【潜水艦おやしお】海上自衛隊呉史料館に行って潜水艦に乗ろうぜ【鉄のくじら】
広島駅から電車で50分ほど。かつては巨大な造船所と軍港をもち、旧日本海軍の軍事都市として栄えた呉市に到着する。
今では瀬戸内海沿いののどかな街である呉市。しかし現在でも海上自衛隊の基地が整備されているなど、日本防衛という重要な役割を担っている。
歩道デッキからの海上自衛隊呉基地方面の眺望。海上自衛隊の小型艦艇と、造船所のクレーンが立ち並ぶ。
僕がこの呉を訪れた目的は2つ。1つは「鉄のくじら」こと、潜水艦「おやしお」をそのまま博物館化したような海上自衛隊呉史料館、もう1つは、旧日本海軍最大最強の戦艦「大和」をテーマにした大和ミュージアムである。
海上自衛隊呉史料館(鉄のくじら)
海上自衛隊呉史料館は呉駅から歩道デッキを歩いてすぐのところにある。呉駅からは線路をまたぎ、駅ビルを通過して行くのだが、その右手に巨大な潜水艦が突如現れる。それはかつて海上自衛隊で実際に運用されていた、「鉄のくじら」こと潜水艦「おやしお」であり、その裏手には史料館の建物が並ぶ。
ちなみに入場は無料である。
館内では、海上自衛隊発足の流れ、担当する任務や実績などが時系列で紹介されている。特にその展示の多くを割いているのは、日本近海の敷設機雷除去任務である。
機雷は、海中に敷設され、艦船が通りかかるとその水中で爆発し、喫水線下に損傷を与えることで沈没させる兵器である。
浮遊機雷の1つ。角のような部分が信管になっており、船体に触れると爆発する。
日本近海に大量の機雷が敷設されたのは1945年、太平洋戦争の末期である。アメリカ軍が「飢餓作戦」を発動し、日本の主要な貿易港や軍港、海峡、海路に大量の機雷を投下したのである。沿岸に大阪、神戸、呉といった巨大な港に加え、交通の要衝である関門海峡を擁する瀬戸内海にも多くの機雷が投下された。これにより、軍民問わず多くの艦船が被害を受け、日本の物流網は破壊された。終戦後もその脅威は終わることがなく、戦後復興を目指す日本と、朝鮮戦争への協力の必要に駆られたアメリカ軍は共同して、機雷除去任務にあたったのである。
機雷を爆破処理するための20mm機関砲。
潜水艦の脅威となる魚雷。
また、潜水艦の乗組員がどのような生活をしているかも紹介されている。狭い艦内での共同生活とか本当に大変なんだろうなぁ。。
さて、冒頭の「鉄のくじら」こと潜水艦「おやしお」の内部に入ることもできる。
乗組員の部屋は共用3段ベッドになっていて、個人用のロッカーが設定されている。
僕なんかはコミュ障だから、こんな閉鎖的な空間で何ヶ月も共同生活をしていたら間違いなく心を病む自信がある。潜水艦の乗組員というのは心身ともに優れた社会的な人物でないといけないのだろう。超人みたいだ。
艦長室。専用のベッドとデスク、艦内電話などが設置される。
何やらよくわからない計器やパイプが並ぶのはなかなか萌える。
無料で潜水艦の内部に入れるというありがたい経験ができるので、時間があったらぜひ行ってみてほしい。