非モテ弱者男性のブログ

旧「非モテ系のままで生きていくブログ」から、弱者男性ブログに進化しました。レベル36の限界中年/異常独身/非モテのブログ。もう人生折り返しました。残りの人生を頑張らないで生きていこうと思います。なおこのブログには、モテる方法は1つも書いていません。

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非モテ女性とかいう不可視化された真の非モテについて考えようぜ

僕たち弱者男性や異常独身男性は、様々な場面で差別や迫害を受ける。女性からキモイと言われたり、LINEやメールを晒されたり、あるいは趣味の二次元美少女コンテンツを攻撃されたり。しかしそれであっても、僕たちは被差別者層として、悪い意味で社会の中で一定のプレゼンスを得てしまっている。

僕たち弱者男性は、女性陣のみならず、ツイフェミやリベラルどもから叩かれることによって、逆説的にそのような属性が存在しているという認知が、広まりつつある気がしているのだ。

非モテ男性には社会に居場所がある

僕はここ最近発想を変えて、それはそれで社会という巨大なエコシステムの中で、役割を与えられ、しかもその存在を認知されていることに、ある種の安堵感を覚えている。それは、居場所があるという安堵だ。人間は社会とつながらなければ生きていくことはできないし、そうでない場合は精神面の不調をきたすものである。

居心地が悪いとはいえ、社会の中で居場所があるのはいいことだ。僕たち非モテ・弱者男性、異常独身男性は、社会の中で同じ非モテ・弱者男性・異常独身男性を探し出し、その住人世界の中で生きることができる。

僕たちはいつも、同じように苦しんでいる同胞を探している。その証左は僕のこのブログだ。このブログはここ最近、ありがたいことに毎月1万ほどのPVを数えている。個人の雑記ブログとしては上々の数字だろう。これだけ多くの人が来てくれるということは、おそらく僕と同じような弱者男性が、同志や仲間を求めて来てくれたに違いないのだ。

僕たち非モテはこうして非モテどうし、ゆるくつながったり傷をなめ合ったり、あるいはお互いこいつより自分のほうがマシだと見下し合ったりして、生きていくことができる。しかも被差別者層として認知されており、社会的に役割を与えられている。だから僕たちは非モテのまま、弱者男性のままでいられるのだ。

しかして非モテ女性はどうであろうか。僕たち非モテ男は、自分たち自身の境遇のことばかり考えてきたが、少しだけ見聞を広げてみよう。すなわち非モテ女性、あるいは弱者女性というのが存在するのかどうか。そしてもしそれが存在するならば、それらは僕たち弱者男性よりも遥かに不可視化されているんじゃないか、という論点である。

「弱者」「非モテ」「異常独身」の違い

まずは弱者男性、非モテ、異常独身の三様について定義しておこう。とは言いつつ、弱者男性と非モテ男性の区別は曖昧なところにあるが、僕の理解を語ろう。

弱者男性は、恋愛マーケットにおける総合的なスペック(顔、身長、収入、学歴等)が低い男性全般を指す。非モテはその中において、より恋愛において機会のなかった男性であることを強調した表現である。そして異常独身は、独身生活が長すぎて、一般的な生活スタイルから逸脱した男性を指す。

異常独身男性には、美少女アニメオタクに特化したり、セミプロゲーマーレベルまでゲームを極めたり、あるいはスパイスからカレーを作ったり、小麦粉からうどんを作ったりする料理オタクもいる。

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おそらく男性においては、弱者男性、非モテ、異常独身の三様は、少なからず重なり合っている。しかし僕の考えでは、女性はその三様が分離しているように思う。

弱者女性、非モテ女性、異常独身女性というのはいるのだろうか。

僕の考えでは、少なくとも弱者女性というのは、主に(専業)主婦として、社会共同体の中に内包されているような気がする。弱者男性と同じでこの層は全体的なスペックが低いが、女性であるがゆえに主婦としての役割を獲得することができる。

健常男性の包容力をもってすれば、弱者女性を主婦として養うことは可能であるし、また恋愛マーケットにおける女性の強さも、その役割の確保に一役買うことになるのだ。また、健常男性と結婚まで至っている時点で、その女性は弱者かもしれないが、非モテではない

そして異常独身女性は、腐女子だったり、小劇場の俳優や地下アイドルに熱を上げていたりするので、それはそれで(異常と見なされがちではありつつも)社会の中で生存権を確保しているように見える。彼女たちはおそらく、異常独身女性どうしで、やはりゆるくつながっている。

非モテ女性とかいう「笑えない」階層

さて、僕が思うに、非モテ女性というのは、おそらく最も救いのない存在である。男性から性的対象として見られることがないので、男を捕まえて主婦に変身することもできず、異常独身女性のように趣味にリソースを全振りすることもできない。

非モテ男性がモテないのは、恋愛マーケットにおける男性側のパワーの弱さによるところが大きいと思うが、そのことを考慮すれば、女性の非モテは真の非モテであると言い換えてもいい。彼女たちは女性側のチート機能を利用した「穴モテ」ですら可能性がないというのだから

僕たち男の非モテは、様々なコンテンツで差別や嘲笑の対象となる。テレビのバラエティで、SNSのタイムラインで、あるいはオフラインの一般的なコミュニケーションの中で。そして僕たちは、男の一定数は非モテ側に着地せざるを得ないこと、そしてそこそこの数がいることで、それらを笑って(心で泣きながら)受け流し、自ら自虐ネタにすることすらある。

しかし僕は、SNSの匿名コミュニケーションはともかく、テレビのバラエティなどで、非モテ女性が差別や嘲笑の対象になっているところを見たことがない。僕が思うに、女の非モテは、それがあまりにも悲惨で醜くて、正視に耐えないのだ。「穴」を差し出しても男に振り向いてもらえない絵面はあまりにも痛ましいので、ネタにもできない。つまるところ、「笑えない」のだ。

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そういう層に対して社会は何をするか?見なかったことにする。不可視化する。ないものとして取り扱う。

非モテ女性は一定数いるはずだ。しかしてその情報は、日々オンラインコンテンツに触れている僕たちの目には入ってこない。だから社会的にもそれは認知されていない。

実はこのエントリを書くときに、僕は少し非モテ女子や喪女などのコンテンツを探してみた。コンテンツは実際のところ、あった。しかしその絵柄は「お前のようなスタイルのいい美人が喪女のわけないだろ」というものであった。

junny-policies.hatenablog.com

喪女というのは、まったく性的魅力に欠ける生き物でなければならない。女性的な曲線や華奢さの失われた小太りかつ抑揚のない体型に、力のない目元と眉、艶の失われた髪、低く穴の大きな鼻などを備えていなければならない。また愛嬌はなく、卑屈で、自虐的でなければならない。

おそらく非モテ女性は、もしかしたら僕たち以上に生きづらいのかもしれない。そういうことを考えると、僕は同じ非モテでも、男で良かったと思う。僕たちは認知されるだけ、そして自虐できるだけマシな、そんな性別に生まれてきた。それを少しだけ喜ぶようにしよう。

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