限に分類する。

苦が存在することは悪い。

苦が存在しないことは良い。

快が存在することは良い。

快が存在しないのは、それを剥奪される人がいないなら悪くない。

人間が存在し、苦が存在するのは悪い。これは現実がそうなっている。

人間が存在し、苦が存在しないことは良い。しかしこれは現実的ではない。

人間が存在し、快が存在することは良い。一般的な幸福とはつまりこれだ。

人間が存在し、快が存在しないことは、それを剥奪される人がいないなら悪くない。

人間は存在する限り、苦と快をそれぞれに経験する。それは良いと悪いの組み合わせである。

一方で、人間が存在しなければ、苦は存在しないので良いことだ。人間が存在しない前提であれば、快を剥奪される人もいないため、悪くない。それは良いと悪くないの組み合わせである。つまりそれは良いと悪いの組み合わせよりも好ましいものである。

良いと悪いの組み合わせと、良いと悪くないの組み合わせ。より好ましいのは後者であり、後者は人間が存在しないことで実現できる理想的な状態である。つまり人間は存在しないほうが、好ましい状態になることができる。故に人間は存在するべきではない。

人間は存在するべきではない。つまり生まれてくるべきではない。これがベネター反出生主義である。そういうわけで、ベネター反出生主義は、全ての人間は出生するべきではないと唱える。

この「反出生原理主義」と、弱者男性視点の反出生主義は、次の点で明確に異なる。出生するべきでないのは全ての人間か(ベネター)、または弱者男性因子を持つ人間に限定されるか(弱者男性的反出生主義)である。

優生思想的反出生主義

僕たちは、自分の遺伝子を持った人間が生まれてくるべきではなかったという様々な理由を、自分自身の形質に見出す。背が低い。コミュ障である。発達障害である。容貌が優れていない。それら全ては「生まれてきたくなかった」と思うには十分だし、よって同様の遺伝子の持ち主が同じように苦しまないために、「生まれてくるべきではない」と結論することもあるだろう。

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このように、ある特定の属性を持つ人間集合に対して出生する/させることを許容しない点で、極めて差別主義的でもある。つまり僕のような弱者男性的反出生主義を思想する全ての弱者男性は、醜悪な差別主義者である。そしてそれらを表現するのに適した言葉がある。それを優生思想という。

僕は明日から優生思想主義者になる

僕たちが訴えているのはつまりこういうことだ。僕たちのような低質な遺伝子の持ち主はこれ以上生まれてくるべきではない。それらが生まれたところで幸福な人生になどなり得ないからだ。しかし勝ち組男女は子供を生むべきである。その子供は優秀な容貌と高い能力を遺伝子によって定義されている存在であり、幸福な人生を歩める期待値が高いからだ。

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令和時代の厳しい時代である。このような弱者男性の遺伝子よりも、より強くより高い能力を持つ遺伝子の持ち主のほうが適合するだろう。僕たちは弱者男性は淘汰されるべきである。しかし強者勝ち組男女の遺伝子は継承されるべきである。それらは最終的に社会の幸福総量の増大に貢献するだろうし、人類そのものの存在をより高いレベルに引き上げるだろう。

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僕たちはこれからも心から「生まれてこなければよかった」と言い続けるようにしよう。そして反出生主義を名乗ることをやめて、優生思想を信奉する差別主義者であることを表明しよう。そしてそのことを誇りに思おう。僕たちがこうして自らの遺伝子を継承しない限り、将来的に不幸になる子供をこの世に送り出すことがないし、そのことで僕たち弱者男性は、社会の幸福総量の増大に貢献しているのだから。

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