非モテ恋愛弱者のブログ

旧「非モテ系のままで生きていくブログ」から、恋愛弱者男性ブログに進化しました。レベル36の限界中年/異常独身/非モテのブログ。もう人生折り返しました。残りの人生を頑張らないで生きていこうと思います。なおこのブログには、モテる方法は1つも書いていません。

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恋愛とか結婚とか子供とかいう勝ち組の贅沢品

岸田政権が10万円の給付金を支給するしないという一連の議論の中で思ったことがある。よくよく考えたら、結婚とか子供とかめちゃくちゃ贅沢品なんじゃねーの?ということを考察するエントリである。

恋愛という贅沢品

書いたのは少し前であるにも関わらず今でも読者諸君に多く読んでいただいているのが、以下のエントリだ。自分で言うのもアレなのだが、僕はこのエントリで、非常に重要な示唆を与えている。

junny-policies.hatenablog.com

服を買いに行く服がないとはよく言ったものだが、まさにそれと同じではないか。一定の年齢以上になれば、彼女を作るためには、過去に彼女が存在していなければならないのだ。

そうだ。恋愛をするためには、過去に恋愛をしておく必要がある。社会人であれば大学生のときに。大学生の時ならば高校生の時に。そして高校生の時ならば中学生の時に。それより前だと恋愛という概念は乏しいかもしれないが、バレンタインデーにチョコを渡されたり、女子と一緒に帰ったり、女子の家に遊びに行ったり、そういう経験が、実は幼い頃から必要であったのではないかと僕は考えている。

junny-policies.hatenablog.com

つまり、その子供が将来恋愛ができる人間に育つかどうかは、この幼少期の異性との関わり方で決まってくるのかもしれない。実際のところ、僕のような彼女いない歴享年の人間は、女子と遊びに行くなど思いもよらないことだった。中学校や高校のときは人並みに片思いはしたことがあるにせよ、親密になることはなかった。好きな女の子が誰か別の男と仲良くしているさまを、いつも僕は見ているだけだった。

一方でモテる男は何をしていたのか。女子に話しかけることを厭わなかったし、そして明るかった。または足が速かったり、頭が良かったり、あるいは中学校以降は少しDQNっぽい危なさがあったり。何かしらそういう、女子を引き寄せる魅力を持っていた。

このように、幼い頃から女子と関わりをうまく持てた男だけが、その後の恋愛フェーズに進むことを許される。もしその時彼女がいなくても、「女子と仲良くなれた」という成功体験をもって、親密さの醸成に応用することができる。

junny-policies.hatenablog.com

果たしてそれができたのは、男の中でも限られた人間だけだった。それでも僕が知る限り、大学の時点で彼女がいたことがあったのは、男子の6割程度だったと記憶している。つまりこの6割は、もしかしたら中学校か高校ではモテない側だったかもしれないが、紆余曲折あって彼女をこしらえることができたというわけだ。この時点で恋愛というのは、この6割のためのものであり、僕たちのような非モテ4割の側のものではなくなっていた。

もしかしたら諸君は、その紆余曲折の方に興味があるかもしれないが、残念ながらこのブログではそういう恋愛指南的な情報は一切取り扱っていない。他のブログにいろいろ書いてあるだろうからそれを読みたまえ。それよりも僕は、非モテから見た恋愛や結婚が、どれだけ限られた人間のための贅沢品であるかを、引き続き語ることにしよう。

結婚という贅沢品

さて、年齢を重ねると、いよいよ結婚が現実味を帯びてくる。僕は来年36歳になるが、結婚のピークは大きく分けて2つあった。26歳頃と32歳頃である。前者は、前段で語った恋愛における勝ち組である6割が、いい年になったから結婚する、というものであった。そういう意味でそれは非常にリア充的であり、あるべき人生のレールに対して忠実に従っている模範的な人生でもあった。

後者のピークは、どちらかというと非リア充出身側のピークだった。非リア充どもがいろいろ努力したのかたまたまめぐり合わせが良かったのかは知らないが、おおよそ女性に縁がなさそうな連中の結婚だった。そしてその数は前者よりは少なかった。

僕の年齢を超えて独身ならば、生涯未婚率は90%以上に達する。この年齢を超えたならば、僕は極めて高い確率で一生結婚しないだろう。その比率は、僕の世代だとおよそ27%である。つまり結婚自体は、同年代の中でも73%に限られた人生の選択である。

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ちなみに僕は、このイラストより身長はもう5cm低く、子供は嫌いだし、猫が大好きでめちゃくちゃ世話をする以外はだいたいこんな感じである。マジ婚活ハズレ物件だと思う。

junny-policies.hatenablog.com

ところで、妻子ありの家庭を築き上げるには、いくつかの手順を踏む必要がある。

①彼女にしたい女を見つける

②彼女候補と仲良くなる

③彼女と付き合う

④彼女と関係を育む(時間経過)

⑤プロポーズしてOK貰う(婚約指輪数十万円の支出)

⑥彼女の両親に結婚を許してもらう

⑦必要に応じて結婚式する(数百万円の支出)

まぁ、無理だな。まず②が無理だ。最近は①すら無理だ。

子供という贅沢品

さて、こうして小学校高学年から大学にかけての恋愛競争に勝利し、結婚にたどり着くのは全体のおよそ7割だとしよう。しかし、子供をもてるかどうかというのは、なかなか厳しい数字が出ている。以下のニュース記事を参照してみよう。

news.yahoo.co.jp

2019年6月6日時点における、全国の世帯総は5178.5万世帯。そのうち、「児童(18歳未満の未婚の子)のいる世帯」は1122.1万世帯で、全体の21.7%です。

2018年の1世帯当たり平均所得金額
全世帯:552.3万円(稼働所得410.3万円)

・児童のいる世帯:745.9万円(稼働所得686.8万円)
・母子世帯:306.0万円(稼働所得231.1万円)
※稼働所得とは、雇用者所得、事業所得、農耕・畜産所得、家内労働所得のこと。

児童のいる世帯では、全世帯の平均を超えて約745万円。母子世帯では約306万円でした。

……いやちょっと待て。全世帯のうち子供がいる世帯は21.7%しかいないのか。少子化やばすぎだろ。と思った諸君もいるだろうが、そのとおりだと思う。僕も少子化やばいと思う。けどそれはまさにその下に書いてある所得の部分が関係していると思う。

よく見るがいい。全世帯の平均(稼働所得410.3万円)に対して、児童のいる世帯の稼働所得(686.8万円)が圧倒的に高いことがわかる。つまり子供持ち世帯というのは、非常に稼得力の高い父親がいるか、あるいは父親586万、母親100万円などの共働きであると推定することができる。いずれにしても稼働所得686万円というのは、サラリーマンの全世代平均年収が400万円そこそこという今の時代において、相当に高い水準である。

子供の養育に必要な費用はそれだけではなく、学校や習い事、レジャーなどにかかる費用や、住む所によってはミニバンのような自動車も必要だろう。これらのような生活水準を維持するのには、相当程度以上の収入が必要である。そういうわけで、子供をもつということは、それだけの稼得力を要求されるということだ。

それが不足しているなら自分たちの親世代からの援助を得られたりもする。それは金銭に限らず、例えば子供を保育園に迎えに行ったり、あるいは親の休日出勤に対応して変わりに面倒を見るとか、そういう人手リソースの援助も含まれている。このような「一家の総合力」が、子育てには必要とされるのだ。

何だ?諸君は子育て支援だとか言って、さらに手当や補助金を要求するのか?なるほど、結婚して子供を持てる程度に恵まれた人間が、僕たち独身の収めた税金から、さらなる支援を要求するか。外道どもが、恵まれてる諸君らは、恵まれない僕たちから、女だけでなく金まで収奪する気か。

少子化進行の本当の理由

そんな限られた上流階級の嗜み、それが子供なのである。そんな子供をもてる人というのは少ないし、何とか得られたとして1人を育てるのが限界だろう。少子化が進行する理由も、このあたりを考察すると真実にたどり着くだろう。

つまりこういうことだ。まず小学校時代から社会人数年目くらいまでは恋愛競争にさらされ、そこで勝ち組になる必要がある。自由恋愛の名のもとに、身長や偏差値、運動能力などのスペックの高い男に女が群がるが、実際に結婚できるのは1組ずつである。

結婚できなかった女はわざわざ非モテ男などと付き合わないため、結婚数自体が減少する。つまり結婚そのものが、恋愛競争を勝ち抜いた選ばれし者たちの戦利品である

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そして子供を持つ段階になると、さらにそこに収入の高さやその安定性といったパラメータが加わる。このパラメータは、その親世代という隠しキャラの援助を得ることができ、それが加わればより生活基盤や水準が安定する。そうして安定した基盤を構築することができるようになった一握りが、全世帯数の21%という数字なのである。この21%が子供をもうけることのできる勝ち組である。

子供というのは、自由恋愛の競争を勝ち抜き、さらに出世や収入の競争をも勝ち抜いた一部のエリートの贅沢品になった。僕たち非モテの低スペックが目指していいものではなくなった。僕はとっくの昔に自分に子供はいらぬと決意してきたが、こうして数字として根拠付けてみると、その時の僕の判断がいかに合理的かつ先見の明に溢れていたか、自画自賛したいくらいである。

junny-policies.hatenablog.com

詳しくは反出生主義を語る上のエントリにも書いたが、僕の子供は生まれることがない。それは僕の子供にとっては悪くないことだ。僕には収入もなければ親世代からの援助も受けられないので、少なくとも僕の子供として生まれたならば、貧困に苦しむ幼少時代を過ごすことになり、それは経済格差としてその子供に劣等感や憎悪感を植え付けるだろう。僕は自分の愛する子供に、そんな惨めで苦しい思いをしながら生きてほしくない。

junny-policies.hatenablog.com

まぁ子供が贅沢品になる社会は、そう長続きはしない。僕の生きている間に日本が終了しなければ、それでいい。

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