非モテ系のままで生きていくブログ

管理人は、寺社仏閣と鉄道と飛行機と猫を愛する非モテ系。モテないままで、流されることなく、流れるように、頑張らないで生きていく。旅行したり仕事とか人生とか考察したり。

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【新型コロナウイルス】自粛要請とかいう全体主義的な同調圧力

サーフィンは自粛だけどゴルフや登山は自粛対象外

新型コロナウイルス<COVID-19>の感染拡大への対応として、日本政府は2020年4月7日の緊急事態宣言を発出、不要不急の外出を控え、またいわゆる三密(密閉、密接、密集)の回避が要請された。これにより多くの飲食店や遊興サービス業、ライブハウスやスポーツイベントが中止に追い込まれ、再開の目処は立っていない。

とにかく三密を回避するというのは疫病学的には正しいと思われるので、それは僕も実践しようと思う。幸いなことに会社は全面的にテレワークになったし、外出は地元のスーパーやホームセンターへの買い出しくらいにしか行っていないし、それらの移動はすべて自家用車である。

しかしこの「空気」はどうしたことだろう。これまでは、居酒屋やサービス業店舗を利用する人々が、三密を満たす場にいてウィルスを撒き散らす病原体保有者などとして非難されてきた。しかし今では、三密に該当しないであろうサーフィンや登山やキャンプ、そしてゴルフ(これはおそらく石田純一のせいだ)などが目の敵にされている。実は僕は一端のアマチュアゴルファーなのだが、こうしたアウトドア的な趣味はここ数週間で一気に風向きが変わった。

これらの趣味が非難されるのは、三密に該当しているからではない。自粛をしていないからなのだ。自粛をしないと非難される。おかしくないか?

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「自粛」を「要請」するという卑怯な手口

自粛とは、自ら・・粛する(おとなしくしておく)こと。要請はお願いすることである。「自粛要請」というのは、自分からおとなしくしておくことをお願いするという不思議な日本語である。

ところで、今アウトドア趣味のために外出する人たちに対して、SNSの書き込みは痛烈である。何の権限を持っているのか知らないが、コロナにかかっても病院に行くことを禁じたり(医療は基本的人権のごとく、誰にでも受けられる権利がある)、罰金制度を設けようとしたり(そんな法律は存在しない)、あるいは国道を封鎖してしまえと要求することもある(夜間外出禁止令や戒厳令のようなものを要求している?それは自由権の侵害ではないか)。

しかし一方で、政府が要請したのは自粛であり、そこに罰則もなにもないわけである。あるいは営業を自粛したとて、その補償を与えることを確約したわけでもない。

ここに、政府の卑怯さがある。自粛は要請である。だから権限も罰則も補償も何もない。けれどもウイルスの封じ込めには、移動や営業の制限が必要である。政府がその権限をもってそれらを制限するならば、制限された側に対してその対価として補償が必要となる。おそらくその補償も、財源含めて準備が整っていない。よって政府からの要請というかたちで、コロナウイルスの危険性を十分にインプットした上で、大衆の正義感という感情論に訴えた。これは今時点で打てる最善手としては妥当である。

すなわち、ウイルス封じ込めに協力するという正しい・・・役割を担わせ、お互いが自粛をしているかいないかを監視し、社会的合意がなされているような雰囲気を醸成すること。政府は要請したけれども指示はしていない、政府はそういう形式をとることによって、自粛を要請したことによる弊害に対しての責任を幾分かは回避できる。なぜならそれは国民が勝手にやったことだからだ。

自粛と同調圧力:70年前にもそんな連中がいた

政府が言っているから何でもそれを正義として守る。思い返すと、僕たちの70年前の先祖は、戦争に賛成するのが当たり前で、反対を唱えるのは非国民だとそしったというではないか。これは僕たちの失敗だったはずだ。

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そして今自粛自警団どもがこうして自主的に自粛を取り締まっているのを見ると、さもありなんというわけである。この攻撃性は極めて危険である。

こうした「空気」は、ことあるごとに日本を支配してきた。オイルショック時のトイレットペーパー争奪戦だったり、東日本大震災以降の自粛ムードだったり、今回だって紙製品はデマに踊らされて一時期品薄だった。空気に流されるのだ。この連中は何も反省していない。まじで何も考えていない。

周りがそうだから、という同調圧力は、いずれ「不謹慎狩り」のような私刑をもたらす。その先にあるのは全体主義な、自由民主主義を標榜する僕たちには忌むべき、あのファシズムの再来である。

彼らは戦後何を言ったか?「戦争に負けたのは貴様ら戦争反対の非国民がいたせいだ」と宣ったのだ。だからおそらく、自粛要請が延長されたり、あるいは感染拡大の抑制見込みが立たないとこう言うはずだ。「感染拡大が収まらないのはお前らが自粛しないせいだ」と。

長期間の自粛の先に、殺し合いの社会が訪れる

こうして自粛を推進するのは、医療体制が逼迫しているという合理的な理由がある。医療体制の崩壊を防ぐために、自粛によって人の移動と経済を止めた上で、ウイルスに罹患する人の絶対数を、長期戦覚悟で物理的に減らそうというわけである。

さて、僕たちはいったいいつまで自粛するつもりなのだ?当面は5月6日までというが、それより伸びることが(4月28日の時点では)確実視されている。この自粛に終わりはあるのか?

実際、こうして正義感に溢れて「自粛警察」を自主的に行う連中は、この自粛によって、いつかウイルスの封じ込めに成功するものと信じている。なるほどウイルスの封じ込めには成功するかもしれない。しかし、彼らは自粛によってもたらされる経済的な弊害を認識していない。

このまま自粛が続けばどうなるか。これだけ経済が回っていないのだから、当たり前のように大不況が訪れる。経済苦による自殺も増えるだろう。僕が心配しているのは、それによる犯罪率の上昇、あるいは社会不安だ。

おそらく今後、食うに困った連中が多く発生する。それは自粛によって、経済的に政府や社会から追放された層である。そんな職業に就いていたのが悪いと一笑に付せるだろうか?

彼らは生きるにあたり、当然ながら勝手に死ぬような愚かな真似はしない。必ず自分たちを破滅させた社会そのものに復讐をなしてから死ぬだろう。彼らはそうした社会に対しての闘争を行うだけの覚悟と殺意と戦意を持っているが、自粛警察どもはそうではない。社会から追放された彼らが自分たちにそんな危害を加えるわけがないと高をくくっているからこそ、いつまでも自粛をする決意でいられるのである。

そうだ、長期間の自粛の先に待っているのは、そうした殺し合いの世界なのだ。それはもはや内戦である。おそらくコロナウイルスで死ぬ人間の数よりも、そうした経済苦や社会不安によって死ぬ人間のほうが、圧倒的に多くなるはずだ。

「賢い」自粛

僕たちが自粛を続けるなら、そういう暗黒の未来を想定しなければならない。こうして社会から追放された者どもからの復讐が始まってからでは遅い。だから僕たちは「賢く」自粛しなければならない。つまり、三密を回避しつつ、可能な限りレジャー的な消費を維持するか増やそうというわけである

しかし、僕は旅行が趣味だけれど、移動手段たる飛行機、新幹線、高速バスなどのすべての交通機関は三密を満たしてしまうし、観光名所もクローズしているところがほとんどである。観光業は壊滅するし、僕は観光関連に消費することはできないだろう。残念なことだ。

なら、僕はゴルフが趣味だから、ゴルフ場を例に取ろう。

ゴルフ場が営業をやめれば、当然そこで働いていた従業員は食っていけなくなる。しかも彼らはともすれば雇用を失う。このタイミングで雇用を失うのは、これだけ経済が冷え込む中、社会的には死を意味する。転職先など容易に見つかるはずもない。やむにやまれぬこともあるだろうが、今は経営側としてはむしろ雇用維持のためとして営業している事じたいを評価されるべきだろう。

今のゴルフ場は、旧来の営業スタイルを変更し、スループレー(クラブハウス内での休憩や昼食を挟まない)にしたり、カートを1人1台にしたり、当然に浴室やロッカーなどは閉鎖している。こうしてウイルスの感染リスクを可能な限り低減させつつ、営業を継続できるように努力をしているのがゴルフ場である。これは生き残りを懸けた闘争である。僕たちゴルファーは、ゴルフしたいし、そういうゴルフ場が営業しているなら、自身も1人1台の自家用車で現地集合現地解散にしたり、コンビニに寄らなかったりすることで、万全の感染リスク低減策をもってゴルフに赴くわけである。

自粛警察どもは、これですら営業を自粛しろというのだ。偽善者どもめ、ゴルフ場に限らずサービス業全体を殺すつもりか。確かに営業自粛をすることによってこの偽善者どもが困ることはないし、何なら僕とて別のゴルフ場に行けばいいのだから、困ることもない。しかして先程の話につながる。そうして営業自粛→倒産→失業者増大→社会不安→失業者からの復讐という仕返しを覚悟した上で、営業自粛を要求しているのか?

連中は目的を履き違えている。自粛自体が目的ではない。感染リスクを低減しつつ、日常生活かその下位互換を維持するのが目的なのだ。そもそも自体がそこまで深刻であるなら、自粛などではなく、外出禁止や戒厳となるはずだ(日本に準拠法はないけど)。しかしそういう「命令」は出されていないのだ。

そうだ、ゴルフや観光に限らず、すべての趣味は不要不急である。僕がゴルフに行くのは、ゴルフに行きたいからである。そんな不要不急の外出を止めたければ、外出禁止令でも戒厳令でも発令するがいい。

必要なのは多方面の自粛ではなく、収入保証なのだ。自粛警察どもはなぜ企業の営業自粛ばかりを要求し、その自粛ができる程度の企業への補償を要求しないのか?

感染症には責任を負うが、経済不況の責任は取らない専門家会議

ただ1つ、僕が政府に要求するならば、政府は対応方針について今一度メッセージを出すことだ。すなわち、高齢者の寿命を縮めてでも経済を回し、今を生きている労働者層の集団免疫を獲得するか、あるいは将来に渡っての経済的困窮を覚悟した上で、医療崩壊阻止と高齢者の安全を目指すか。前者は高齢者が、後者は若年層から壮年層にかけての幅広い層がそれぞれ死ぬ案である。どちらも救うという選択肢はない。これはどちらかを優先するという、極めて重大な政治的な判断である。

日本感染症学会を始めとする政府側の諮問機関は、当然ながら命を救うことを使命としている。そしてそれによる経済的な副作用などは、彼らの責任範囲ではない。政府はしかし、彼らを専門家として諸々の意見を聞き対策を推進していった。だからこうして経済対策の側が遅れているのである。

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なぜこのような政治的判断の必要性に言及したか、それはCOVID-19の致死率が圧倒的に高いのは80歳以上の高齢者であるからだ。もし彼らが何らかの基礎疾患を持っていれば、その致死率は大きく上昇する。僕たち労働者諸君は、平均寿命的に考えて最晩年に差しかかった高齢者どもが、コロナウイルスで死なないようにするために、見返り無き苦境に立たされるわけである。これはもはや世代間闘争の様相であり、考えようによっては、果たして80や90を超えた高齢者どもの命が、実体経済に対してどれだけの重みを持つのかという話でもある。

実際のところ、COVID-19における若年層から壮年層にかけての死亡率は、基礎疾患のない限り極めて低いとは言いつつも、それに罹患しないに越したことはない。しかしながら、罹患しないで免疫をどうやってどうやって獲得するのだろう?僕のような中年層であれば、今のような元気のあるうちに罹患するだけしておいて、免疫を獲得したいという思いがないでもない。

さて、5月6日はどうなるか。それまでは元気に引きこもっていることにしよう。

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