非モテ系のままで生きていくブログ

管理人は、寺社仏閣と鉄道と飛行機と猫を愛する非モテ系。モテないままで、流されることなく、流れるように、頑張らないで生きていく。旅行したり仕事とか人生とか考察したり。

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非モテの食文化~料理に興味がないので毎日同じもの食べてる~

僕の体は、米と納豆と卵でできている

僕は毎日、米と納豆と卵を食べて生活している。野菜は基本的に摂らないが、気が向いたときに漬物を買ってご飯のお供にするくらいだ。あとはベーコン。適度な塩っぱさがやはりご飯のお供にちょうどいい。卵はもっと素晴らしい食べ物だ。TKGこと卵かけご飯にしてもいいし、または目玉焼きにしてハーブソルトでいただくのもいい。卵は、栄養価が高い上においしいという、まさに最強の食べ物である。

もちろんそればかりではない。他に僕が食べるのは、週に1回の焼き魚、ベーコンとほうれん草のソテー、あるいは気が向いたときのパスタだ。また週に4回のヨーグルトも、整腸のためには欠かせない。業務スーパーで冷凍の餃子や唐揚げを1kg袋で買ってきて少しづつ食べる、ということもある。

【本日の食事】
朝食:ヨーグルト、板チョコ15g
昼食:ご飯、納豆、目玉焼き
夕食:ご飯、納豆、おかず1品(冷凍餃子5個、唐揚げ3個、シュウマイ3個のいずれか1つ)

僕個人的には、たまに回転寿司やラーメンを食べに行ったりするので、そこそこバラエティに富んだ食生活ができていると思うし、全体的に満足度が高いと感じている。しかし周囲の連中に言わせると、僕はあまりにも健康に気を使っておらず、またもっと多くの種類の料理をバランスよく食べるべきだということらしい。このエントリでは、食に関心のない非モテの食文化について考察しよう。

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まず、なぜ僕がこのような食生活をしているかといえば、根本的に食に興味がないからだ。美味しいものが嫌いというわけではないのだが、それを調達するための手間やコストをかけたくないのだ。

だからといって、矛盾するようだが、いわゆる完全食に統一したいかどうかというと、そういうこともない。毎日カレーを食べるといずれ飽きるように、味覚は移ろうことを僕は知っているから、付け合せで餃子とか唐揚げが必要になる。

僕にとって食は、生命活動に必要なエネルギーを摂取することを目的とした一連の行動に過ぎない。その行動は毎日行う必要があるから、それにかけるコストを限りなく低減したい、というのが僕の考えである。そのコストとは様々に説明されるが、選択するコストと、調達するコストの2つに大別される。

前者の選択するコストの低減策として料理の定型化が、後者の調達するコストの対策として外食がある。どちらも単調な食生活を継続するための工夫だ。

前者の選択するコストというのは、いわゆる献立のことである。世間一般の連中は、毎日違うものを献立として考える必要性に駆られているらしい。それはそれで1つの楽しみであることは否定しないが、複数ある選択肢から1つを選ぶ、という行動には、それなりのストレスと体力を用いることになる。僕はそれが厭わしい。

かつてアップルのCEOだったスティーブ・ジョブズが、プレゼンを実施するときに毎回決まったファッション:黒いTシャツにブルージーンズ、そしてコンバースのスニーカーを着用していたのは、服装の選択コストを払いたくなかったからだ。彼にとって服装は重要ではなく、より重要な選択に彼の体力と時間は費やされるべきだった。

僕はジョブズほどビジネスの才能はないし意識も高くないが、考えていることは同じである。今日は回鍋肉、明日は野菜炒め…?いや、2日で連続で中華っぽいのは微妙だから唐揚げ?カロリーは大丈夫だろうか?ということを考えるのに、自分の時間を使いたくないのだ。

最初から食べるものが決まっていれば、そうやってスーパーで小一時間悩む必要はなくなる。行きつけのスーパーのどこに何があるか分かっているから、最短経路でそれらを買い物かごに放り込む。それを1週間分まとめて買うし、僕が食べるものは調理に時間がかからないものばかりなので、何十分もかけて「料理」をする必要はない。

僕がこれだけ食にかける時間を減らしたかったのは、仕事から帰った時、多くの場合は疲れてしまっていたからだ。空腹の状態では、気長に料理を仕込んだり作ったりする体力も残っていない。僕は食事を摂ると決めてから30分以内に食事を終了する必要があった。

それを叶えてくれたのが、納豆と卵とご飯であった。僕はかれこれ10年以上、この食生活を続けている。

料理に興味がない人の外食

もちろん僕は毎日引きこもって自炊をしているわけではない。必要に応じて、あるいは気分によって外食することもある。しかし僕が外食するのは、それが自宅では食べられない場合だけだ。例えば二郎系ラーメンは、自宅で豚骨スープやチャーシューを仕込むわけにはいかない。寿司は酢飯を作るのが面倒だし、インドカレーはそもそもスパイスがない。そういうものが食べたくなったときには、外食するに限る。

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だから僕は、定食屋に行くことは稀である。それよりもラーメン屋やファストフード、寿司やインドカレーなどの専門料理を出す店に行くことが多い。またパスタ屋にも行かない。パスタは麺を茹でて、スーパーで売っている適当なパスタソースを和えれば、そこそこ美味しいものが出来上がるからだ。それに1000円も出す価値があるとは思わない。

あるいは、友人と何か食事に行くときがある。この時は居酒屋にも行ったりする。これは食事を摂ることではなく、歓談が目的だからだ。僕は落ち着いて会話ができる店だったらどこでもいい。「肉」「魚」などと食のテーマが決まっていたりもする。もちろんそれに供される料理が不味いのはダメだが、そういうところで料理が不味いことは稀だから安心している。

もう1つ、これは僕が旅行とかで地元を離れて食事を取る場合だが、僕は個人経営の現地の名店のようなところには入らない。僕は食で失敗するのが怖いので、勝手の分かっているチェーン店で済ませてしまう。周囲の人々はそれをもったいないというが、これもまた選択するコストがかかっていることなので、僕にとっては逆にストレスである。松屋磯丸水産マクドナルドで食事を取れば、いつもと同じ味が保証されている。この安心感は重要なのだ。

以前僕がアメリカに遊びにいった時は、ホテルのコンチネンタル・ブレックファーストを除いて、毎食をマクドナルドで食べていた。3日目くらいにさすがに気持ち悪くなりかけたが、その翌日に帰国だったので何とかこらえることができた。帰国の便の機内食の白米が、とても美味しく感じられたことを僕はよく覚えている。

健康のために食を我慢しない

非モテとして僕がもう1つ食に関して心がけているのは、食べたいものを、食べたいときに、食べたいだけ食べるということだ。それは焼き肉であり、二郎系ラーメンであり、餃子定食であり、寿司でもある。僕は食について我慢したくないのだ。僕は食べたいものを食べたいし、食べたくないものを無理に・・・食べたくないのだ。

この「無理に」がポイントで、例えばお通しとか定食についてきたサラダがある。まぁ残すのもアレなので、僕はこのサラダを食べるだろう。しかし自分で金を払い、健康のためだと言いながらサラダを注文することはない。そのサラダは、僕が食べたくて注文したものではないからだ

これは、僕が健康上必要だからと考えて仕方なく注文したものだ。そういうエクスキューズがある限り、僕は本心からサラダを食べたいと思っていない。こういう場合、サラダは注文されてはならない。

健康のためにサラダを食べたほうがいいのは分かっている。だがもし将来僕が、高脂血症とか高血圧になったならば、それ以降は焼肉やラーメンは控えるように言われてしまうだろう。そしておそらく、健康に気を使っていない僕の血管は、状態がそんなに良くない。ならば僕は、あと何度ラーメンを食べられるだろう。

いずれ僕にはラーメン禁止令が出るだろう。その時僕は、今この時の一杯のラーメンを我慢したことに、後悔を抱かないだろうか?

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日付が変わるくらいの時間帯に食べる家系ラーメンも最高だ。あの時間帯にあの炭水化物と脂質の塊を摂取することは、肥満の原因にもなる。しかし一方で、得難い幸福を感じることができる。そのまま気絶するように眠るのが好きだ。だから僕は、また真夜中の家系ラーメンを食べるだろう。

未来は有限だ。残りの食事の回数も。だから僕は限界まで、自分の好きなものを好きなだけ食べ続けるだろう。それで僕の寿命が多少縮まろうとも、長生きを望んでいない僕にとっては、何の問題もない。

食べたいものを、食べたいだけ、食べたいときに食べる。これが非モテの幸福を得る方法の1つだ。僕たち非モテは、長生きしても特に意味がない。今健康体であるうちに、食べたいものを食べ続けて、それが食べられなくなった場合に後悔のないように、食生活を送るようにしよう

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