非モテ系のままで生きていくブログ

管理人は、寺社仏閣と鉄道と飛行機と猫を愛する非モテ系。モテないままで、流されることなく、流れるように、頑張らないで生きていく。旅行したり仕事とか人生とか考察したり。

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「死ね」と言えるようになった。少しだけコミュ障を克服した

「死ね」という言葉の破壊力

僕は小学生の頃、「死ねばいいのに」とか「死ね」という言葉を他人に投げつけていたように思う。まぁ小学生だったし、他人の受け取り方とかは何も考えていなかったのだろう。僕は小学校の時、当時の先生に「『死ね』と言ってはいけない」と教わった。

「死ね」という言葉は、その存在の全否定であり、その人生に対しての最大の侮辱である、みたいなことだったと記憶している。なるほどそれは最もだと思った。その時以来僕は、「死ね」と言うことも言われることも嫌いになったし、その後20年以上に渡って、その忌まわしき言葉を封印して生きてきた。

僕は中学生の時に父親を、高校生の時に祖父を、大学生のときに愛猫と祖母を、そして社会人になってすぐに母親を、更にその数年後にはもう1匹の愛猫を亡くした。だから僕にとって、死は身近にあるものだった。

1つの存在がこの世から完全に消え去り、その記憶の中でしか存在することがなく、さらにその記憶も薄れていくという圧倒的な絶望。あるいは死を迎える前後の世話や手続きの煩雑さ、そして死という事象の取り返しのつかなさ、不可逆性、もう世話をしなくていいという安堵、そしてその重みすら、数々の近親者の死を通じて理解してきたつもりだった。

これらのことから僕は、「死ね」という言葉を軽々しく他人に投げつけないという決意を新たにしていた。またいざその言葉を投げつけるときは、それこそその人間との関係の断絶を覚悟し、あるいはその人間が本当に死んでも問題ないと深く納得していなければならないことをも理解していた。

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「死ね」に「死んでほしい」という意味はない

「死ね」や「死ねばいいのに」に「死んでほしい」という意味は込められていないという衝撃の事実!このことを知ったのは、30歳を過ぎてからである。

ある日何かの拍子に「死ねwww」みたいなことを友人グループLINEでポストされたことがあった。僕はすかさず「お前はどういう了見でこのオレに死ねと言っているのか?」みたいなリプライを返して、大げんかになったことがある。

30歳を過ぎて何をやっているのかと思うのか?僕にとってこれは実はブレイクスルーだった。 僕はコミュ障だったからだと思う。当時の先生の教えは、その存在の全否定とか人生に対しての侮辱とか、そういう意味が込められているということだったが、僕は愚かにもそのことをそのまま理解した。これが誤りだった

もっとカジュアルに「死ね」という言葉を使っていいものらしい。友人曰く、別に死んでほしいとかそういう意味で言ったのではなく、完全にノリと勢いで言っただけであった。存在の全否定?人生に対しての侮辱?死の軽視?関係断絶の覚悟?そんなものとは一切なんの関係もなかったのだった。むしろ友人は、僕がここまで怒り心頭に発した様に少々の驚きすら感じているようであった。

なるほど、死は身近でないからこそ、気軽に「死ね」と言えるのだ。おそらく世間一般では、この友人の考えの方が一般的らしい。僕はこの年になってようやくこの認識の相違を理解した。

関西の人はよくノリとか勢いで「死↑ね↓」(このアクセントも不思議な感じがする)というのがカジュアルに飛び出すが、僕はそのたびにピクリとする。この「死ね」は自分に向けられたものでもなければ、あるいは特定の他者に対しての憎しみや殺意がこもったものでもないのにも関わらず、だ。

今でも「死ね」は使い慣れない

しかしちょっと使ってみると、なるほどこれは便利な言葉だ。失望や侮辱を手軽に表現できる上に、「本当に死ねとは思ってない」というエクスキューズまで準備されている。しかもそのノリや勢いというのが重要で、場面によっては「ノリが良くて面白いやつだ」という認知を周囲に与えられるというオマケまでついている。

そんな訳はない、嘘だというのか?僕はそれから何度か他人が「死ね」というシーンを見てきたが、マジトーンの「死ね」でない限り、意外と笑いが起こって盛り上がるものだ。それなら使っても許される昔のうちに、使っておけばよかったとは思う。

表現を文字通りに捉える系のコミュ障が、ここで1つ克服された。適切に「死ね」と発言できるようになった僕は、その場を支配する強力な表現を1つ手に入れたことになる。まぁもう僕は35歳を過ぎたので「死ね」を乱発するのは抵抗あるし、ともすれば「いい年して何言ってんだ」と人間性を疑われることになりかねないのだが。

そもそもやっぱり使い慣れないし。言葉にするのは抵抗があるし、正直なところ、気軽に「死ね」と言わないときの自分のほうがトガってて自分らしかったよなぁとか思わなくもない。 「死ね」という言葉は、やはりあんまりいい表現じゃないし、若いうちはノリで済むと思うけど、中年以降はマジで肉体的か精神的に殴られる覚悟のもとで使うべき言葉ではあるので、用法用量を守って適切に使うことを心がけたい。

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