非モテ弱者男性のブログ

旧「非モテ系のままで生きていくブログ」から、弱者男性ブログに進化しました。レベル36の限界中年/異常独身/非モテのブログ。もう人生折り返しました。残りの人生を頑張らないで生きていこうと思います。なおこのブログには、モテる方法は1つも書いていません。

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【人生折返し】「俺の人生真ん中あたり」とかいう海援隊の隠れた名曲

海援隊の「俺の人生真ん中あたり」という歌を20歳の頃に聞いて以来、この歌は僕が最も好きな歌の1つになっている。

20歳の頃、僕は今まさに僕の人生の真ん中あたりだと思っていた。40歳くらいには死ぬものだと本気で思っていたのだ。それは30手前の頃に最も強くなり、ようやく僕は十分生きたので死ぬにふさわしい人間になれると思ったのである。人生の終わりが見えることが、僕にとっては希望でしかなかった。

しかして今その40歳が間近に迫ってくると、どうも40歳以降でも生きているような気がする。おかしなものだ。どうも僕が勝手に自分の死時を後ろ倒しにしたようである。

実際のところ、健康状態には特段の問題はなく、何なら同年代の連中よりは未だに運動能力に優れているので、むしろ今の方が活力に溢れている。それはおそらく稼ぐ金が10年前より増えたからだ。結局人生の充実度は金に影響されるらしい。まぁ実際、金の力は偉大で、金があればだいたいのことはできてしまう。金こそ力なのだ。

この分だと、おそらく40歳で死ぬことはなさそうだ。まだこの人生には、望む望まないに関わらず先があるらしい。しかしその先に明るい未来は待っているのだろうか?

35歳になった今、この曲を聞いてみるとどうだろう。この曲の作詞は武田鉄矢氏だが、武田氏が31歳の時に書かれた詞であることを考えると、現実感が増してくる。おそらく今、まさに僕の人生は真ん中あたりなのだ。

そうか。僕はもう人生の半分を生きたのか。よくやったな、と思う。20歳の頃とは違って、本当にこの人生も半分が過ぎた。人生は残り半分もなく、惰性で続く後半戦が残るのみである。終わりの見えない人生を歩むのは苦しいけれど、終わりのある人生なればこそ前向きになれるのかもしれない。

どんなに苦しくても終わりはあるのだ。いずれ死ぬという救いがかすかに見えてきた今だからこそ、命を粗末に扱うことができる。そうだ、命は粗末に扱うからこそ輝くのであり、大事にしていたり、それを失う恐怖が先にきてしまっては、人生は楽しくもなれないのかもしれない。

僕の人生は、これから人生のイベントは、家と車を買い換えること以外は何もない。結婚もしないしできないし、親もとっくに死んだ。親戚は連絡先を誰一人知らない。僕は5日間働き、2日間の休日を無為に過ごし、時たま遠くへ出かけたり暇つぶしに遊んだりしていくことを繰り返す。

事故や災害である日突然死んでしまうかもしれないが、まぁそんなことがなかったとしても、僕の人生は穏やかに安らかに、そして静かに終わっていく予感を、20歳の時よりさらにハッキリ感じている。

「俺の人生真ん中あたり」は、作詞は武田鉄矢氏、作曲は中牟田俊男氏のゆったりとしたフォークソングで、僕が聴いているのは、アルバム「誰もいないからそこを歩く」に収録されている版である。本曲では中牟田氏がボーカルを取っており、中牟田氏の渋くてしっとりとした歌声が非常に曲調と合っている。武田氏のソロアルバムも収録されているが、そちらを入手したのはつい最近である。

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ちなみにこちらは中牟田氏のソロ版である。

男というやつの悲しさは

男の人生というやつは、どうも笑顔ばかりでは生きることはできないようだ。いやそればかりか、どうも苦しさとか生きづらさとか、そういうものを感じている瞬間のほうが多いようにすら思う。実際のところ、笑顔ばかりで過ごせた時期など、僕の人生であっただろうか。小学校の時から両親の喧嘩に怯え、さらに母親からの虐待に耐え、中学校では学業もスポーツも大したことなく、その頃に父親を亡くし、高校受験も大学受験も失敗している。

高校から大学にかけて好きな女の子は何人かいたけど、好きだということすら憚られた。ようやく入社した会社はブラックで、さらに母親も僕が入社してすぐに亡くなった。それからは安月給に耐え、転職を重ねて、何とかまともな待遇の仕事に滑り込み、人生に一息つけたのは本当につい最近になってからである。本当にここまであっという間で、苦しみに耐えてきた人生だった。

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僕はこの歌詞のように酒は飲めないけれど、時たま心ばかりが旅をする。それまで苦しい人生だった。ずいぶん遠くまで歩いてきたものだ。

男というやつは繰り返しか。男はこうして苦しみながら人生を歩むのだろう。僕に次世代はいないけれど、それはきっと、更に後の男どもが同じように苦しみながら人生を歩むに違いない。

恋というやつの悲しさは

彼女は確かにとても美しかった。最後に会ったのも何年も前だ。すっかり忘れていたはずなのに、たまに夢に出てきては、僕にその姿を思い出させる。19の頃のままの姿で僕の前に姿を現すのだ。彼女は見知らぬ男と幸せに暮らしているはずだ。そのことを知ったときは、ある程度想定していたからショックは少なかった。もしかしたら子供もいるのかもしれない。でもそれはもう詮無いことで、今更何がどうなるわけでもない。

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人生は続く。どうせ僕は死んでしまうのだ。後は無為に過ごし、僕が死んだ後は、僕のいない世界が僕の知らないところで勝手に続くだけである。そこに僕は何も残さない。僕の生きた足跡は、どこにも残らない。

そして、それでいいのだ。いよいよ人生は折返し。もう少しだけこの人生というクソゲーに付き合ってやるとしよう。

 

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