非モテ弱者男性のブログ

旧「非モテ系のままで生きていくブログ」から、弱者男性ブログに進化しました。レベル36の限界中年/異常独身/非モテのブログ。もう人生折り返しました。残りの人生を頑張らないで生きていこうと思います。なおこのブログには、モテる方法は1つも書いていません。

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弱者男性だけどカッコよく死にたい件

「かっこよく死ぬ」というのは男の憧れだ。映画「ボディガード」のように、ヒロインを銃弾からかばって倒れ、ヒロインから涙を流してもらうのは男の勲章であるようにも思う。(死んでないけど)

人は

今日も死ぬし明日も死ぬ

事件で事故で病で偶然で寿命で不注意で

裏切りで信条で愚かさで賢さで

いつだってみんな死んでいく

自分でもおかしな嗜好だと思うが、僕は偉人の死に様が好きである。僕は「世界の偉人伝」的な本を子供の頃に読んだことがあって、その中でも特段、最終盤のその死が描かれるシーンが好きだった。

例えば幕末の志士・坂本龍馬のように、大政奉還船中八策のような、明治維新の基盤づくりを成した男が、襲撃者の一太刀で頭を砕かれる。

例えば忠君の義士・楠木正成のように、寡兵ながら天皇側につき、多勢の敵軍を苦戦させつつ忠義を貫いて湊川の露と消える。

例えば稀代の革命家チェ・ゲバラのように、一国を独立させて、さらに革命と独立の戦争に身を投じて死ぬ。

例えばミスターマリノスたる松田直樹のように、魂溢れる熱いプレーで人を感動させ、ベテランになっても活躍が期待されている中で、サッカーのグラウンドで倒れる。

これらの様々な死を観察すると、やはり生きることと死ぬことは不可分にして同等であるように思う。サッカーをやっていない松田直樹が死んだならば、それはただの不幸な若年性心筋梗塞だし、楠木正成だって後醍醐天皇に忠義を尽くしていなければ、その骸を摂津の野山に晒しただけになるだろう。そこには何も物語は発生しない。

彼らは己の信ずるもののために生きた。そしてそれに殉じた。その死に様がかっこいいと思うのなら、何か己の信ずるもの、かけがえのないものを見つけ、それを守り抜くために生きなければならない。

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祖国を守るために死ぬ。

女子供を守るために死ぬ。

何かを変革する途中で死ぬ。

何でもいい。何か「これのためなら死んでも致し方ない」というものを見つけ、そして死を受容すること。そのことがただの人間の人生を、少しはかっこよくしてくれるのだろう。それは、例えば健常者だったら、自分の子供だったり家族だったりするだろう。

そして、完成するのだ。人間は生きている間は不完全だ。人間は死んで完成する。そしてその死に際に、自分が何者であったのかがようやく分かる。その完成品を、残された者たちが墓石の前で偲んでいるというわけだ。

しかし、果たして弱者男性は、そのようにかっこよく生きられるだろうか。自分の命をこれに賭してもいいと割り切れるほどかけがえのないものを、その人生のうちに見つけられるだろうか。

僕はあまりそうは思わない。僕たち弱者男性は、誰にもその人生を省みられることなく、ただ生きて死ぬのだろう。そんな中で、例えば車に轢かれそうになっている子供を助けて自分が轢かれるというのは悪くない。

何か次世代に残るものを作ったり、年齢の低いものを守りぬくこと。これこそがかっこいい死に方だろう。そして僕たちはそう思っていながら、弱者男性たるがゆえに、車に轢かれそうになっている子供を目の前にして身体が動かず、子供が車に轢かれるのを眺めるだろう。

そうやって僕たちは死に、完成する。僕たちが完成したとしても、それを墓石まで眺めに来るような人間はいないだろう。それが僕たちの人生だ。けれどもそれで、例えば必要以上に他人に迷惑をかけることはなかった。誰の記憶にも残らないことによって、誰からも憎まれたり、迷惑者だという記憶を持たれることはなかった。それこそがその完成品の価値に違いないのだ。

良き死を迎えるために善く生きる

不慮の事故は仕方ないにせよ、せめて死ぬときに「こんなはずではなかった」と思うことのないように、毎日を大事に生きるようにしよう。善く生きよう。そして、自分の欲望や適性に対して、魂と精神に誘導されるままに、誠実に生きよう。

かっこ悪い死に方とは、未練あるまま死ぬことだ。あれもやりたい、これもしたい、あそこへも行きたいなどと、病床で思いを馳せることだ。それが若い時にやろうと思えばやれたのにやらなかったことばかりなら、なおさら始末が悪い。

僕たち弱者男性は、何かを守ったり、何かを変革したり、あるいはその途中で死ぬことはできないだろう。だから僕たちには、偉人のような劇的な死は訪れないだろう。しかし、それはそれでいいのだ。大事なことは、未練の残らぬように生きること。

そして今際の際に、暖かく死を迎え入れてやること。それさえできれば、僕たちの完成品は、誰もそれを眺めに来るものはなくても、決してみすぼらしくなければ、薄汚くもないに違いないだろう。

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