【石舞台古墳】レンタサイクルで明日香村を周遊した【飛鳥寺】
教科書で見たことのある景色。それが存在することは知っている。けれどもそれを実際にこの目で見るのと見ないのでは、その感動に大きな違いがあるように思える。
奈良時代の古墳として有名なキトラ古墳や石舞台古墳の名前を覚えている人も多いだろう。僕は教科書でそれらの写真を見たことがある。しかしその実物を未だ見たことがない。
百聞は一見にしかずという。知っているだけであることとその目で見たことがあることには大きな違いがあることを僕は知っている。僕は実物を見なければならない。今回僕は奈良への旅にあたり、キトラ古墳や石舞台古墳、飛鳥寺などの奈良時代の歴史を訪ねるため、奈良県高市郡明日香村という場所に向かった。
明日香村を観光するならレンタサイクルが便利
明日香村内のキトラ古墳や石舞台古墳といった観光名所はそれぞれに離れており、徒歩で巡るには容易ではない。バスという手段もなくはないが、こちらは本数が少ないため時間の制約が強くなる。レンタカーは高額だし駐車場が確保できるか不安なところだ。
これらの問題点をクリアするため、僕は今回レンタサイクルで移動することにした。近鉄の橿原神宮駅を降りてすぐのところにある近鉄サンフラワーの店舗に行き、自転車をレンタルする。
変速機も何もない、いわゆるシティサイクル(ママチャリ)ではあったが、これは徒歩よりも移動速度に優れ、レンタカーよりも機動力に優れるうえに、1日乗って1000円という圧倒的なコストパフォーマンスを誇る。気に入った場所でバスの時間を気にせず過ごせるのもよい。
キトラ古墳
橿原神宮駅からキトラ古墳までは、自転車で15分ほどである。キトラ古墳までの道のりは登り坂が続くため、ママチャリを漕ぎ続けるのは大変な苦労を要した。電動機付き自転車やスポーツサイクルなら幾分マシにはなったろう。
キトラ古墳の全景。丘陵地に構築された二段の円墳であり、大きさも下段の直径18.3m、上段の直径9.4mと、規模としては大きくはない。それでもこの古墳が注目されるのは、当時の渡来人か、あるいはそれの流れを汲んだ人物によって美しい壁画が残されていたからである。これは当時の文化を知る上で、そして考古学的にも重要であるとのことで、保存事業が続いている。
北壁に描かれた玄武。キトラ古墳の概要や保存事業の取り組みについては、近隣の資料館で見ることができる。タイミングがあえば壁画の実物も公開されるのだが、今回は公開されていなかった。
キトラ古墳内部に描かれている天球図。
高松塚古墳
こちらにも、内部に人物を象形した美しい壁画が残されており、注目された。
明日香村にある天皇陵
飛鳥時代の歴代天皇の何人かがこの明日香村内に埋葬され、陵として治定されている。
欽明天皇陵
第29代天皇である欽明天皇陵。正式名称は檜隈坂合陵(桧隈坂合陵:ひのくまのさかあいのみささぎ)という。全長140m、後円の直径は72mほどで、古墳が数多く残る明日香村内では唯一の前方後円墳である。
近隣には、敏達天皇(上述の欽明天皇の次代にあたる)の孫である茅渟王の后、吉備姫王の陵もある。こちらの陵内にある猿を象った4体の石像(猿石)も、明日香村の見どころの1つである。
鬼の俎と鬼の雪隠
鬼の雪隠という石製の構造体は、古墳内部の石室の一部である。鬼の雪隠から少し登ったところに鬼の俎という底石があるが、もとはこの鬼の俎と組み合わさっていたものである。
平べったい岩板が俎である。かつては一帯は霧ヶ峰と呼ばれ、鬼が住んでいた。鬼が霧を起こし、迷った旅人を捉えて俎で調理し、その後雪隠で用を足したという。
天武天皇陵と持統天皇陵
天武天皇と持統天皇は夫妻の関係であり、持統天皇は天武天皇の皇后にして、天武天皇没後に日本史上3人目の女性天皇として即位した。
持統天皇は、天武天皇の妃としては鸕野讃良皇女と称した。鸕野讃良皇女が病にかかった際、天武天皇は快癒を願って薬師寺を建立したという。病気を治すため、薬師如来は常に薬壺を持ち歩いているのである。鸕野讃良皇女は天武天皇が病没後、持統天皇として即位した。
亀石
田園地帯にぽつんとある、亀を象った石造物。
現在は南西を向いているが、これが西を向いたとき、奈良盆地は泥海と化すという恐ろしい言い伝えが残る。眠たそうな見た目で癒やし系なのに。
石舞台古墳
社会科の教科書ではおなじみ、大化の改新は日本最初のクーデター事件として有名であるが、その発端となったのが、当時権勢を振るっていた蘇我入鹿・蝦夷親子の暗殺事件(乙巳の変)である。石舞台古墳は、奈良時代の日本において権勢を振るっていた蘇我家の貴族、蘇我馬子の墓所とされている。もともとは方墳で、土で覆われていた。
石舞台古墳の敷地に入るには入場料300円が必要である。
石舞台古墳の中央部には総重量あわせて130トンにもなる巨石が2つ置かれている。教科書に掲載される写真はこの部分であるが、これは玄室という遺体を埋葬する空間のの上に蓋のように配置されており、その部分が見えているだけである。
玄室の内部に入ることもできる。墳形は方墳をなし、周囲に対して空堀を挟んで一段高くなっている。現在こそ舞台のごとく平らな形状となっているが、かつては四角錐のピラミッドのように、相当の高さを誇った構築物であったと思われる。高い構築物を営むことができるのは有力豪族のみであり、その面からしても石舞台古墳は蘇我氏の権勢の強さを示すものでもあった。
復元された石棺。
ガイドの方の説明によると、乙巳の変の後に実権を掌握した中大兄皇子は、蘇我氏の事績を歴史から葬り去るため、蘇我の象徴でもある蘇我馬子の墓を暴いた。そしてその墓は荒廃し、現在のように巨大な石室が露出したままとなり、後世においては石舞台古墳と呼ばれている。巨石に覆われて破壊しきれなかった玄室部分のみが、その名残となっている。
なお蘇我氏は飛鳥(現在の明日香村)を拠点としていた豪族であり、領土運営はの手腕はそれなりに優れていたようである。そのため明日香村の人々は現在でも蘇我氏を敬い、いっぽうで地元出身のその豪族を滅ぼした中大兄皇子ら藤原氏を快く思ってはいない。
岡寺
岡寺は明日香村の中でも山間部にあるため、急な上り坂を進む必要がある。
本堂の全景。本尊は如意輪観音像。塑像、つまり粘土や石膏を使用した仏像であり、塑像としては日本最大の規模を誇り、かつ最古のものである。大きさそのものは高さ2mほどであるが、要は土製なのであり、強度を考えるとこれ以上大きなものは作れないだろう。むしろ現在まで塑像が残存していることが重要である。また仏堂内部では参拝者との距離が近く、塑像は大きな存在感を放っている。塑像は撮影禁止である。
三重塔。1986年に再建されたものだが、新しいぶん夕日に美しく映えている。
巨大な十三重石塔。
奥の院へ続く道。
奥の院。内部は人一人がようやく通れる程度の石窟になっており、最奥部には弥勒菩薩が安置されている。
創健者の義淵僧正像。
義淵僧正は当時の権威ある仏教指導者であり、優れた法力をもっていた。飛鳥の地には農地を荒らす龍がいたが、義淵僧正はその法力をもって龍を封印し、大きな石で蓋を閉めたという。その池は龍蓋池と呼ばれており、岡寺の本堂前にそれがのこっている。このため岡寺の別名を龍蓋寺という。
飛鳥寺
飛鳥時代にも大仏が建立された。それは明日香村にある飛鳥寺に安置されている。「大仏」であるならば拝みに行く価値がある。それは飛鳥時代から1000年以上にわたりそこにあり、その歴史の流れを見つめ続け、人々の日々の信仰において救いとなったであろう。僕はタイムマシンのごときその大仏に参拝することにした。
飛鳥寺本堂。内部には平安時代初期の壮麗な阿弥陀如来像、鎌倉時代の木造聖徳太子像、そして金剛界曼荼羅・胎蔵界曼荼羅がある。
飛鳥大仏は釈迦如来像であり、飛鳥寺はそれを本尊としてはいるが、宗派としては真言宗に属する。僕の理解では、真言宗の寺の本尊は多くの場合大日如来であると認識していたため、これは一つの発見であった。
飛鳥大仏は、東大寺大仏や鎌倉大仏、あるいは牛久大仏などの「大仏」と称される尊像の規模に対して、その高さは3メートルほどと遥かに小さい。しかし1000年も前に、15トンもの銅と30kgもの黄金を用いてこの規模の大仏を構築することのできた技術力は、評価されるべきだろう。
またこの飛鳥大仏は、ひと目見るだけで、日本仏教における仏像彫刻とは意匠が異なる。その特徴は顔つきにあらわれている。日本仏教における仏像の尊顔は、少々丸みを帯び無表情であるが、飛鳥大仏は鼻が高く彫りが深い。なかなかのイケメンである。寺伝によると飛鳥寺は、596年に創建された日本最古の本格的な仏教寺院である。それだけでも歴史的にはかなり重要な寺院であるが、残存する伽藍の規模は小さく、人通りが多くあるわけではない。
思惟殿。こちらは聖観世音菩薩を安置する小規模な仏堂である。
蘇我入鹿首塚。小さな五輪塔がひっそりと佇み、西日に映えている。
キトラ古墳、高松塚古墳、欽明天皇稜、天武天皇・持統天皇稜、亀石、石舞台古墳、岡寺、飛鳥寺と魅力のあるスポットばかりの明日香村だが、これらを巡ってきてすでに走行距離は15kmほどにまで伸び、すでに体力的には限界を迎えていた。レンタサイクルは便利であるが、シティサイクルで明日香村のような山間を走ると、アップダウンで相当に体力を消耗するのだ。
すでに日が傾いてきつつあったが、それでも広大な明日香村をめぐるのは少々駆け足になってしまった。その意味で、1日でレンタサイクルで明日香村を巡るというのは、それなりに体力がないと困難である。僕の場合少々詰め込みすぎた感があるので、いくつかの場所はスキップして、目的地を絞ったほうがいいのかもしれない。関東在住の僕はそう頻繁に関西方面に足を伸ばせるわけでもないため、どうしても行程が詰め込みがちになってしまう。
古代日本の遺跡が今なお残る明日香村は、日本史が好きな人はきっと気にいるだろう。1000年以上も前の歴史にロマンを馳せられる場所、それが明日香村である。