【R18】非モテだから風俗嬢にめちゃくちゃ感謝してる件
風俗店という選択肢
初めての風俗は、新宿歌舞伎町のソープランドだった。
僕はここで射精に至ることができなかった。僕は面食らってしまったのだ。僕にとって手の届かない存在であった女という属性を持つ生き物が、金を払うだけで性的に僕に尽くしてくれるという世界観を受け入れるのに、少々時間が必要だった。
僕が女性の体内で射精することができたのは、3回目に行った池袋のソープランドであった。その時すでに、僕は30歳を超えていた。
その後僕はいくつかの店舗へ遊びに行き、その結果「お気に入り」を見つけた。僕は面倒くさがりだから、このお気に入りが将来辞めたなら、風俗遊びを卒業するだろう。僕のコミュ力でその他の嬢の対応ができるとは思わないし、新たな関係をこれから構築するのもやはり面倒だ。
ここは不思議な世界である。一人のワケアリ男と一人のワケアリ女がいて、それ以外はすべてが架空であり、虚構である。金と快楽以外のものは何も確実なものはない。優しさも、あえぎ声も、絶頂も、その全ては作られたものでしかない。
僕のフェチズムを刺激してもらうようにお願いすること以外は、僕は本能のままに、何も考えずに言葉を発する。普段何かを言うにしても、一言一言に「この発言は妥当だろうか」と脳内検証を重ねているコミュ障の僕にとって、まるで世界観が異なる。ただ自分が気持ちよくなるための言動しか取らないことが、これほど気分のいいものだったとは。まるで僕は何かから解放されたかのようだ。
風俗店という非モテの介護施設
非モテにだって性欲はある。それを一人で解消することは可能だが、それにしても非モテにだって、人肌に触れたいことがあるのだ。風俗はそのような非モテの駆け込み寺であり、あるいは介護施設であり、生活保護のようなセーフティネットである。
非モテは自らの魅力で人肌を手に入れることはできない。そして非モテは、風俗はその代替手段でしかないことをよく理解している。金を払った対価として、優しさと性的な介護サービスを受け取っているという実態も、事実も、完全に認識している。
たとえ金で得られた優しさであっても、それが偽物だと指弾されようとも、非モテにとってはそれが重要なのだ。偽物の優しさでも、偽りの愛でも、ないよりはマシである。
風俗にいくことは自傷行為だというのか?風俗は自分を傷つける要素があるというのか?その指摘は、風俗にネガティブな先入観をもっていることを示しているに過ぎない。風俗は底辺で汚いとでも言うつもりか?この差別主義者のレイシストめ。非モテにとって風俗は癒しなのだ。癒されにいっているこの僕が傷ついているはずがない。
「負の性欲」本能を克服した風俗嬢
負の性欲というものがある。遺伝的に劣った配偶子を受け入れることを拒否する、女性側の本能のようなものだ。一般的には「生理的に無理」という表現がなされるが、進化心理学という学問からするとこの心理反応は合理的である。
遺伝子は継承と改善を目的としており、その手段として生存と繁殖があり、それは人間のすべての活動を司っている。その繁殖の1手段が性交という位置づけであるが、本来僕たち非モテ側は劣った遺伝子、背が低かったり顔の造形が悪かったりなどで、本来受け入れられることのない遺伝子の持ち主である。にもかかわらず遺伝子は、継承と改善の目的のため、僕たち非モテにすら繁殖のための行動を強いる。それは性欲として発現するという機序である。
本質的に性交は、負の性欲によって選別され、生き残った遺伝子の持ち主だけを受け入れるものである。つまり風俗嬢の諸君というのは、そういう女性の負の性欲という本能を克服して、僕たちのような劣った配偶子の持ち主を受け入れてくれる存在である。
僕の精子など受け入れたくないだろうことはよく分かっている。僕にキスするなど本来金をもらってもやりたくないはずなのだ。しかし本能を克服した彼女たちは、それをやってのける。
これは非常に厳しいことだ。負の性欲に対して極めて禁欲的であるともいえる。その意味で彼女たちは重労働であるから、高額な報酬を得るのは合理的である。そうして本能と経済的な利益が相反したなら、精神を病んでしまうことも多々あるのだろう。実際風俗嬢のメンタルヘルスはあまり良くないと聞いたことがある。
こんな僕に優しくしてくれてありがとう
僕はここ何年か、このお気に入り嬢に行きつけの店で接客してもらっている。僕が風俗に行くのは、だいたい3~4ヶ月に1回だ。そういう意味で太客ではない。
僕はこの嬢の顔と体しか知っていることはない。この嬢が戸籍上何という名前で、どこで生まれてどこで育ったのか、今何才なのか…このような対人間のコミュニケーションにおいて必要だと思われる情報すべてを、僕は知らない。そして嬢も、他にも客を何人も抱えているわけで、僕のことは顔もまともに覚えていないはずだ。指名が入ったときに思い出すくらいが関の山だろう。
僕は(お店を通して)嬢に(僕にとっては)少なくない金を払う。この風俗嬢には、金が必要な何かしらの事情があるのかもしれないし、そうじゃないかもしれない。ホストに貢ごうが、借金の返済に当てようが、高い化粧品やアクセサリーを買おうが、ヒモを飼うための生活資金にしようが、構わない。その金をどう使おうが、僕の知ったことではない。
なぜなら僕は彼女の友人でもない、ただの取引相手でしかないからだ。そういう感じで相手方の人間に対して無責任でいられることも、風俗のメリットの1つである。
僕は彼女のことなどどうでもいいし、彼女も僕のことなどどうでもいいのだ。このように僕たちはどうでもいい者どうしであるから、お互いに優しくし合うことができる。
風俗の世話になることをやめる時
それでいいのだ。僕は僕の性欲を解消してくれる存在に、本当に感謝している。僕は彼女たち風俗嬢のおかげで、性犯罪を犯したり、あるいは女性に対して憎しみをたぎらせることなく生活できているのだ。
金が貯まりきるか、別の風俗に移籍するのか、あるいは彼氏と結婚するのかは知らないが、いずれ僕のお気に入り嬢も風俗を上がる時がくる。僕はコミュ障だし、性欲も減退しつつあるから、新しくお気に入り嬢を探すことなく、そのまま風俗の利用をやめるのだろう。
顔と体しか知らない、ただ源氏名という記号だけで識別され、名前も感情もすべてが偽りの世界。そんな世界で出会う男と女は、どちらもワケアリである。けれどその一期一会が趣深かったりするものである。
風俗があって、本当に良かった。