【国宝現存天守】白亜の姫路城天守が美しすぎる件【白鷺城】
姫路城は兵庫県姫路市にあり、姫路市の象徴にして日本を代表する城郭遺産の1つである。
白い漆喰で塗られた姿は白鷺の美しさになぞらえて
三の丸広場から天守を見上げる。姫路城のシンボルである三重の大天守は、2015年まで平成の大修理としてその姿を現さなかった。修理が完了したのを見計らって僕が姫路城を訪れたのは、2017年のことである。
城見台公園からの一葉。盛夏の日差しに照らされた白亜の天守が、梅雨明けの澄み渡った青空に映える様は、とても美しい。一帯に植えられた木々の葉は、夏の到来を物語るような深い緑に色づいていて、その緑色と青空、そして白亜の天守が織りなす対比は見事である。
ところで、姫路には太平洋戦争当時、陸軍の歩兵部隊(歩兵第39連隊)が置かれたり、陸軍の練兵場が設けられたりしており、軍隊育成の場でもあった。多くの兵士が姫路で育ち、そして各地に散っていった。
また姫路が東西交通の要衝(軍都広島や大都市神戸・大阪を結ぶ)としても機能していたことや、現在のJR播但線京口駅周辺には川西航空機の工場があったことから、太平洋戦争末期にはアメリカ軍による空襲の標的となった。空襲の事実を後世に伝える石碑が、京口駅の東側のロータリーに残されている。
姫路城の敷地の一角には、播磨護国神社(白露宮護国神社)がある。
護国神社の拝殿。護国神社とは、戊辰戦争以降の戦乱で命を落とした兵士を祭神として祀る神社で、各都道府県に1つ設置されている。
多くの鎮魂碑が境内に並び、訪れる人が手を合わせ、平和への思いを祈る。
姫路城天守は、1945年7月の姫路空襲によって焼夷弾の直撃を受けたものの、幸運にもそれが不発弾であったことから、天守の焼失を免れたという逸話をもつ。一面焼け野原となった姫路市街。全てを失い絶望的な状況の中、変わらぬ姿で佇む姫路城天守の姿に市民は涙し、復興の決意を新たにしたという。
以降、姫路市は人口53万人を擁する巨大な都市に発展し、姫路城はその復興と発展、そして歩み続けてきた歴史の象徴であり続けている。
姫路城へは、姫路駅北口から歩いて10分ほどで行くことができる。バスを使う場合は姫路駅北口から乗ることになるが、乗り場6、7、8、9、10、14、15(23系統・24系統以外)、17を発着する各路線であれば、最寄りである「姫路城大手門前」バス停を通るので、是非活用したい。
姫路城の堀。鯉が放し飼いにされているほか、亀の生息も確認できる。
姫路城の見どころというと、日本の城郭の中でも最大規模を誇る高さ45mの天守に注目がいきがちだ。その巨大さと白亜の美しさをもってすれば当然であるが、僕が注目するのは、5000トンともいわれる天守の巨体を支える石垣である。豊臣秀吉の時代から池田輝政の時代まで、歴史を感じさせる。石垣あっての天守である。
大小様々な自然石をそのまま積み上げる石垣で、野面積みという。これらは豊臣秀吉の時代に作られたものである。
天守を別角度から。下段の城壁には三角形や四角形の
築城には豊臣秀吉や、軍師として名高い黒田官兵衛孝高が関わっている。関ケ原の戦い以後は池田輝政の居城となり、現在の城郭は池田輝政の指導によるものである。
備前丸広場から天守を見上げる。小天守の土台の石垣は修復工事が行われている。天守の石垣は打ち込み接ぎ・算木積みで、ほぼ同じ大きさの石を隙間なくはめ込んだような見た目である。
播州皿屋敷の階段の舞台となったお菊井戸。お菊は仕えていた主人の十枚皿のうち1枚を割ってしまい、責められて井戸に身を投げた。その後、夜な夜な1枚~2枚~と恨めしそうな女の声が響くようになったという。
このお菊井戸には金網が張ってあり、身を投げられないようになっている。
白い城には白い猫がよく似合う。
さて、この美しい天守の内部を見学することにしよう。入城料は大人1000円である。
天守の入り口。門の右側の巨大な直方体の石は、近隣の古墳などから発掘された石棺を流用したものである。なんて罰当たりな。
内部はこんな感じ。天守最上階までは5回階段を登る必要がある。
廊下部分。何本もの太い梁がこの巨大な木造建築を支えている。
現存天守にありがちな、手すりを使わないと登るのが大変なほど急な階段。女性の方は短いスカートを履かないようにしたい。
大天守を支える2本の巨大な心柱と1本の巨大な梁。この心柱は東西1本ずつ建っており、東側(奥側)は高さ24mの1本の木から、西側(手前側)は3階付近で継いでいる。
武具掛け。この武具掛けは城内いたるところにあり、いつでも武具を持ち出せる構造となっていたようだ。
武者落とし。右側の空間に兵が隠れて侵入した敵に不意打ちを食らわせるらしい。東寺の日本人が小柄だとはいえ、武装した大人1人が隠れられるほどの空間はなさそうだが。
姫路城の構造模型。
西の丸化粧櫓にて過ごす千姫。
西の丸庭園の十三重石塔。
さて、一通り城内を見て回ったところで、せっかくなのでJR播但線京口駅に向かうことにしよう。
京口駅東口ロータリーに残る空爆の碑。京口駅付近には川西航空機の生産工場があり、空襲の標的となった。
京口駅ホームから姫路城を望む。
JR播但線は、深いえんじ色が特徴的なローカル線である。使用車両は国鉄型車両のベストセラーである103系の3500番台。京口駅からは播但線に乗って1駅、姫路駅に戻ることにしよう。
姫路城一帯は広大であり、大天守に登楼するなら急な階段を5回も上り下りしなければならないほか、大天守に至るまでに、整備されているとはいえきつい坂道を登り続ける必要がある。姫路城はその意味で割と健脚者向けの観光スポットでもある。年を召された方々も相当いたが、天守に登るまでと登ったあとと、それぞれに辛そうだった。
石垣に大天守に庭園と見どころは多いので、1日使うつもりで体調を整えて訪れるようにしたい。