とある喪男の雑記ブログ

喪男とはモテない男のことです。寝ることと知的ぶることが好きな、意識低い系喪男の雑記ブログ。流されることなく、流れるように、ゴミみたいな人生を、頑張らないで生きていく。全体的に低スペック。絶食系男子。鉄オタ。飛行機オタ。城址仏閣好き。

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リスクを取らない人生にも価値がある

リスクを取れと叫ぶ人々

リスクを取らない人生はつまらないと、たくさんの人が言う。困難に挑戦し、会社など(の搾取する側と見なされるもの)から独立し、自分の夢を実現しようというのである。その独立心、反骨心、そして挑戦意欲は素晴らしいものだ。見上げたものである。

連中の一部は、リスクを取らない人生に意味がないとすら言う。何と傲慢な連中だろう。誰が他人の人生の意味に干渉し、否定する権利があるのだろう。僕はそんな傲慢な大人にならないようにしたい。

そして、そもそも、リスクを取らない人生に、本当に価値がないのだろうか?

リスクを取る人生に惑わされてはいけない

僕たち大人はよく知っているが、大人は都合のいいことばかり主張し、そうでないことを語ったりはしない。このケースでいえば、リスクを取ったことによって成功した人生というロールモデルは語られるけれど、リスクを取ったことによって失敗した人生は語られることはないだろう。後者のほうが圧倒的に多いはずであるにも関わらず、だ。

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僕たちはこの認知バイアスに気づかなければならない。すなわち、リスクを取ることを選択し成功した連中しか、リスクを取る人生の素晴らしさを語っていないのである。リスクを取ったけれども失敗した人たちは、努力が足りなかったと蔑まれるか、運が悪かったと同情されるか、またはその心意気や良しと感動美談に仕立て上げられるか、もはやその失敗を語る口を持たないのだろう。もし連中に唆されて、リスクを取る人生を歩もうと思うのなら、現時点で自分が成功する状況か、そうでないか、そして成功しなくてもそれが許容される状況であるか、冷静に判断しなければならない。そして、リスクを取ったことにより散っていった声なき人々のことを思い出すべきだ。

「リスク」の意味は人によって違う

僕たちが人生におけるリスクを議論する場合、まずはそのリスクについてその定義づけが必要になる。人生におけるリスクは様々だ。仕事を失う、金がなくなる、怪我をする、要介護状態になる、学校に通えなくなる、命を失う、社会的に抹殺される、等々。一言でまとめると、人生における選択肢が狭まる、という点に集約して差し支えないだろうか。

一方で、リスクを取れという連中も、実はその意味合いは一定ではない。ソフトバンク孫正義社長がリスクを取れというなら、それは経営者・ビジネスリーダーとして責任をもって決断しろということを意味するし、どこかのインフルエンサーベンチャー企業の社長が同じことをいうなら、それは毎日満員電車で会社に通い、やりたくもない仕事に従事し、自分のやりたいことや夢だとかに挑戦できず、キラキラした人生を歩めないまま歳を重ねていくことを意味している。

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僕たちの人生には、リスクを取らなくとも価値がある

リスクを取るか取らないか。リスクが顕在化し自身に被害が発生する事になった場合、その被害に自分が耐えられるかどうかを考える必要がある。耐えられるのであればそれはリスクのようであってリスクではない。

一方で、リスクを取って成功した連中は、能力も高く運も良かったことを考慮に入れる必要がある。けれども僕たちが同じように成功しようとする場合、連中と同じくらい能力が高く、強運であるだろうか?あるいはそれだけの高い能力と強運がなければ、孫正義ベンチャー社長もインフルエンサーも、リスクを取って失敗した有象無象に成り下がったのではないか?

そして、多くの場合、連中と同じような能力もなければ運もない、そんな有象無象の社会人である僕たちは果たして、彼らと同じ視点でリスクを取るべきなのか?むしろその場合、リスクを取ってはいけないのではないか?そうしてリスクを取らないと判断したとしても、それは尊重されるべきではないか?

僕たちは普通に生きている。それぞれの価値観においての普通を維持し、あるいは普通になろうと努力し、人によっては社会をさらに良くしようと努力し、または自分の人生をいかに豊かにするか考えて生きている。そのなかで様々な決断をし、大なり小なりのリスクを取っているはずなのだ。そしてそのリスクを検討した結果、やりたかったけれど実行しなかったことも数多くあるはずだ。

僕は海外の大学院で学び直したかったが、それは断念した。理由は金がなかったから。1000万円の金を借りて海外に留学し、学費と生活費を工面し、帰国後にそれを回収・返済できる設計が結局できなかったからだ。けれども僕は、そんな決断をした僕の人生に、価値がないなんて言わせない

何にしても、リスクを取る人生が素晴らしいものだと盲目的に信じて、無防備に突っ込んではならない。さっきも書いたが、連中は耳に心地いいことしか言わない。そしてそれは僕たちを突き動かすが、勢いに乗ってはならない。取れないリスクは取れないし、僕たちは大人なのだから、よく考えるべきだ。誰も助けてはくれないのだから。

ところで、何か物事に取り組むにおいて、手段と目的の逆転というのは頻繁に起こりうる。リスクを取る生き方というのもその例だと僕は考えている。何事も、あえてリスクを取りにいく必要はない。何か夢や目標であるのならば、リスクを取らないままで実現できる方法を全力で考えるべきだ

そして、僕たちが平穏無事に生きるならば、可能な限りリスクを取らない生き方を考えるべきだし、そういう人生であっても、社会から追放されずに人生を生きているというだけで、その人生には輝かしいまでの価値がある。人生の価値を向上させるために、リスクを取ってはいけない。そうでなくとも僕たちは、社会的共同体に危害を加えることなく生きていることを認識し、誇りをもって生きていけるからだ。

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