EURO2020と東京オリンピックの対比
今は東京オリンピックの真っ最中だ。誰それがメダルを取っただの、あるいは期待されていた選手が予選で敗退しただの、何だかんだで世間はオリンピックの話題で賑わっている。いつもと違うのは、これらのほとんどの競技が、無観客で開催されていることだ。
直前に開催されていたEURO2020(これも1年延期されていた)において、決勝戦はイギリス・ロンドンのウェンブリースタジアムに6万人の観客を動員して開催された。ジョンソン首相はコロナ禍における生活の制限を廃止し、全てを元通りにしようという政策を推進している。イギリス人は今や公共の場においてマスクをする必要はなく、深夜までバーやパブでアルコールを嗜むことも制限されていない。
この光景が同じ世界の出来事だと思うか?
物事の真実はメディアではなく統計にあり
EURO2020との因果関係は不明だが、感染者は増えており、今イギリスでは1日に3万人以上の感染者が観測されている。それに戦慄しているようでは、真実は見えてこない。すべての真実は統計にあり、メディアが垂れ流す毎日の感染者数の中にはない。そしてそんな報道に右往左往しているような低脳どもに、僕たちは成り下がってはいけない。
さて、東京都では今日、1日に3000人を超える感染者が発生したという。それに応じて見事にパニックに陥っている有象無象の大衆どもを眺めるのは悪くない。いやむしろ、毎日のように増えていく感染者に、ある種のお祭りのような、軽い高揚感すら覚えているのだろう。お祭りというのは非日常だからだ。
非日常にはみんな気分が浮ついたものになる。かつての東日本大震災のときもそうだった。一方で、同時にこの愚劣な大衆どもに社会の「空気」が支配されるのはどうも我慢がならない。
もはや1日に万単位の感染者が出たところで、問題にしてはならない。死者数のグラフを見てみるがいい。イギリスは1日に3万人以上の感染者数を出しておきながら、死者数が1日に30人程度しか観測されていないというこのグラフすら理解できないのか?
あるいは日本ではどうだろう?感染者数が増加傾向にあるのはまぁそのとおりだが、一方で死者数はどうなのか?減少傾向にあるというこのグラフも理解できずに、ただ恐ろしい恐ろしいと頭を抱えているだけなのか?
3000人を超える感染者、という情報は正しい。しかしそれだけに着目したのでは、判断を誤る。木を見て森を見ずというやつだ。そうではなくて、感染者の定義、感染者の属性、過去からの統計推移、それらすべてを観察し、最適な結論を考察しなければならない。
毎日毎日、午後になると速報で「本日の感染者は○○人」とテロップが流れる。日経新聞電子版は速報バナーを出したりもする。おどろおどろしい効果音とともにテロップが流れるので、確かにそれらには恐怖を覚える。
あるいはそのように臆病になること自体が目的だとしたら?一般大衆どもには、自分たちが新型コロナに対して恐怖を感じている事自体を、共有するという目的がある。これを
しかしそれらの騒ぎを、かれこれ僕たちは1年半以上もやっている。いい加減僕たちは、何を恐れるべきで、何を恐れなくてもよいのか、理解と検証をするべきである。
ワクチンは発症を防ぐが感染を防がない
まずワクチンについてだ。僕の自治体には、ここ数日でようやくワクチンの接種券が配布され始めている。すでに市内の7割弱の高齢者には、ワクチンの接種が進んでいる。人口の多い市なので、僕の接種の順番は当分先であるが、まぁそれでもメドが立たないよりはよい。
このワクチンの接種をもって、僕は息苦しいマスクから解放されることだろう。しかしてこのワクチンは、僕の感染防止には役に立たない。
ワクチンごときでこのコロナウイルスが抑制できると思っているのなら、人類の思い上がりも甚だしい。見当違いもいいところだ。コロナウイルスはmRNAウイルスであり、頻繁にその遺伝子型を変異させる。武漢型とかインド株とか言われているが、今回のワクチンはその特定の型に対して効果を発揮するものであり、そうじゃない型に暴露したなら、感染力が強ければ容易に感染する。
その意味で、ワクチンを接種したところで感染を抑制できるわけではないという厚生労働省の説明は正しい。実際ワクチンの効果は発症しない、あるいは重症化しないことにあり、感染防止には一切の効力を期待できない。
なのに、世間一般はバカでゴミカスの集まりなので、どいつもこいつもワクチンを打てば感染しないものだと認識している。またはワクチンを打っても感染防止にはならないので意味がないことを根拠に、人流抑制とかロックダウンが必要とか、見当違いのことを言っている。
公的機関はきちんと情報開示をしろというのか?厚生労働省をはじめとして、意外と公的機関はきちんと情報を開示している。その情報を取りに行くという選択肢があった中で、メディア発の情報に安易に飛びついたのは世間一般の浅はかな連中のほうだ。この連中の怠惰を他者のせいにするな。この卑怯者どもが。
このあたりは、ただひたすらに恐怖を煽って視聴率を稼ぎに走ったマスコミどもが50%悪い。いろいろ感染症の専門家を出演させては、「2週間後には(感染状況が)東京はニューヨークのようになる」と恐怖を煽り、人々をテレビに釘付けにした上で、ワクチンの効能や死亡者、死亡率などの客観的な情報を一切流そうとしなかった。それでも責任は50%しかない。残りの50%は、それを信じて勝手にパニックに陥り、マスクだの自粛だので勝手に自縄に嵌っていった馬鹿な大衆どもに責任がある。
感染者数のテロップ速報なんてやめようぜ
そもそもなぜ僕たちは、毎日のように感染者数の報道を、聞きたくもないのに聞くことになるのだろう。この問題は、感染者の増加による医療逼迫問題と関連している。
そもそも今の新型コロナウイルス(いつまで新型を呼称するのか?)の病原体としての取り扱いは「二類相当」であり、二類には結核やSARSコロナウイルス、急性灰白髄炎などの、「感染力や罹患した場合の重篤性などに基づく 総合的な観点からみた危険性が高い感染症」が分類されている。
だが、果たしてその内容は、本当に「二類相当」であるか?
https://www.mhlw.go.jp/content/10906000/000615582.pdf
この区分を見て分かる通り、生活用水の使用制限や建物の立入り・封鎖、交通の制限については一類に適合する項目であり、発生・実施する措置の公表以下の各項目については、新型インフルエンザ等感染症に適合している。要するに新型コロナの指定感染症の分類は、現状の法令上、感染症に対して取り得る対応項目をほぼ全て適用させた、極めて厳しい内容となっているわけだ。
Jリーグのチームや芸能人がコロナ感染者が出るとニュースになる。僕たち会社員もそうで、社内で感染者が出ればプレスリリース出したりもする。だが今、それは必要なのか?
2020年初頭に新型コロナウイルスが登場したときには、文字通り未知のウイルスだったために、安全性を考慮して二類相当・一類以上にしたのである。しかしワクチンが出回りつつある今、この「二類相当」の分類は正しいのか?誰も検証しないのか?新型コロナウイルスは、一類のエボラ出血熱やペスト、あるいは二類の結核やSARSほどに致死性が高く、あるいは感染力が強いというのか?
「医療逼迫」の原因も、誤った感染症分類だ
今も新型コロナウイルスの感染者が増えると、医療逼迫すると言われる。医療が逼迫するのは当然のことだ。感染力、致死率ともに高い危険な一類・二類感染症の患者を扱える病院というのは、医療体制や機器、設備が整っている病院に限られる。そんな危険な病気で1日に3000人を超えるような大量の感染者が発生することなど考慮されていないし、このような重大な感染症を受け入れられるように設備を拡張することもままならないだろう。だから医療は逼迫するのだ。
実際、検査で無症状が多かったとしても、「感染者(という名の検査で陽性判定を受けた人)」ならば受け入れなければいけない。そして他の病院では、そういう設備がないから、感染症の感染者を受け入れられるわけもない。そこらへんの街病院で、エボラや結核の感染者など受け入れられる理由や根拠法がないのと同じことだ。
けれど、感染症指定を5類に変えれば、そこらへんの街病院が病床として動員できて、医療逼迫は回避できる。重篤化する可能性はエボラとかにくらべて圧倒的に低いこともわかっているのに。
で、実際のところ、そういう重大な危険性をもつ病原体の感染者が発生したなら、数人だろうと100人だろうと速報で流すだけのニュースバリューを持つ。結核の感染者が毎日500人とか1000人とか増えたら大事なので重要だ。
こうしてメディアは、エボラも新型コロナウイルスも、事実上同じ一類相当以上のウイルスとして扱う以上、速報テロップも同じように発表せざるを得ない。その結果が、あの毎日の感染者数の報告である。
けど、新型コロナウイルスの死亡率は圧倒的にそれより少ないことが分かっている。死亡者の平均年齢は80代だ。ならば35歳の僕は、何を恐れる必要があるだろう?
メディアが作り出した「恐怖のウイルス」
だいたい感染者数を毎日毎日速報で報じているからいけないのだ。だから頭の弱い大衆どもが恐怖し萎縮するし、道徳シグナリング性向の強いバカどもが勝手に自粛だのステイホームだの言い始める。それが同調圧力で増幅された結果が、オリンピック無観客である。それを1年半も繰り返した結果、完全に「恐怖のウイルス」として大衆に刷り込まれてしまった。
感染者数3000人だのデルタ株だの言ってメディアは未だに恐怖を煽っているけど、僕はこの毎日のコロナ感染者数の報道が終わる時、一瞬で人々はコロナのことを忘れて、このコロナ禍は収束すると考えている。この連中は良くも悪くもメディアに踊らされるので、メディアが言わなくなれば、そのことに全く関心を払わなくなる習性があるからだ。
緊急事態宣言よりも優先するべき政策
ゼロコロナという標語は、支持率を獲得するのにとても魅力的であり有効だ。なぜなら大衆どもは、ゼロコロナが努力によって実現できると思い上がっているからだ。けれどもこれだけの人がマスクをし、または飲食店を弾圧しているのにもかかわらず、感染者はそれに関係なく増減を繰り返している。
ここから分かるのは、感染者をゼロにすることはできないということだ。達成できない目標のために協力金支給などで財政支出を増やすことは、明らかに問題の解決にはならない。
問題を解決できないなら、問題を解消してしまえばいい。それが感染症指定の変更だ。
今すぐにでも政府は、感染症指定を二類相当から五類、あるいは新型インフルエンザ等感染症などに分類し直して、国民をメディアのパニックから救うべきだ。これをやらないのは、行政の怠慢だ。しかるに自民党の間抜けどもは、僕の住む埼玉県にまで、今また緊急事態宣言をやろうとしている。このバカどもが。緊急事態宣言以外に考えつく政策がないというのか。脳無しどもめ。感染症指定の変更は立派な政策じゃないか。
2021年8月16日追記:産経新聞が、新型コロナの感染症分類見直しに言及した。これにより、保健所の業務が著しく緩和され、また小さな病院でも新型コロナを診察することができるようになることが期待される。
感染者を減らす対策なんか考える必要もない。緊急事態宣言をやろうが居酒屋を閉鎖しようが、感染者が増えたり減ったりするのを僕たちは見てきた。感染者数と緊急事態宣言とに相関関係がないことが、まだ分からないのか?そんなリソースがあるなら早く政令を変えるべきだ。棺桶に片足突っ込んでるような年代の連中くらいしか死なない雑魚ウイルスの感染者数が増えたり減ったりしたところで、僕たち生産年齢人口には何のリスクもない。
感染力の強いデルタ株とかいうのが増えているらしい。しかし東京で確認された3000人以上の感染者のうち、デルタ株の割合はどれだけのものか?そしてまた感染者がこれだけ多く報告されているにも関わらず、1日に10人も死んでいないということは、デルタ株の死亡率は大して高くないのではないか?
しかも新型コロナウイルス感染症患者の死亡についてはこれもザルで、厳密な死因を問うていない。新型コロナウイルス感染症の陽性者が死亡した場合は、新型コロナウイルスによる死亡者として扱われるのだ。
だとすると死亡者すら、さらに少なくなるのではないか?
いよいよ僕はわからなくなってくる。みんな一体何にそんなに恐怖しているのだ?
緊急事態宣言を大衆は望んでいる
それにしてもこの自民党の政権は、大衆のことをよく理解している。コロナが怖い→何か制限をかけてほしいと考える、大衆の怠惰さを。
大衆は今縛られたがっている。大衆とて遊びにも行きたいし飲みにも行きたい。しかしそれをやっては不道徳・反社会的シグナリングを放つことになる。その自分の欲望を抑制する理由がほしい。それが緊急事態宣言であり、その効果のほどは関心外である。それがありさえすればいいのだから。緊急事態宣言によって、この自分の行動すら自分で抑制できない怠惰な連中は、安心するのだ。このために、僕たち反自粛派は縛り付けられることになる。
コロナ禍を終わらせるのは政府でもなければワクチンでもない。政令だ。感染症指定の五類とかにダウンすれば、全てがうまくいく。僕はこれを実現できる政治家を待っている。誰か。誰かいないのか。僕たちの味方となる政治家は?!