日本は「侍の国」ではなく、「農民の国」だ
多分1年ほど前の話であるが、友人に誘われて、下村博文文部科学大臣(当時)の講演会を聞きにいったことがあった。誘ってくれた友人は個人事業主であり、法人会に所属していて、その法人会主催の講演会で下村氏が登壇するという。あまり政治家の講演会など行く機会もないので、行ってみることにした。
講演会の出席者は、法人会に所属する個人事業主、中小企業経営者とその幹部、そして彼らの友人知人であった。講演テーマは、「少子化時代における企業の人材育成」(だったと思う。)
そこで語られたのは、西郷隆盛曰く、「国家の基盤は、国民の持っている士魂である」。日本は武士の国である。彼らの信念があれば、日本はきっと良くなる。かつて高度経済成長期に日本が発展したのは、国民に士魂があったからだ、ということであった。士魂を宿す国民ならば、きっと未来を切り開く原動力となりうる、というのであった。出席者は皆うんうんと頷いていたが、僕は今、全力でこれを否定したいと思う。日本は確かに、武士階級が治める国家体制として武士の国であったと定義されて差し支えないが、一方でその国民が普遍的に武士の魂こと「士魂」を持っていたとは考えられないからだ。
そもそも「武士」の絶対数はとても少ない
そもそも武士が歴史上の社会階級の1つとして登場したのは平安時代まで遡るが、それは当時の公家や貴族の荘園の警備を武士が担っており、その発言力が増した結果であり、その後鎌倉、室町、安土桃山、江戸時代に至る700年もの間、幕府と呼ばれる武士の政権が日本を統治した。その中で武士は細かく階級が分かれ、将軍、大名、旗本、足軽等、明確に身分が分かれていた。その中で最も多い足軽は、普段は農民をやっていて、戦争になると徴用されて合戦に赴くのが通常であった。江戸時代になって大きな内戦が発生しない間は、多くの国民が百姓と町人として生活しており、それらは武士と呼べるものではなかったのだ。人口比率からみて、武士とは非常に限られた身分を指していたのである。
そうなると、一般の国民が士魂を宿すためには、武士としての教育が普遍的に行われている必要があると思われるが、寺子屋のように庶民に読み書き算術を教える教育機関があり、武士による武家の子供向けの藩校などの学校があったとしても、一般の庶民向けに、武士教育を施すような機関は存在していないのだ。
明治時代になって、それまで武士と呼ばれていた階級は、士族と呼ばれるようになり、西洋化・近代化を急速に推し進める明治政府によってその特権的身分を否定されるようになった。つまるところ、武士という階層は、時代の流れによって一度否定されているのである。明治政府は近代的政府であったが、民主的政府ではなかったため、武士階級の否定は、民主的にそれが行われたわけではない。西南戦争などの士族反乱が複数発生したのは、武士階級の不満が爆発したためである。ここで認識しなければならないのは、明治時代において武士は過去の存在として軽視され、武士階級は事実上社会的に抹殺されたという点である。
現代の「侍」像
そうやって社会的に抹殺されてきた武士が日の目を見るのは、現代になってからである。そしてそれは、おそらく外国人が日本文化の特徴的なものの1つとして認識した「Samurai(侍)」というくくりでひとまとめにされている。前提として、日本史上では、侍と武士は明確に区分されていて、侍は主君に仕えている者全般を指し、武士は武芸を修めて軍事戦闘に携わる者を指す。現代においては、侍と武士はほぼ同一視されている。よってこの項では、武士=侍という取扱をする。
現代においての侍は、意思が強く、(スポーツ的な意味での)戦いの能力に長けており、自己犠牲的で、忠義に篤く、自らの研鑽を欠かさない、かっこよくてクールな人々のことを指すであろう。それは、かつての零戦パイロット坂井三郎が自伝のタイトルとした「大空のサムライ」という言葉に始まり、ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)のの野球日本代表の愛称は「侍ジャパン」とされているし、サッカー日本代表についても「サムライブルー」と名付けられていることからも明らかではないか。
日本人が侍を好きな理由というのは、主君への忠義が美しいからであり、主君に殉じた侍に心を打たれたか、あるいはマゲを結うとか、大小2本の刀を所持して闊歩するとか、質素倹約とか、いざという時は民衆を守るヒーローであるとか、そういうイメージを自ら受け入れているからである。侍のプラス面の一側面をそれの象徴として刷り込み、それを自身に同化し内面で昇華させることで、あたかも自分も武士の末裔であり、自分にも武士の魂が宿っているかのように錯覚するのである。
本来の武士はドライな関係を好む
鎌倉時代の武士たちが、鎌倉幕府と「御恩と奉公」の関係を構築していたことは広く知られている。
※彼らは俸禄をもらって主君に仕える者なので、侍である。同時に戦闘にも参加していたので、武士でもある。
現代語で最も意味が近い表現は「ギブ・アンド・テイク」だろう。主君と武士との間には、その身分と俸禄、あるいは戦争に参加した際の褒美を将軍に保障してもらう代わりに、使用者側に何かしらの危機が迫ったら、使用者に代わって戦場に赴く、という関係であった。逆に言えば、戦争に行っても褒美がなければ、身分の保障や俸禄がなければ、その主君をいつでも見限ってもよいという関係でもあった。武士における忠義とは、あくまで主君が自分の保障をしてくれる前提があってはじめて成り立つものであったのだ。これはどうだろう、まるで外資系企業のようなドライさではないか。自分に見合った給料を渡さない企業を見限って転職する社員のようではないか。
根底にあるのは農民的な奴隷根性
一方で、日本の総人口の大多数を占め、現代に生きる世間一般の連中や、僕のような社会的底辺の喪男のルーツというのは、それを小作人と呼ばれる農民(農奴)にまで遡ることができる。彼らは地主の重い年貢に耐え、そこから逃げ出すこともできないほどの弱者であり、その抑圧のはけ口として穢多非人を迫害していた、精神的に卑しい連中である。武芸をこなした武士と異なり、自分の身を自分で守れない彼らは、あくまで地主・領主(お上)の保護の下で生きるしかなかった。お上に逆らうことは、お上の不興を買い、結果としてお上の保護を失うことであり、それは自らの社会的な、そして物理的な死を意味した。自らの生存をお上に委ねるしかない彼らの解決策としては、徹底的にお上に阿(おもね)り、ゴマをすり、お上にYESと答え続け、それを行動で示すことであった。
これはどうだろう、まるで企業に一定数存在する、上司へのゴマすりが得意なイエスマンと呼ばれるサラリーマンのようではないか。彼らは上司、その上司の不興を買うことを徹底的に恐れ、NOと言うことに自分の存在の危機を感じ、それを全力で迫害する浅ましい連中である。
僕は、一般的には企業戦士と呼ばれるであろう彼らの中にも、士魂を見出すことはできない。むしろ顕になるのは、浅ましい奴隷根性である。
高度経済成長も「士魂」によるものではない
高度経済成長も、士魂が何かしらの作用をはたらきかけたわけではない。高度経済成長というのは、一般的には1955年から1973年の経済成長時代のことを指すが、これの要因となったのは、大幅な円安、戦後復興と社会インフラの再構築、安い労働力の供給、人口の増加、消費意欲の拡大(自動車、クーラー、テレビの爆発的需要)などの様々な外部的要因が都合よく重なったためである。西側の一員として、貿易相手国としてのアメリカの存在も大きかった。1ドル360円という大幅な円安は、日本の製造業を活発にさせ、日本は世界の工場のような存在となった。その時代の人々は、日本を再び復興しようとしたのではなく、より高い生活水準を求めて消費に走ったのだ。あくまで自分(と家族)の生活のために動いたのであり、国家とか、忠義とか、そんなものを考えて動いたわけではない。むしろ士魂など、経済成長とは相反する存在である。なぜなら、武士というのは質素倹約を信条とする存在なのであるから、活発な消費など起こり得ないのである。高度経済成長は、当時の人々の消費行動の結果でしかないのであり、士魂が消費行動に何かしら帰するものがあったと考えるのは、僕は誤りであると思う。
武士と侍を安売りするな
要するに、かつては特権階級であり、時代の流れとともに社会的に抹殺されてきた侍とか武士とかの連中を、そのかっこいいイメージだけ切り取って、現代において何かと戦う人々の中にその存在を見出し、あるいは彼らをそれそのものだとみなすことが、どれだけ浅ましく、配慮に欠ける行為か、ということを僕は指摘したいのである。
士魂を持っていた人はあっただろうが、それはごく一部にすぎない。それを一般化し、あたかも日本人は士魂を宿していて然るべきであり、それが未来を切り開くなどという言説は明らかに誤りである。